連載
#49 平成家族
修学旅行にクール宅配便で弁当 アレルギーの息子の命守りたい、でも
赤ちゃんの10人に1人、小学校ではクラスに1人くらいに何らかの食物アレルギーがあると言われます。重いアレルギー反応は生命に関わるだけに、細心の注意を払いながら毎日食事を作る親たち。でもこれって母親だけの仕事? もやもやを抱え、食と向き合う人がいます。(朝日新聞記者・松本千聖)
小学6年生の長男(12)を育てる関東地方の女性は、この夏、息子の修学旅行の宿泊先に、クールの宅配便で弁当を届けました。コロッケやウィンナー、デザート、サラダに添えるドレッシングまで、なるべく宿の献立に近づけました。
食事に万一、アレルギーの原因となる物質が含まれていたら――。その心配からでした。
長男は赤ちゃんの頃からアトピーが、その後、卵や牛乳、小麦などへのアレルギーがわかりました。保育園はアレルギーへの対応に慣れていて、こうした食べ物を除去した給食を出してくれました。ですが、小学校に入ると状況が一変しました。
「調理場では小麦が舞うこともあるかもしれない。命にかかわりますので」
学校側から、弁当の持参を打診されました。2012年に東京都調布市で小学校の給食を食べてアナフィラキシーショックを起こした女児が死亡する事故があった直後。教育現場もピリピリしていたといいます。
入学後、毎日、弁当を作るようになりました。「みんなと同じものが食べたいだろう」と思い、前日に献立表をチェックし、なるべく同じメニューになるよう努めました。前もって作るものを決め、買い物に。毎日欠かさず作ることへのプレッシャーを感じます。
自分の仕事もあり、次第に弁当づくりが大変に。果物だけでも出してほしいと学校に頼みましたが、調理中の小麦などが混入する危険があると断られました。「ラップをしておくなりして対応してくれれば……」。そう思いつつ、学校との関係が悪くなるようで言い出せませんでした。
長男は5歳ごろから、検査で問題がないとわかった食べ物をごく少量、自宅で食べ続け、克服をめざす治療を続けていました。たとえば小麦は、長さ1ミリのそうめんを毎日食べることから始めます。体調などによっては自宅でアレルギーの症状が出る可能性もあり、気をつかいます。
大人用に作ったものを間違って食べさせて、アレルギー症状が起きたことも。「一つ一つ丁寧に」と、キッチンに手書きで貼り紙をしました。
「一番の主治医はお母さんだから」。何げない主治医の言葉も、日々の食事づくりに追われる女性には、追い打ちとなりました。
治療のかいあって小麦を克服した長男は、2年生からは給食もアレルギー対応のメニューなら食べられるようになりました。弁当作りから解放され、ほっとしたといいます。
ですが、数年後のある日、学校から電話がありました。「苦しいと言っているのでエピペンを打ちます」
長男は給食後に体にじんましんが出て、息苦しさを訴えました。症状を和らげるために、携帯しているアドレナリンの自己注射を先生が打ち、長男は救急車で病院に運ばれました。
アナフィラキシーと呼ばれる急性の激しいアレルギー症状。生命の危険も伴います。女性は生きた心地がしませんでした。仕事先から病院に駆けつけると、幸い長男はじんましんのあとはありながらも元気でした。どこで給食に牛乳や卵が混入したかは不明でした。
5年生で、再び弁当を持参することになりました。
昨年9月、長男が2泊3日の移動教室に出かけることになりました。「宿泊先はアレルギーに対応すると言っていますが……」と担任から連絡がありました。外食でのアレルギー対応には義務づけがなく、どこまで徹底されているかは施設によります。主治医に相談すると「ちょっと心配だから持参した方がいいのでは」と助言されました。
参加を楽しみにしている長男を行かせてあげたい。3日間ハラハラするよりいいと思い、ご飯や生野菜だけ宿で出してもらい、おかずはフリーザーバッグに詰めてクール便で送ることにしました。
