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オウム死刑執行、僧侶たちはどう受け止めた? ネットに集まった思い
平成が終わる今年、大きな注目を集めたのが、松本智津夫元死刑囚らオウム真理教元幹部の死刑執行です。教団による一連の事件と死刑執行という結末について、伝統仏教の僧侶たちはどのように受け止めたのでしょう? お坊さんのQ&Aサイト「hasunoha」で意見を募ったところ、自分たちの活動への反省や、宗教の持つ力への恐怖など、率直な声が寄せられました。平成を揺るがした大事件を、僧侶の言葉から振り返ります。
この質問に対しては、伝統仏教が「葬式仏教」などと言われている問題をあげる声が出ました。
円通寺・邦元さんは「世の中の仏教の印象は文化的なものばかりで現実に触れるのは、葬式は法事ばかり。そこに救いを感じることはできなかったのでしょう。目の前で「こっちの教えは救われるよ」とはっきり示していたオウム真理教の方に自然と意識が向いたのでしょう」と投稿しました。
また、高学歴の信者が多かったことよりも「一般社会からこぼれ落ちた人たち」だった点を重視した上で、「そのような方々の受け皿」に伝統仏教がならなかったことを指摘する人も。
法覚寺の吉武文法さんは「たとえ教義の内容や教団運営の方向性に問題があったとしても、救いを求める人の要求に真摯(しんし)に答えようとする何かがあったのでは」と振り返ります。
真行寺・亀山純史さんは「超能力」に注目します。信者の若者たちが「超能力を得ることで将来への不安を解決できると持つようになったのでは」と指摘。「それに対して、伝統仏教の宗教行為は形骸化してしまっており、人々の具体的な不安や悩みに答えるような土壌がなかったと思われる」と述べました。
事件を知った時の気持ちについて「怒りの感情」と「自分もそうなるか分からない」という恐怖を覚えたと告白しました。
当時、高校生だったという円通寺・邦元さんは「どうして見るからに怪しげな宗教に流されてしまう人がいるのか、しかも高学歴といわれるような人が数多く入信していると知り、当時の伝統仏教の中の救いが伝わっていないことを感じていました」
大学生だった善通寺・海老原学善さんは「ニュースから映し出される画像を見て、怒りの感情が湧き起こりました。しかしその半面、自分もいつそうなるか分からないという、えたいのしれない恐怖にも駆られました」と複雑な心境を語りました。
当時と現在の変化については「宗教という言葉に色がついてしまった」と感じ、「宗教と名前が付かないほど、色も匂いも名前もないものであることを伝えていきたいです」という思いが寄せられました。
往生院六萬寺・川口英俊さんは「事件後から宗教・信仰への警戒、アレルギーが顕著となり、いまだに根強く残ってあること。しかし、今後の世界、国、社会の不安定さによっては、第二、第三のオウム真理教が、またこの国において出てくる潜在性は、さほど変わっていない」と語ります。
大慈さんが指摘するのは「多様化」です。年配の人が「一般論よりも、お坊さん自身の人生経験による血の通ったオリジナルの話」と求める一方、若者は「お坊さんの自分語りなんか興味ない。仏様の言葉や体系的な教義を教えて欲しい」という感覚の人が少なくないと言います。
大慈さんは、伝統仏教が世間のニーズの変化に無関心でいることで、また同じような事件が起きてしまう後悔を繰り返してはいけないと訴えます。
これからの宗教の役割については、お寺に敷居の高さを感じさせてしまっていることを「変えていかなければならない」と指摘。「仏教は実は身近なもの」「生きにくい社会にも働きかけていく」という決意が書き込まれました。
円通寺・邦元さんは「仏教は実は身近なものであることに気づいてもらえるようにしていくこと」を挙げます。
インターネットの活用をすすめる意見もありました。
大慈さんは「(昔ながらの)パイプにつながっていない人たちには全く伝わらない状態を引き起こしています」と指摘。「コミュニケーションの種類、量を増やしていくこと」ことの大切さを訴えていました。
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