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がんになった音楽プロデューサー 「余命1年」告げられ、考えたこと
余命を宣告された人は、どんな気持ちで自分と向き合っているのでしょうか? 1年半前、音楽プロデューサーのSolayaさん(37)はがんのため「余命1年」と告げられました。東方神起やSKE48に楽曲提供をするなど活躍してきたSolayaさん。「身近な幸せに耳を澄ます大切さに気づいた」と話します。一時は引退を決めましたが、病と闘いつつ、音楽に向き合い続けています。
2017年7月1日、全国ツアー初日の都内のコンサート会場。ステージ下でカメラを手に、Solayaさんは自身がプロデュースしてきた歌手の朝倉さやさん(26)の演奏を見守っていた。これまではほぼ全てのステージにともに立ち、ギターやピアノを演奏してきた。しかし、余命宣告を受け断念。悔しさをファインダーに閉じ込めた。
最後のアンコール。朝倉さんがアカペラで歌ったのは「東京」だった。2人で作り上げたデビュー曲。澄んだ歌声に多くの観客が涙していた。悔しさと誇らしさがないまぜになり、思った。
「あの場所にもう一度立ちたい」
全国ツアーの半年前の2016年12月、大腸がんと肝内胆管がんが発覚した。知人に偶然勧められた人間ドックがきっかけだった。「『なんで俺が』って。でもその時は手術で完治すると思っていた」
進行が速く、翌年2月に手術をした。だが現場復帰の直後、4月に大腸がんの肝転移が判明。医師からは「余命1年」と告げられた。36歳だった。
「最初のがん発覚より、再発と余命宣告はダメージが段違い」。所属アーティストは朝倉さんだけの小さな事務所。妻でマネージャーの山本夏海さん含め、3人で実績を積んできた。いま自分が死んだら、朝倉さんの活動はどうなるのか。不安がよぎった。
アーティストに楽曲提供をする一方で、都内で音楽教室を運営していた。2012年、そこに生徒として訪れたのが朝倉さんだった。小中学校で民謡日本一に輝き、高校卒業後、18歳で歌手を夢見て山形から上京。都内のホテルで働きつつ、デビューの糸口を探っていた。
初回の授業で宿題を出した。「とにかく曲を作ってきて」。どんな音楽感を持っているか知りたかった。数日後、教室を訪れた朝倉さんはぐいっと顔を近づけ力強く歌い出した。東京で故郷の山形を思う気持ちを、民謡のこぶしで奏でた。
「うそのない曲、真心が伝わる曲だと思った」。それが「東京」の原型だ。朝倉さんの曲や歌声を広く伝えたい、と思った。
だが、どのレーベルに持ち込んでも「民謡は売れない」と一蹴。それならばとレーベルを立ち上げ、1年がかりで「東京」を完成させた。
Youtubeなどで評判を呼び、その後も民謡とポップスなどを組み合わせた曲を続々と発表。朝倉さんは2015年に「日本レコード大賞」企画賞を受賞した。
約6年間、一番近くで朝倉さんの成長を見てきた。
「彼女の歌声を大勢の人に聞いてもらいたい」
その思いから、余命宣告後も、抗がん剤治療を続けながら曲を作った。抗がん剤治療の合間に、スタジオで作業したり、病室にパソコンを持ち込んだり。抗がん剤による嘔吐(おうと)や痛みに加え、指はむくみギターを持つのも難しかった。
苦しさの中で思い出したのは、全国ツアーでの朝倉さんの歌う姿だった。「もう一度ステージに」と自身を励ました。
治療のかいあってか、腫瘍(しゅよう)は小さくなってきた。そして今年6月、Solayaさんはステージに戻ってきた。治療で太く筋張った指でピアノの鍵盤を打つ。朝倉さんの歌声に合わせ、1小節1小節をかみ締めるように。
ただ、まだがんは寛解していない。いつかがん細胞は、今効いている抗がん剤にも耐性を持つかも知れない。次の抗がん剤は効かない可能性もある。
それでも、「やっと戻ってこられた」と力強く語ったSolayaさん。11月のステージを最後に楽曲製作やプロデュースからの引退を決めていたが、体調の許す範囲で今後も音楽に携わり続けたいという。
「がんになり、一日一日が大切になった。晴れているだけで幸せだなぁって。身近な幸せに耳を澄ます大切さに気づいた。そうした思いを生かして、命が続く限り多くの人に感動を届けられれば」
JR渋谷駅から宮益坂方面に歩いて約15分。雑居ビルの中にそのスタジオはありました。「Solaya Label」。約10畳のフロアには5本ほどのギターにキーボード、パソコンのディスプレー。それに、くたびれたソファがぽつりと置かれていました。
収録は、大人ひとりが立つのがやっとの箱形の防音室で。そんな場所で、朝倉さやさんとSolayaさんは二人三脚で曲作りをしてきたといいます。
取材当日、Solayaさんは抗がん剤治療を終え、退院したばかりで事務所を案内してくれました。治療で赤黒く染まった肌を隠すため、マスク姿。髪もきしみ、写真で見た闘病生活が始まる前の姿とは印象が違います。
「手がむくんでギターも弾きづらい」
そう話しつつも、いざ作曲や音楽への思いを語り始めると、生き生きと新アルバムや全国ツアーの話をしてくれました。
一方、がんの話をする時はどこか淡々。余命宣告されてもなお音楽に前向きに向き合えるのはどうして――。そう尋ねると、少し考え答えました。「正直、再発して余命宣告されたときはガツンと来ましたよ」
宣告を聞いて、まず頭をよぎったのは、自分の病気のことではなく、事務所のこと、朝倉さんのことだったと言います。
「朝倉さんはこれからもずっと歌い続けなきゃいけない人。その環境を作ってあげることがまず頭をよぎった」。苦しい抗がん剤治療に取り組む一方、音楽業界の関係者と会い続け、万が一の事態に備え、朝倉さんが音楽活動を続けられるよう関係作りを進めたと言います。
そんな話を聞いていて、思いました。もし自分が同じ立場に置かれたらどう思うだろう。誰かのことを考えることが出来るだろうか――。
取材の終盤、朝倉さんが歌う様子を撮影させてもらいました。Solayaさんのギターに合わせ、心地よさそうに歌う朝倉さん。その姿を優しい眼差しで見つめるSolayaさん。自身の志に全てを捧げられるプロの姿を垣間見た取材でした。
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