宿のメニューを見て、似た献立になるように。ラベルに「2日目・朝」などと書き入れ、電子レンジで温める時間を書いたメモを添えました。冷凍食品やレトルトもフル活用。その間、会社員の夫の朝食や弁当の準備は「やらない宣言」をしました。
夫はいまは長男と一緒にアレルギー対応の店に外食に出かけることもあります。以前は「何が食べられないんだっけ?」と尋ねられ、もっとしっかりして欲しいと思ったことも。だいぶ任せられるようになったものの、受診や学校とのやりとり、食事づくりなど、重要な部分はすべて女性が担っています。
移動教室、そして今年の修学旅行。クール便で届いた弁当を息子は喜んでくれました。振り返って、「よく乗り切った」と感じます。周囲に「大変だね」と言われることもありました。では、ほかにどうすれば良かったのか。女性は思い浮かびません。
小児科医で2児の母親でもある森戸やすみさんは、子どもの病気や健康のことになると、学校などの周囲や父親をはじめ親族が、母親だけに責任を担わせようとする傾向がいまだにあると指摘します。
加えて「母親は子どもに何かあると、自分のせいではないかと感じがちだ。周囲は母親のそうした心情も理解すべきだ」と森戸さん。たとえば、現在は否定されていますが、妊娠中の母親の食生活が子どもの食物アレルギーの原因と考えられていたことがありました。
「共働き世帯が専業主婦世帯の2倍となった今、『子どものことはすべて母親がすべきだ』という考え方は通用しない」と森戸さんは語り、周囲の協力で、母親一人が責任を負わずに済む環境をつくる必要があると訴えています。
食物アレルギーの子が暮らしやすい社会を目指して活動する父親もいます。
東京に住むNPO法人「アレルギーっこパパの会」理事長の今村慎太郎さん(38)。今村さんの長女(9)は生後半年で、卵や小麦のアレルギーがわかりました。
小学校入学を前に、アレルギーのもととなる食べ物を少しずつ食べ、体に異常が出ないかを確認する検査を受けました。食べられる量を確認し、わずかでも日常の食事に取り入れることをめざすものです。
「症状が出るかもしれない」という怖い思いを長女にさせるのはつらい。必ず食べられるようになる保証もありません。「母親だけでは負担しきれない」と感じました。
ですが、アレルギーの勉強をする中で、出会うのは決まって母親でした。ストレスや大変さから関係が悪くなっていく患者家族も見聞きしました。
治療のかいあって、長女は卵以外は食べられるようになりましたが、もっと症状が重い子どもたちに出会う中で、「アレルギーはありふれた病気なのになぜ社会がこんなにも対応していないのだろう」という憤りが募りました。
5年前、勤務先の会社を辞め、パパの会を設立。特に外食産業はアレルギー対応に関するルールもなく、「事業としても何かできる余地があるのでは」という思いもありました。
妻は働いており、長女の通院は交代で担当。ほかの父親たちとも連絡を取り合うようになりました。
現在はNPOとしてアレルギー対応に取り組む外食企業にアドバイスをしたり、食品メーカーと加工食品の開発を進めたりと活動の幅を広げています。「一緒に食事を楽しみたい場面などで、アレルギーのために受けられるべきサービスを受けられないことはたくさんあり、孤立につながる。親だけで抱え込まず、社会で受け止めるようになって欲しい」と訴えています。
夫から「所有物」のように扱われる「嫁」、手抜きのない「豊かな食卓」の重圧に苦しむ女性、「イクメン」の一方で仕事仲間に負担をかけていることに悩む男性――。昭和の制度や慣習が色濃く残る中、現実とのギャップにもがく平成の家族の姿を朝日新聞取材班が描きました。
朝日新聞生活面で2018年に連載した「家族って」と、ヤフーニュースと連携しwithnewsで配信した「平成家族」を、「単身社会」「食」「働き方」「産む」「ポスト平成」の5章に再編。親同士がお見合いする「代理婚活」、専業主婦の不安、「産まない自分」への葛藤などもテーマにしています。
税抜き1400円。全国の書店などで購入可能です。
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