連載
#23 みぢかなイスラム
イランの正月、日本と案外似ている!? 十二支あり、お年玉あり……
中東のイランと日本のお正月が似ている。と聞いたら意外じゃないですか? 物理的な距離だけでなく、文化的、心理的にも、正直に言って縁遠い国。けれど、正月に関しては似ている部分もあるんです。(朝日新聞国際報道部・神田大介)
私はテヘラン特派員として、2013年から2017年にかけてイランに住んでいました。
顔つき(目パッチリで鼻が高い)、食事(代表的な肉はヒツジで果物はザクロ)、服装(真っ黒い服で全身を覆う女性が多い)、宗教(イスラム教シーア派がほとんど)、文字(ペルシャ文字で右から左へ書く)など、ことごとく日本とは異なっていました。
逆に日本でも、漢字は中国、仏教はインド、カステラはポルトガルから……と外国由来ながら日本に根付いたものもあります。クリスマスやハロウィーンもそうですね。ところが、イランとなるとなかなか見あたりません。
それなのに。
なんとイランにもありました。ピン札が好まれるのも日本同様ですが、あいにく銀行で古いお札を新札に替えるようなサービスはありません。
そこを狙って、正月前になるとピン札を扱う業者がバザールなどにこっそり現れ、正価よりちょっと高く売っていたりします(違法)。
日本と違って子ども以外にも渡します。基本的には年上が年下に渡すものですが、独立した子どもが親にお年玉をあげることもあるとのこと。
意外なことに、辰(たつ)がクジラになるのを除くと、あとは順番もすべて同じです。
モンゴル帝国の治世(13~14世紀)にイランにも広まったそうです。年の瀬のバザールでは、来年の動物をモチーフにした置物を売っています。ただ、年賀状にえとを描くという習慣はあまりないとか。
イランでは家族の絆が日本に比べてずっと強いこともあり、正月前後の交通機関は帰省客とUターン客でいっぱいになります。海外から戻る人や、新年休暇(およそ2週間)を海外で過ごそうとする人たちで、航空券の価格は2~3倍にはね上がることも。
日本では廃れつつありますが、親族や友人宅を互いに訪ねあうほか、上司や近隣の年長者にあいさつ回りをする習慣も残っています。
来客をもてなすため、年末になると菓子やナッツ、果物など食材の買い出しに追われます。そのせいでバザールが混雑を極めるのも、日本の光景によく似ています。
この習慣も同じ。正月用の特別なカードも売り出されます。最近はソーシャルメディア上でのメッセージで代替する人が増えているところも日本とそっくり。
貧しい人々にも豊かな正月を過ごしてもらおうと、募金活動が活発化します。イスラム教が「喜捨」を義務付けていることもあり、かなり大規模です。
ちなみに年末には墓参りに行く人が増え、そんなところにも日本っぽさが。
しめ縄を張ったり門松を立てたりはしませんが、似た風習が。皿に麦や豆を並べて発芽させ、青々とした新芽のひとかたまりを飾ります。実り多い一年になることを祈念するもので、「サブゼ」と呼びます。
このほか、「S」の発音がつくものを七つ集めると縁起がいいとされています。
りんご(シーブ)、にんにく(シール)、麦芽のお菓子(サマヌ)、硬貨(セッケ)、酢(セルケ)、赤い香辛料(ソマーグ)、ナナカマドの実(センジェド)、ヒヤシンス(ソンボル)など。皿に盛るなどして飾ります。すべて意味があり、りんごは美と健康、酢は長寿の象徴なんだとか(諸説あり)。
さらに、金魚ばち、殻をカラフルに塗ったタマゴ、鏡、ろうそく、時計など、実にいろいろなものを飾り付けます。だいたいはテーブルの上にずらりと並べてあるので、年末年始のイランではよそ見に気をつけてください。
新年をすがすがしく迎えるため、家中をピカピカにみがき上げます。イラン人は清潔好きで知られ、「ハーネテカーニ」と呼ばれる重要な行事。ペルシャ語で「家をひっくり返す」という意味なんだとか。
イランの特産と言えばペルシャじゅうたん。年末になると、洗濯された巨大なじゅうたんが物干しざおからしずくを垂らす光景を、あちこちで見ることができます。
さすがにいません。でも、黒い顔で赤い服を着た「ハジ・フィールズ」というキャラクターがいて、タンバリンのような形の太鼓を打ち鳴らしながら、にぎやかに歌ったり踊ったり。正月が近くなると、この扮装をした人が街角に現れ、チップをねだってきます。
ほかに「アム・ノウルーズ」という白いあごひげのおじいさんもいて、こちらはサンタクロース似。
……はありませんが、年末年始に食べる定番料理はあって、白身魚と香草のピラフ。肉厚なボラの一種を揚げ焼きにします。
香草はコリアンダーやディルなどをたっぷり使い、春の芽吹きを祝います。ほか、各地域や家庭ごとに正月になると決まって食べる料理があり、たとえば北部では塩漬けにした魚だとか。
……もありませんが、年始には麺類を食べる習慣があります。「アーシェ・レシュテ」といい、ひよこ豆やレンズ豆と、ホウレン草やニラ、パセリなどの野菜類を煮込んだスープに、日本人の舌にはゆで過ぎとしか思えない麺が入っています。
という具合で、日本とイランの正月の間には、意外なまでに共通点が多いんです。
クリスマスにお株を奪われつつある日本より、むしろイランの方が正月を大事にしていると感じることもありました。というのも、イランでは珍しく「人が死んだ日」ではない祝日だからです。
イランの祝日はおしなべて暗く、最大行事のアシュラは、イスラム教の預言者ムハンマドの孫が殉教した日。殺害の様子を描いた劇が上演され、人々は嘆き悲しみ、鉄の鎖で自分の体を打って哀悼の意を表します。ほかにも、宗教指導者の命日が多いんです。
ですが、イランの正月(ノウルーズと呼ぶ)は、イスラム教がこの地に伝来する前からあった行事。宗教の戒律や体制による締め付けなど、ふだんは何かと窮屈な国。理屈抜きで幸せを享受できる正月のあいだ、イランはひときわ輝いています。
でも、ぜんぜん違うところもあるんです。
実は、イランの正月は1月1日ではありません。イランでは西暦ではなくイラン暦が使われ、その元日は日本で言う春分の日になります。年によって違いますが、3月20日か21日です。
西暦の1月1日は、イラン暦では「10月11日」ごろ。単なる平日で、特別なことは本当に何もありません。都市圏の若者を中心に欧米のライフスタイルを採り入れる動きが進み、クリスマスやハロウィーンにパーティーを開く人もいましたが、西暦の新年を祝う人を見たことはありませんでした。
やっぱり、イランは遠い国なんですよね。
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