連載
「自分らしい人生」って?「エモい障害者アート」映画から考えてみた
自分らしく生きることは難しい――。そんな「お決まり」の障害者イメージを打ち崩すドキュメンタリー映画が公開されています。主人公は、一心不乱に絵や粘土細工を手がける知的・精神障害者たち。画面にはじける情熱から生まれた作品は、「エモさ」満載です。作中では登場人物たちの日常も描かれ、等身大の人間の姿を伝えています。「頑張ってはいない。好きなことを続けているだけ」。そう関係者が評する「障害者アート」の今に触れた記者が、人生のあり方について考えてみました。(withnews編集部・神戸郁人)
「地蔵とリビドー」と名付けられた、この映画。88人の障害者たちが通う、滋賀県甲賀市の通所施設「やまなみ工房」で撮影されました。約60分間、創作にいそしむ施設のメンバーと、その周辺の人たちとの関係を映し出します。
「目、目、鼻、口……」。映画の冒頭、前方に鋭い視線を注ぎ、同じフレーズを唱え続ける吉川秀昭さん。陶土を糸で切り出し、鉛筆で顔のような形に穴を開け、次々と棒状のモニュメントに仕上げていきます。
「よう頑張ったな、日本一やな!」。後半に登場する山際正己(やまぎわ・まさみ)さんは、自分を励ましながら粘土と向き合います。30年以上手がけているのは、タイトルにもなっている、土偶に似た「地蔵」。時にCMソングを口ずさみながらの創作活動は、どこか楽しげです。
やまなみ工房では、「画家」も自由に振る舞います。岡元俊雄さんは、寝転がりながら、割りばしの先につけた墨で人物画を製作。自分だけのアトリエで、おもむろに跳ね上がったり、また寝転んだり。一つ一つの動作が、次の筆致を定める儀式のようです。
カメラが追うのは、創作に関わる人だけではありません。中でも、手に持った即席ラーメンの袋を、じっと見続ける女性は印象的です。誰かに袋を取られそうになり、さっとかわす姿は、人それぞれに「生き方の流儀」があると伝えています。
メンバーたちの作品は、社会でどう受け入れられているのか。そんな疑問に答えるアート関係者たちの声も、映像で紹介されます。
「どの作品にも、内的な衝動や圧力が感じられる」。あるアートディーラーの女性の評価です。アメリカなど海外のアート市場では、「(作品に)作り手としての『真実』があるかどうかが重視され」、メンバーが手がけたものの需要は高いと話します。
別のファッションデザイナーの男性は、製品の柄に、メンバーのイラストを採用しているといいます。「国内外のバイヤーに、驚きをもって受け止めてもらえる。ファッションと非常によく合うと思いますね」
障害者は守られるべき存在――。そんな固定観念から距離を置き、豊かな能力を受け止めた人たちの本音が次々語られます。
映画の監督は、クリエーティブディレクターとして、大阪市の広告会社に勤める笠谷圭見(かさたに・よしあき)さん(49)です。2011年に起きた東日本大震災を機に、障害者の創作物を広めるクリエーター団体「PR-y」(プライ)を立ち上げました。活動の一環でやまなみ工房に通い始めたのは、12年5月のことです。
思い思いに創作する、障害者メンバーたち。作品はどれも、常識にとらわれない発想やこだわりに満ちていました。笠谷さんの胸には「絶対まねできない、負けた!」という、すがすがしい感動が湧き上がったといいます。
「あの人たちの活動には『誰かのために』という目的が無いんです。手がけていたものができあがると、興味を失ってしまいます。やりたいことをやっているだけ、だから純粋で面白い。ファンを少しでも増やせないか、という気持ちになりました」
メンバーの写真集などの製作・販売を経て、昨年6月から、約10カ月間を撮影に費やしました。笠谷さんがカメラに収めた人々の障害は、自閉症やダウン症、そううつ病など多様です。しかし作中で、その内容が明らかにされることは、ほとんどありません。
「障害があろうと無かろうと、いいものはいい。作品に力があれば、必然的に評価されるものです」と笠谷さん。ことさらに周囲との「違い」を暴くのではなく、そこから生まれる価値をこそ描きたい。そんな思いが、演出に現れていたのです。
こうした笠谷さんの方針は、やまなみ工房の施設長、山下完和(やました・まさと)さん(51)の価値観にも変化をもたらしました。
30年近く勤め続け、施設のメンバーには古くからの顔なじみがいます。高齢になっても、自分の名前を満足に書けない人も少なくありません。
「一緒に年をとってきたのに……」。事情を理解しているつもりでも、つい複雑な感情を抱いてしまうのは、一度や二度ではなかったといいます。しかし笠谷さんと関わってから、一人一人に秘められた可能性の大きさを知りました。
