話題
フィギュア選手の「英語勉強法」宮原選手やっぱり努力、羽生選手は…
フィギュアスケートの五輪2大会金メダルの羽生結弦選手(ANA)が、カナダ人コーチと堪能な英語で会話しているのをテレビで見たことはありませんか。外国メディアの取材にも英語で答えていますね。そもそも、フィギュア選手ってどうやって英語を話せるようになっているのでしょうか。選手たちの英語特訓方法を探りました。(朝日新聞大阪編集センター・橋本佳奈)
実は私、フィギュアスケートの元選手です。8歳から大学卒業まで選手として活動をしていました。練習は週に6日のため、勉強との両立は苦労しました。
フィギュアスケートはとにかく練習量が多いのです。バレエや筋力トレーニングなど氷上以外でもやるべきことは山ほどあります。練習の休み時間を利用して宿題をするためノートを広げる姿はよくある光景です。
私自身、英語を身近に感じるため、3歳から始めた英会話教室はずっと通い続けました。週1日のペースで無理のないように通いました。海外留学するお金も機会もなかったため、外国人の先生とマンツーマンで会話する機会を求めていました。
大学に進学してからは、早朝練習があったため朝2~3時間練習したあと、電車で1時間半かけて大学に行き、夕方からまた練習をしていました。
時間がなかったのと、聞くことで早く覚えるようにするため、電車の中やご飯を食べているときには、英会話の時事ニュースのCDや、単語帳を読み上げたCDを聞いていました。
練習と英語の日々は、過酷でした。日本代表ともなると氷に1日6時間以上乗ることはざら。いったいどんな勉強法なのかというと……。
まず羽生選手。英語のインタビューに答える様子は動画サイトにたくさん投稿されています。2年前の2016年のグランプリファイナルで優勝したときのこと。大会会場でファンに向けて英語でインタビューがありました。大会前の心境、若手が台頭してきたこと、日本から来てくれたファンに対しての感謝について、すらすらと語っていました。
ところが、もともと羽生選手は英語が得意ではなかったようです。
私が記者2年目で仙台総局にいた2010年、羽生選手がまだ15歳で出身地の仙台を拠点に練習していたころ、取材をしました。世界ジュニア選手権で優勝した直後のことです。
当時からとても聡明で、はきはきと話していて感心しました。フィギュアのことを聞き終えると、最後に勉強の話になりました。東北高校で成績は良かったといいます。
「スケートも勉強もできるんだね」と言うと、彼は「いや、僕は英語が苦手なんですよ。これから世界に出ていくのに、話せるようにならないとだめなんですよ」言っていたのを覚えています。
そのとき私が取材した記事の一部をご紹介します。
実際この後、2012年の春からカナダにスケート留学し、今は英語がぺらぺらです。コーチと対話する中で覚えていったのでしょう。
「羽生式英語術」は、ずばり、留学。若い頃から外国人の中に飛び込んで生の英語を上達させる。チャンスがある人は、この方法が早いのかもしれません。
次に宮原知子選手(関大)。全日本選手権4連覇中で平昌五輪女子シングル4位。時間を惜しんで努力する、地道に文武両道を突き進む象徴のような選手です。
とにかくスケートの練習は、誰よりもストイックです。
彼女が15歳のころの6年前から取材をしてきましたが、氷上ではほとんど休むことなく動いています。いつも早く来て、毎日6時間近く練習し、氷の外でもトレーニングに励みます。
宮原選手が7歳の時から指導している浜田美栄コーチは「不器用で人の3倍も努力しないとできない。でも4倍もする選手」と話します。
それが、勉強でも努力家。幼少期アメリカで過ごしましたが、7歳に帰国してからも勉強を怠りませんでした。
そんな宮原選手の特技はずばり「英会話」。学校の勉強だけでなく、特に英語に力を入れて、英語塾にも通っているとのこと。海外に毎年振り付けやジャンプの練習に行くと、コーチとは英語でやりとりしています。
「未来ノート」の連載では、宮原さんの英語の勉強の向き合い方について詳しく紹介していますのでご覧ください
「宮原式英語術」は、努力。朝日新聞の記事では、宮原選手が小学生の時、英語で書いた「将来の夢」が紹介されています。そこで書かれていたのは「スケートで五輪に行きたい」。努力するべき目標があること。これが結局、一番の近道なのかもしれません。
アイスダンスの平昌五輪代表の村元哉中選手(木下グループ)は、国内のインターナショナルスクールに通いました。目的は英語の習得。両親は日本人でしたが、あえて厳しい道を選びました。
母親の智美さんに平昌五輪の前に取材した際、「私たち夫婦は日本で生まれ育ったからこそ、もっと英語を話せればと感じました。これからの時代はやっぱり英語が話せないと」と話していました。
もともとシングルの選手で、12歳から宮原選手を教える浜田コーチに師事していました。
高校まで通ったインターナショナルスクールは、幼稚園や小学生でも留年があるほど、厳しかったようです。
毎日、京都の練習場から兵庫の自宅に帰るのは、深夜0時過ぎ。それから宿題をすると、平均睡眠時間は3時間4時間でした。
それでも、結果的インターナショナルスクールで培った語学が生きました。2014年にアイスダンスに転向すると、トップ選手や指導者が集うアメリカを拠点に移しました。
当時のパートナーは、英語を話すクリス・リード選手。そして、村元選手は平昌五輪出場を果たしました。村元さんはブログで「(パートナーとの英語での)会話もバッチぐー。逆に日本語が少し苦手です」と自己紹介していたくらいです。
「村元式英語術」。それは、あえて厳しい道を選ぶこと。やらなきゃいけないと思っても、腰が重くなりがちにな英語の勉強。村元選手のストイックさを思い出せば、つらい時も踏ん張りがききそうです。
羽生選手のように、国内で力を付けた選手が海外の有名コーチの指導を受けるために海外に移籍することは近年めずらしくありません。
国内で練習している選手でも、1年の半分以上あるシーズン中にグランプリシリーズや世界選手権など多くの大会に出場し、海外の選手と交流する機会がたびたびあります。
英語が話せれば、海外のトップの指導者や選手と直接コミュニケーションを取ることができます。可能性が広がるのです。
取材を通して感じたのは、結局、目標を持っている人は前向きに頑張れる、ということ。第一線にいる選手たちは、大変なはずなのに、目がきらきらとしていたのが印象的でした。
「自分も頑張らなくては」とあらためて元気をもらいました。
1/19枚