話題
「死ぬカス」の同人誌「かすり傷多すぎて死にそう」が伝えたいこと
ビジネス本やネット上で見かける「自分らしく働く」成功者たち。そんな生き方に憧れる一方で、彼らとはほど遠い自分に悲しくなった経験はないだろうか。そんな悩める若者に向けて、とある会社の新卒採用担当者らが作ったという同人誌を見つけた。その名も「かすり傷多すぎて死にそう」。ん?どこかで聞いたことがあるような……。
ギャルを嫌々やっていた25歳、人と目を合わすことが苦手な元先生、デビューを夢見る60歳パンクロッカー……。
世間のビジネス本では見かけない男女7人が、己の過去と未来を赤裸々に語るインタビュー集だ。
将来やりたいことを尋ねられた元ギャルの答えは明快だ。
「ないですね。『やりたいこと見つからない』じゃなくて、わたし、これじゃなきゃダメだっていうのがないから。他人にどう思われるかとかってあんまり考えない。関係ないよね」
芽が出る可能性はわずかだとしても、還暦パンクロッカーに悲壮感はない。
「『こんなに歳とってもパンクにしがみついているのか』みたいな感じを、逆転の発想で『弱点を自分の武器にしていく』ことにした」
実はこれ、一般に流通していない同人誌の類い。とある若者向けのイベントのために用意された冊子で、当日手にしたのはたった数十人だったという。
タイトルは、今話題のビジネス書「死ぬこと以外かすり傷」(著者:箕輪厚介氏)から着想を得た。次々にヒット本を生み出す30代の敏腕編集者が、自身の仕事の流儀を明かしながら「熱狂せよ」「革命を起こそう」と若者に呼びかける10万部を突破したベストセラーだ。著者の人並外れた発想力と行動力は、「死ぬカス」の愛称がつくほど大きな支持を得ている。
なぜ、そんなベストセラーに似て非なる冊子を作ったのか。3人の「編集者」に話を聞いた。
ウェブ関連会社に勤める田汲洋さん(38)、その会社を辞めたウェブライターの稲田ズイキさん(26)、その会社に内定した大学生の丸山佑介さん(23)だ。
――これは、「死ぬカス」への宣戦布告ですか?
「いいえ、むしろ逆です。私たちは箕輪さんのファンで、箕輪さんのイベントにも足を運ぶほどです。初期に手がけられた与沢翼氏のムック本を見た時から、すごい本が出てきたなと」(田汲さん)
――では、なぜこういう冊子を?
「働き方をテーマに、普通の雑誌インタビューとは違うものにしたいなあとブックカフェで相談していました。その時、ふと本棚に並んでいる「死ぬカス」が目に入ったんです。あっ、これだ!と。リスペクトしている箕輪さんがやらなかった領域、箕輪さんが取り上げない人たちをフォーカスするべきだと創作意欲がわいてきて。知人のつてを頼りながら、人生のかすり傷が多そうに見える人たちに取材をお願いして、1カ月ほどで一気に作りました」(丸山さん)
――取材してみてどうでしたか。
「意外にも、って言ったら失礼ですが、みんな生き生きしていて全然死にそうじゃなかった(笑)。こっちまでパワーをもらえました。というのも、僕は会社を辞めて個人でライターやっているんですけど、正直大変で……」(稲田さん)
稲田さんが苦しい胸の内を明かしてくれた。
自身が書いた記事はネット上で何度か称賛され、バズった。だが、次に出した記事は見向きもされない。やがて、ネット上に取り残されたような虚無感に襲われる。次こそ、次こそ……終わりのない承認欲求の魔力にもがく日々だ。「自分らしく働く」ために必死に頑張っているはずなのに、その言葉が重荷に感じてしまうことさえある。
そんな稲田さんにとって、今回の取材で出会った人たちはまるで違った。夢に熱狂してる人も、していない人も。他人の目、ましてやSNSの評価など気にしない。彼ら彼女らの生き方に、少し立ち止まって自分を見つめ直すことができたという。
今回の創作を呼びかけた田汲さんは、実は会社の新卒採用担当。なのに「自己啓発されない」冊子を作った背景には、父のことが頭にあったという。
「私が育った家は、貧困ではなかったし、客観的にみて不自由ない家庭だったと思います。ただ、普通の家庭と違うのは、サラリーマンであるはずの父が全然働かなかったことです」
小学生の田汲さんが自宅に帰ると、たいてい決まって父が家にいた。何もせず、寝ていることがほとんどで、時々外出したかと思えばパチンコだった。あまり気にとめることもなかったが、ある時それはアル中が原因だと分かった。映画で偶然見たアルコール依存症の患者とそっくりだったからだ。
「完全に反面教師です。でもね、父のこと好きだったんです」。
映画好きだった父。家には500本を超すビデオがあり、よくおもしろい映画を薦めてくれた。田汲さんが19歳の時、父は亡くなった。本当は図書館司書になりたかったが、実際はまったく異なる分野の職場でストレスが募っていた、と後で聞いた。
