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オウム死刑執行、現役の僧侶が恐れること ネットに集まる現代の悩み
平成という時代を揺るがしたオウム真理教の事件をめぐり、今年、松本智津夫元死刑囚ら元幹部の死刑が執行されました。僧侶である井上広法さんは、オウム事件当時は普及していなかったインターネットを使って人生の悩みに答える「hasunoha」を運営しています。「オウムを生んだ社会は、今も変わっていない」と語る井上さんの言葉から、伝統仏教が果たせる役割について考えます。
そんな井上さんが、オウム事件の死刑執行を知った時、考えたのは「オウムを生んだ社会は、今も変わっていない」ということでした。
悩みを抱えている人に対して社会は今も「見て見ぬふりをしている」という井上さん。
「第2、第3のオウムは、実は生まれているかもしれない。でも、それは前よりも小さくなっていて、見えないだけかも」と感じているそうです。
なぜ、オウム真理教の信者だった人たちは、伝統仏教に救いを求めなかったのか?
井上さんは「お寺が風景の一つになっていた」と指摘します。
「風景は背景。あるようで存在していないようなものになっていた」
その理由は「チャンネルの少なさ」にあったと言います。「お寺が人と接するのは死んだ後だった。仏教の知見はそれだけじゃないのに、悩みを持っている人の受け皿になっていなかった」。
井上さんは、今の時代、世代によって様々なチャンネルが必要だと訴えます。
「30代ならマインドフルネスのようなものがフックになるかもしれない。子育て支援でもいい。60代なら健康。それぞれの世代の引き出しチャンネルがあるはず」
もともと、寺子屋など地域と密着していた存在だったのがお寺でした。井上さんは「近代化の中で学校や役所の機能が切り離され、最後に残ったのが葬式だった」と言います。
家制度が崩れる中「個人主義の時代貫く哲学がお寺になかった。その空白にオウムが生まれた」と見ています。
そんな中、伝統仏教はどう進めばいいのか? 答えの一つが「hasunoha」でした。
「宗教の役割は安全安心な場を作ること」という井上さん。「一般の人のSNSでも炎上してしまう時代、本音が言えない悩みは多い。リアルなコミュニケーションがないがしろにされている」
井上さんは「『hasunoha』はお寺ではないし、宗教でもない」と強調します。
「聖と俗の縁側という特殊な存在。『聖側』にいるお坊さんは実名で答えるのに対し、『俗側』の相談者は仮名。違う世界との接点になっている」そんなあいまいな存在が救いになっていると見ています。
「どんなに悩んでいても、精神科に行くこと自体傷つく人がいます。お寺は違う。回答するお坊さんはルーチンではなく、自分の意思で主体的に参加している。そんな場が信頼を得ているのだと思います」
「お寺のリノベ」をしていきたいと話す井上さんが注目するのが、お寺の持っている「ハード」としての存在です。
「既存の仏教の最大の強さは、寺という空間持っていること。これは今から作ることはできない。ハードを意識した施策が必要」と訴えます。
「ぼくの寺で開いているラジオ体操には、隣の県からも人が来る。参加する理由は『雰囲気』。一つのゆるやかなコミュニティーが求められているのだと感じます」
「hasunoha」を始めてから6年。最初は、お坊さんに関心のある女性が主なユーザーだったそうです。
「どんなシャンプーを使っているか、というニッチな質問が多かった」
それが今では不倫や生きづらさ、性的少数者の悩みが寄せられるように。
「今の社会の反映をしていると感じます」
井上さんは「現代社会は1年で一変します。でも、お寺はそうそう変わらない」と語りました。
ハードとしてのお寺の価値もそこにあるのだと思います。
変化の激しい時代、変わらないことに安心感が生まれるのは、不思議なことではないのかもしれません。
井上さんがオウム真理教の事件から感じたのは「オウムが社会に対して感じている怒り」だったと言います。
「社会の悩みに対する受け皿になっていない、機能不全に陥っているお寺」への危機感が「hasunoha」につながりました。
「hasunoha」は現在、質問が殺到しており受付件数を制限する状態が続いています。
オウム真理教を過去のものにさせない。「ここに在るという存在、実際のお寺と同じような役割になりたい」という思いは、ネット空間で少しずつ形になっています。
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