きっかけの一つは、メンバーの絵を元に洋服を作ったこと。笠谷さんを通じ、デザイナーの手を介し完成したコートやジャケットの中には、10万円近い値段で販売されたものもあったそうです。国内のみならず、欧州や中国など10カ国以上でも受け入れられました。
「障害者本人が変わらなくても、社会に参加し、世界中の人々と関わることができる。そのままでいいんだ、と思わせてもらった気がします」
そんな山下さんにとって、特に印象に残っている映画のワンシーンがあります。プロのカメラマンが、メンバーのポートレートを撮る最終盤の場面です。
薄暗い部屋に集まったのは10人ほど。ジャケットやストール、ハットなどを身につけたオシャレな姿です。バイオリニストの即興演奏をBGMに、陽気に踊ったり、おどけてみたりしながら、生き生きと撮影を楽しみます。
実はこのシーンについて、山下さんには不安がありました。施設で感情を高ぶらせることが、しばしばあるメンバーたち。慣れない作業を嫌がり、自分を抑えきれなくなるのでは――。しかし、カメラにはじけるような笑顔を見せる様子から、余計な心配だったと悟ります。
「これまで、彼らのあんな表情を見たことがありません。『当人が疲れるから、人混みや知らない場所に行かせない方がいい』。そんな風に、いつの間にかそれぞれの思いを縛っていたと気づかされました。最も身近で過ごしてきたはずなのに、不思議なものですね」
障害者を不幸にするものがあるとすれば、周りの環境や、他人の過剰な配慮なのかもしれない。そして、自分にとって嬉しいことを施してくれる社会は、誰しも居心地の良さを感じるはず――。
山下さんはそんな実感から、メンバーが笑顔で日々を過ごせるよう、今まで以上に力を尽くしたいと考えています。
障害者の生き様を、ありのままとらえた「地蔵とリビドー」。作品が描き出すのは、福祉や保護の対象ではなく、一人の人間としての姿です。
笠谷さんは「見る人には『障害があっても頑張っている』と思うのではなく、まずは面白がってもらいたい」と強調します。
作中で、障害や障害者との向き合い方に関し、明確な結論は示されていません。
「社会の中で存在を隠されがちだった彼らは、どんな人たちなのか?」
「私ならどう関われるだろう?」
そんな事柄に思いを巡らせ、観客自ら回答を見つけて欲しい、という意図が下敷きになっています。
こうした問いへの取り組みは、とりもなおさず、自分自身について考えることでもあります。映画に対する感動の、もう一歩先にある「答え」。どうやってたどり着くかは、受け手に委ねられているのです。
「自分らしく生きるって、どういうことだろう?」。映画を見終わった後、私の脳裏にそんな疑問が浮かびました。
作中で施設のメンバーたちは、感性を最大限に生かし、社会にインパクトを与えていました。その存在は、どこか「特別」にも映ります。しかし私は、むしろ彼らの日常に目を引かれました。
創作活動の合間に、一人黙々とカレーをかき込む。鼻歌を歌いながら、日課であるゴミの仕分け作業に取り組む。カメラが丁寧に切り取った姿は、アーティストというより「生活者」であり、芸術も暮らしの一部でしかないと気づかされました。
人の数だけ、暮らし、そして人生があります。現実には、全ての障害者がアート作品を生み出せるわけではありません。そうした人々に、どんなまなざしを向けられるのか。このことをこそ、映画から問われている気がします。
私には、幼い時に仲が良かった、年上の友人がいます。知的障害がありましたが、ひょうきんな人柄が魅力的な「普通の」お兄さん。一緒に歌を歌ったり、近所を散歩したりしていました。
ところが、私が成人する頃、こつぜんと姿を消してしまったのです。後に風のうわさで、遠い場所にある福祉施設に、一人で移ったと聞きました。以来、顔を見ていません。
ともに育ちながら、なぜ同じ地域で生きられなかったのだろう?理由をあれこれと想像しても、かみ切れない思いが、ずっと胸の奥につかえています。そして、こうも考えるのです。自分が何らかの障害を負い、何も創り出せない状態に陥った時、社会の中でどう位置づけられるのか、と。
人々を感動させ続ける、芸術的才能。そんな「特別な」能力は素晴らしいものです。他方、生産活動を行えるかどうかだけが、人間の価値基準となるような世界で、幸せな一生は望めないとも感じます。
「メンバーたちは、決して頑張ってはいない。好きなことを続けているだけ」と、山下さんは話していました。
自分らしく生きる上で、「特別」であるか、「普通」であるかの区分けに意味はありません。その前提を認めることが、巡り巡って、誰しもの毎日を豊かにする。映画を見た今、そう思っています。
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