連載
#60 平成家族
子どものために仕事やめられますか? 娘と二人暮らし、父親の決断
子どもが不登校になった時、共働きの家庭でも「子どもを見守るために、仕事をやめた方がいいだろうか」と悩む保護者は少なくありません。この悩みは、一人親家庭の場合、さらに難しい問題となります。生活していくためには、仕事をしなければならない。でも子どものことが心配で、できる限りそばにいて、関われるようにしたい――。実際に、子どもの不登校がきっかけでこの悩みに直面した経験がある男性に、話を聞きました。(朝日新聞記者・円山史)
東京都板橋区の福祉施設職員、恩田茂夫さん(54)は、長女(19)が幼い頃から、2人で生活してきました。長女は「素直すぎるぐらいの子どもだった」といいます。小学校入学前、学校で困ったことがあっても、先生に相談すれば必ず助けてくれると思っていたようでした。
ところが、小学校入学後、同級生の男子から暴力を振るわれたり、ひどい暴言を言われたりするようになりました。最初は恩田さんも、玄関で泣く長女を立たせ、集団登校の列に連れて行きました。学校にも再三対応を求めましたが、長女に寄り添ってはくれません。長女はなんとか、学校へ通い続けました。
「もう学校には行かない」
長女がきっぱりとそう言ったのは、小3の運動会が終わった9月下旬のことでした。長女への暴言や暴力は断続的に続いていたようです。恩田さんは、「娘は、先生は誰も味方になってくれず、学校にはもう、自分を守ってくれる人は誰もいない、とわかって落胆したのではないか」と言います。
恩田さんは当時、訪問介護の仕事をしていました。長女が学校に行かなくなってからしばらくは、仕事の合間を縫って自宅に戻って娘の様子を見た後、介護の訪問先に向かう日々でした。
そんな日々は、1カ月半ほど続きました。学校に行かなくなってからも、長女は自宅で時々泣いており、ふさぎ込んでいました。「この先どうしようか」と悩んだ時、恩田さんはふと思い出した場面がありました。
長女が幼稚園児だった頃のことです。恩田さんが園へ迎えに行った時、娘の同級生と撃ち合いごっこをして遊ぶことになりました。「バキュンバキュン」と拳銃を撃つまねをする男児を見て、長女が恩田さんの前に立ち、「やめて! お父さんにそんなことしないで!」と言ったのです。
学校に行かなくなってすぐ、「転校してみる?」と尋ねたこともありました。でも長女は「私は悪いことを何もしていないのだから、転校はしない」と言いました。「それはそうだ」と、恩田さんは納得したそうです。
恩田さんは考えました。「腹をくくるしかない。今大事なのはどちらなのか」と。「すでにエマージェンシー(緊急事態)なのに、その上『大好きなお父さんが自分のことを見てくれない』と思ってしまったら、娘の一番いい部分、素直で優しい心が失われてしまう」。仕事を辞めて、そばにいることを決めました。
食べていけるのか、という心配もあります。でも「今何かあったら後悔してもしきれない」という一心で、貯金を取り崩しながら生活を始めました。「彼女をひとりぼっちにしておく方が不安だった。お金がなくなったらまた働けばいい、という気持ちでした」
大学卒業後、定時制高校で教員をしていた経験もある恩田さんは自宅で全教科を教えることにしました。いわゆる「ホームスクーリング」です。朝は8時過ぎに1時間目を始め、教科書を読み、ドリルを解きます。体育は公園で体を動かし、図工は公民館で開かれるワークショップに参加。音楽では、演奏会の鑑賞にも行きました。「無料のものを探しては出かけました」と笑います。体力をつけようと、夏休みには、全国の各地を自転車でめぐる2人旅を始めました。この旅は、今も毎夏、続けています。
「ホームスクーリング」を始めて2年ほど経った頃、長女は中学受験に挑戦することを決めます。受験勉強も2人で自宅で取り組み、長女は私立の中高一貫校に入学しました。
でも、恩田さんは「もしまた何かあったら」という思いもあり、なかなかフルタイムの仕事に戻ることはできませんでした。実際、中学生になってすぐ、長女が泣きながら「お父さん、私またダメかも知れない」と話すこともありました。辛かった思い出や、学校への複雑な感情が消えるわけではないからです。
この間、恩田さんは短期や日雇いのアルバイトをしながら生計をたてました。恩田さんがフルタイムの仕事に戻ったのは、長女が高校に進学した時。不登校になって6年ほどたってからのことです。
長女は今、都内の私立大に通い、心理学を学んでいます。アルバイトや勉強に忙しく、親子の会話も以前よりは減りました。「ちょっとさみしくなりました」。恩田さんはそう言って笑います。
フリースクールを運営するNPO法人東京シューレの奥地圭子理事長は、これまで多くの保護者と接してきました。「特に一人親家庭の保護者が、学校とうまく関係を作ることは簡単ではない」と言います。例えば、学校行事で使う持ち物一つとっても、学校から家庭に求められることが多いからです。また、一人親家庭の保護者の中には「自分が立派な人間に育てあげるんだ」という重圧を抱え、「いい学校に行かせなければ」「卒業させなければ」と力が入りすぎる人も少なくないそうです。
東京シューレが開いている「親の会」でも、保護者から「仕事を辞めた方がよいか」という相談が寄せられます。奥地さんは「ある程度の年齢になれば、親がずっとそばにいなければならない、というわけではない」と言います。親のいない時間も、子どもは自分を見つめ、自身の世界を作っていくそうです。
そして、特に一人親家庭の場合、経済的な問題が生じれば、社会で支えていくべきだといいます。「少しずつ、多様な学びのあり方を認める社会になってきている。こうでなければならない、ということはない。親自身も1人で抱え込まず、つながりを求めて外へ視野を広げてみてほしい」と話しています。
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