田汲さんは大学卒業後、広告や出版、ウェブ関連の会社を経験してきたが、今になって父の存在の大きさに気付くことがある。何かコンテンツを作る時、「もし父がこれを見たら、おもしろがってくれるかな」といつも想像する。父ほど映画や漫画に詳しい人にいまだ出会ったことがないという。「私にとっての偉人なんです」。
「私、箕輪さんみたいに革命を起こせる器じゃないんですよ。正直、かすり傷さえ怖い。それでも誰かにとっての偉人にはなりたいと思うんです。たぶん、大多数の人がそうなんじゃないかな。そんな人生も肯定したいんですよね」
冊子では、世の若者に向けこんなエールを送った。
「何かを成し遂げるだけがすべてじゃない。ゆっくり、傷つきながら、でも確実に前進すればいいじゃないか。どんな人の人生もおもしろい」。
どんな人の人生も、たとえ輝かしい成功者でなくてもーー。そうだ、だからこの冊子はおもしろいのだ。
私も、そんな他人の人生を直接知りたくなって群馬県に直行した。
冊子の表紙を飾った「こーきちくん」に会うために。統合失調症を患いながら、介護施設で働く。「天真爛漫」という言葉が好きだという50歳が気になってしまった。
こーきちくん(本名・高柳孝吉さん)は、仕事が終わった夜に、私のために駅まで駆けつけてくれた。
――今、どんな所で働いているのですか。
「2年前から、認知症の高齢者施設で介護の仕事をしています。トイレの介助や洗濯、掃除、何でもやります。今はお風呂の介助習ってるところですね。トイレ介助なんかは大変な時もあるんですど、皆さんがさっぱりした顔でありがとうと言ってくれると、やっぱり嬉しくなりますね」
「私自身は月1回通院していますが、体調はいいですよ」
――自分にあっている仕事ですか?
「そうかもしれませんね。高齢者とお話していて、楽しそうに笑ってくれるとこっちもうれしくなるし。正直言えば、こっちから笑いをとりにいってるんですよね。成功率は……3割くらいかな。野球のバッターだったらいいんですけどね」
「でも、今日は若い女性スタッフが笑ってくれましたよ。話の流れで、私をイヌに例えてくださいとお願いすると、ゴールデンレトリバーだと言われたんです。でも私、どんなイヌか分からなくて尋ねたら『大きくて毛がふさふさだよ』というんです。だから『それじゃあ僕と真逆だね』って言ったら笑ってた。あれ、愛想笑いだったのかなあ……」
微妙なボケを交えつつ、明るく話すこーきちくん。ただ、若い頃はかなり大変だったという。
「気がついたら病気になってしまって、25歳から35歳までずっと入院生活を送っていました。ほとんど外出できないし、あの頃はつらかったですね。走ってくる車に飛びこもうとしたこともあります。でも本気じゃなかったから、かすり傷ですんだけど」
人生の歯車が狂い始めたのは高校生の時。女手一つで育ててくれた母親が自ら命を絶った。
「今でもはっきりと覚えています。兄から電話で『すぐ来いって』呼び出されて……。当時私も反抗期で口ごたえばかりしていました。母が苦しんでたことは知っていたのに、なんでもっと優しくできなかったのかと罪悪感でいっぱいになりました。その後、友達と話すのもしんどくなって、高校を中退しました。飲食店でバイトをしましたが、同僚やお客さんがなぜか怖くなって続けられませんでした。今思うと、あの頃から病気が始まっていたかもしれません」
過酷な闘病生活。唯一の救いは、看護師さんが持ってきてくれる本や音楽だった。筒井康隆、宮本輝、ビートルズ、サザン……、たくさん受容した。
「昔から芸術が好きなんです。お笑いも。ビートたけしさんが大好きで」
一度だけ、病院に内緒でお笑いオーディションを受けに上京したことがある。審査員から滑舌に問題があると言われて落選。絶望。それでも、その夜、気づいたらまたネタを書いていた。
長いリハビリを経て、こーきちくんは「アマチュア芸人」としての創作活動を増やしていった。仕事でも目標を一つ達成。半年間の講習を終え、50歳を前にヘルパーの資格を取得した。
そして、2018年は忘れられない年となった。
お笑い仲間と、初めてM-1グランプリの予選に出場した。むろん初戦敗退だ。
年末には、ライブイベントの前説を任された。30人ほどの客を前に5分間、スベリっぱなしだった。でも、わずかだが、芸人として初めて謝礼をもらった。
今から「成功者」になれるかと問われれば、自信はない。十分な努力をしているかも微妙だ。だけど、挑戦することは本当に楽しい。「他人がどう思うか分からないけど、私は自分の『波乱爆笑』人生に満足しているんです。100点ですよ。後悔はないかって? 過去があったからこそ、今の充実感があると思っています。あ、あと彼女ができればもう言うことないんですけどね」
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