地元
のんさんと岩手、両想いの理由 持続可能な「関係人口」という物さし
岩手に転勤してから、気になっていたことがあります。NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」の主人公のんさんを身近に感じる機会が多いのです。あちこちでのんさんを応援する取り組みが進み、のんさんも地元のお祭りに駆けつけます。その様子はまるで「両想い」のよう。東京で見かける機会が減っていた時期も、岩手では変わらず愛され続けていました。いったいなぜ? 取材を進めて見えたのは「のんさんの生き方が、縮小していく地方のモデルになる」という期待感でした。(朝日新聞記者 渡辺洋介)
わたし(渡辺)は岩手県大船渡市に駐在して2年半になります。ずっと気になってきたのが岩手のひとたちの「のんさん推し」でした。
2016年夏に外務省出身でサブカル通の達増拓也岩手県知事肝いりの「プロジェクトN」が始動すると、翌年1月にはJA全農いわてが、岩手が誇る農畜産物の宣伝本部長に起用しました。
さらに、17年4月には地元の岩手銀行のイメージキャラクターに登用されます。沿岸部の居酒屋でも今なお、あまちゃんのポスターをみかけます。
岩手に赴任する前に住んでいた東京では、テレビなどでのんさんをみる機会は一時期に比べて減っていました。岩手のひとたちの応援ぶりを見て、「いったい何ごと?」と不思議に思っていました。
同僚記者からも「不思議に思ってました」「何でですかね」との声が。そこで「三鉄(三陸鉄道)に乗りながら聖地の今を伝えよう」という企画が生まれました。
取材は、ちょうど岩手がアワビの収穫シーズンに入る月に始まりました。岩手県久慈市は、盛岡から2時間、大船渡からは3時間半かかる県沿岸部にあります。あまちゃんでは「北三陸市」として登場する場所です。
1両編成の車両、乗客は少ないけれど、リアス式海岸の先に広がる太平洋の青がまぶしい、大好きな鉄道です。
久慈市にある「聖地」のひとつが「あまちゃんハウス」です。キャストのサインはもちろん、撮影に使われた衣装やセットなどが展示されています。
「この衣装には、のんさんが演じたアキちゃんの汗と涙が……」。今にも荒川良々さんが演じた吉田正義さんが顔を出しそうな、三陸駅のセットです。
外せないのが「喫茶モカ」。劇中でみんなが集った「軽食喫茶リアス」のモデルとされる場所です。あまロスの「患者」にはたまらない場所、まさに聖地中の聖地です。
岩手県で驚いたのは、地元経済界が今も、のんさんを猛プッシュしていることです。のりのりで取材に答えてくれたのは、17年にのんさんをイメージキャラクターに起用した岩手銀行です。
同行では新入行員に扮したのんさんが主演するCMを放送しています。都会の大学を卒業して地元に戻ったのんさんが、歩くのが辛そうなおばあちゃんを背負って初出社したり、ブリーフケースを持って走りながら漁船に手を振ったり。
これまで5作品をドラマ仕立てで制作し、同行のサイトの閲覧者数は2割ほど増えとのことでした。
背景には「日銀のマイナス金利」という、わりと深い理由がありました。
金利政策の影響もあり地方銀行の経営が圧迫されるなか、同行は地元の中小企業支援による基盤の立て直しを重視。そこで、注目されたのが、のんさんでした。
それまで放送していたCMは、地元企業を実際の行員が回って復興を目指す姿を写し、地域へ貢献するイメージをアピールするものでした。
震災から5年以上が経ち、「顧客と寄り添う銀行」というイメージ刷新の起爆剤として、のんさんを起用したのです。
JA全農いわても、のんさんの起用を続けています。「おいしいけれど地味」とも言われる岩手の農産物のあまちゃんの成功物語に重ねる熱い思いがありました。
そんな地元の現象を、専門家はどう見ているのでしょう?コラムニストの辛酸なめ子さんにも話を聞きました。
品川駅のカフェに現れたなめ子さんは、毒気や皮肉を織り交ぜたユーモアあふれる視点でのんさんについて語ってくれました。
気になったのは、「あまちゃんブームの時にのんさんの大ファンになった業界人や文化人のおじさんがたくさんいます」という一言でした。
達増知事がのんさんを応援する「プロジェクトN」を立ち上げていることを伝えると、「やっぱりサブカル通の文化系おじさんにすごく訴求力が強い」とさらり。
「おじさん受けがいい」というのは魅力ではあるものの、岩手のひとがのんさんを応援している理由が「おじさんに好かれているから」だけなのか……。
辛酸さんの言葉を宿題に、再び取材を重ねました。
のんさんは、クラウドファンディングで製作資金を集めて大ヒットした「この世界の片隅に」の声優に起用され、再び注目を集めました。
さらに、LINEのテレビCMに出演。インスタグラムを通じてファンとの強い関係を築いています。
テレビというメジャーな発信の手法で不特定多数に働きかけるだけではなく、SNSを通じて「特定の誰か」とつながりを持つ。そんな手法は、小さくても確かなかたちでつながりを保つ力の源泉になるように思えます。
さらに、発信力でどうしても大都市に負けてしまう地方が目指すべき、今後の情報発信のあり方とも重なるのではないか。
そんな思いを、岩手の達増知事にぶつけてみました。
達増知事は「日本全体のありようを変える、そういう変革にも、のんさん、本名、能年玲奈さんの活動はつながっていると期待します」とまで語りました。
知事室に貼られた「あまちゃん」のポスターを背にすると、のんさん演じる主人公・天野アキのプロデューサーを務めた「太巻」こと荒巻太一の腕組みポーズを、頼んでもいないのに自ら披露する知事。
知事の取材から見えたのは「個人の尊厳や地域の特性を失ってまで、日本全体を覆うメジャーな価値にあわせるのではなく、自分なりの『ものさし』を大切にしていく生き方」でした。
一連の記事を朝日新聞デジタルで配信したところ、「なんだか嬉しくて泣けてきました」「東北らしい、清々しいものを求める気持ちがのんさんを支えているのか」「ああ…また観たくなってきた」「故郷があることは良いことだ」などの反響がありました。
ドラマ終了から約5年。今も「あまちゃん」は一過性の特需で終わらず、持続可能な「小さくても、確かなつながり」をつくるエポックになった経験なのだと実感しました。
縮み行く地方にとって、UターンやIターンによる「定住人口」でも、観光による「交流人口」でもない、特定の地域に深くかかわる「関係人口」による地域の発展のあり方を問いかけるものではないでしょうか。
地元での取材で印象的だったのは達増知事が語った「震災直後で復興も緒に就いたばかりの時に『笑ってもいいんだ』という感覚を被災と復興の現場に広めてくれた」という言葉です。
あまちゃんが放送された当時、被災地ではまだ「笑う」ことそのものが躊躇される状況だったことに、はっとさせられました。だからこその「両想い」の関係なのです。
岩手で愛される、のんさんの存在から見えたのは「人口減少で縮みゆく地方が、しなやかに生き残るヒント」でした。
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