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獄中から記者が書いた絵本 どうしても届けたかったメッセージ
今年10月、ミャンマーで1冊の絵本が出版されました。主人公は、何にでも興味を持って身のまわりのことを調べる少年記者。ストーリーは、刑務所の中にいるジャーナリストから届いたものでした。「自分の仕事の大切さを子どもたちに知ってほしい」。そんな思いに引き寄せられた人々が協力し、1冊の本を完成させました。(朝日新聞ヤンゴン支局長兼アジア総局員・染田屋竜太)
主人公は小学生のジェイジェイ。興味を持ったことは周りの人に何でもきき、時には学校新聞の記事も書きます。
あるとき、村の田んぼで米がとれなくなり、牛が死んでしまいます。
「どうしてだろう?」
いつものようにカメラを持ち、自転車に乗って調べ始めたジェイジェイは、近くの川が工場の排水で汚染されていることを突き止めます。
このことを学校新聞で発信すると、その情報はあっという間に広がり、村長さんまでが動き出し、工場の排水は止められます。
この本を書いたのは、ロイター通信記者のワローン氏(32)。昨年12月、「国家機密情報に触れた」としてミャンマーの警察に逮捕されました。
本の計画は、ワローン氏のひと言から始まりました。正式な裁判が始まる前、予審の手続き中だった6月、裁判を終えて法廷を出たワローン氏は知り合いの編集者に「絵本をつくって子どもたちに読んでほしい」と言い出したのです。
「真剣に話すのを見て、なんとか実現できないかと考えました」
ワローン氏から話を受けた「サード・ストーリー・プロジェクト」の責任者、エイピュントリザンさん(30)は言います。ワローン氏は元々、子どもたちへの読み聞かせや教育支援の活動を続けており、2人はその活動の中で出会いました。
長らく続いた軍事政権の影響で、子ども向けの本が極端に少ないミャンマーにあって、このプロジェクトは3年間で40冊の絵本を出版してきました。ワローン氏もプロジェクトの責任者に名を連ねています。
「ぜひ本を完成させよう」と編集部は即決。
ただ、拘留され、自由に活動できないワローン氏との連絡は簡単ではありませんでした。ときどき面会が許される妻のパンエイさんを通じて、どんな内容にするか話し合います。ワローン氏はこう語ったそうです。
「ジャーナリストは恥ずかしい仕事なんかじゃない。社会にとって大切。まずは知ってほしい」
ワローン氏は、ミャンマーからバングラデシュに約70万人が逃げた、イスラム教徒ロヒンギャの問題について取材しているさなかに逮捕されました。すると、ミャンマーのSNSでは、次々と心ない言葉が書き込まれました。
「あいつは(ロヒンギャの)味方だ。逮捕されて当然だ」
「国を売るような真似をするな」
妻のパンエイさんや弁護士から状況をきいたワローン氏は、心を痛めていました。その気持ちが、「記者って何?」という絵本を書く動機になったといいます。
「ただ」とエイピュントリザンさんは付け加えます。「ワローンは、自分たちが正しいという主張を押し付けたくない、子どもたちに考えるきっかけを作ってほしいだけだと伝えてくれた」
ワローン氏が手書きで書いたストーリーをパンエイさんが面会でききとり、編集部に伝える。獄中で始まった絵本制作は少しずつ進みました。
当初届いたのはA4用紙何枚にもわたる長文の物語。エイピュントリザンさんは「もっと短く。子どもたちは長い話は読めないですよと伝えた」と笑います。
ワローン氏からは「絵は、大切な友人に書いてほしい」というリクエストが届きました。
「うれしかった。いいものを書いてやろうとやる気がわいてきた」と、イラストレーターのカージーさん(32)は話します。
子どもたちに本を届ける活動をそれぞれにしていた2人は2007年、当時自宅軟禁されていたアウンサンスーチー氏の解放を求めたデモに参加し、同時に軍事政権に逮捕されます。
「同じ刑務所に入って将来のことを話し、兄弟みたいに仲良くなった」と目を潤ませるカージーさん。2011年、釈放されてからもずっと、協力して本作りなどの活動を続けてきました。
カージーさんは、「こんなキャラクターはどうだろう?」と絵を妻のパンエイさんに託し、ワローン氏に見てもらいます。
「主人公はもっと小さい子の方がいい。カメラを首から提げて、いつも自転車で動き回っている元気な子、というのはどうだろう」。ワローン氏からは次々にアイデアが届いたといいます。
「話を読むだけでなく、英語の学習にも役立ててほしい」というワローン氏の意見から、ミャンマー語の下に英語の訳をつけることも決まりました。
全体の構成を考えたのは、プロジェクトの責任者の1人、チャンニェインピューさん(30)。
「なによりも、ワローンさんのメッセージをどう伝えるかを考えた」といいます。裁判が続くワローン氏との連絡の回数は限られています。編集部はどうしたら彼の思いが読者に伝わるか、議論を続けました。
「今発展しているミャンマーだけど、その裏側という意味で、工場の排水問題を取り上げたらどうだろう」
「初めはみんなからけむたがられていたジェイジェイの好奇心が問題解決に役立つというストーリーは?」
9月、本がようやくできあがりかけていた時、衝撃のニュースが入ってきました。
ワローン氏らが懲役7年の実刑判決を受けたのです。裁判の過程で、実はワローン氏の逮捕は「警察のでっち上げだった」というのが、当の警察官からも出ていましたが、それは聞き入れられず、「国の安全を脅かした」などの理由の判決でした。
「とてもショックだった。でも、なんとかこの本は完成させないと、とみんなが必死になった」と編集責任者のエイピュントリザンさん。
10月、本ができました。1冊1500ミャンマー・チャット(約110円)。刑務所のワローン氏のもとにも妻が届け、喜んでいたといいます。
ミャンマー最大都市、ヤンゴンの下町で、「サード・ストーリー・プロジェクト」が開く小さなスペースには、毎日のように子どもたちがやってきます。
近くに住むキンタンダーウーさん(12)が、ワローン氏の絵本を手に取っていました。「ジャーナリストって難しくよくわからないけど、この主人公は好き」と言います。
「面白いことを調べようとする気持ちは大事だなあと思います。何度も読んでいるよ」
ワローン氏は無実を訴え、上訴しています。編集部には、「もう1冊本を作りたい」というメッセージも、届いているそうです。
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