話題
子どもの障がいを「個性」と言えますか? 寛容さ試される家族映画
ドキュメンタリー映画「いろとりどりの親子」が11月17日から、日本でも公開されます。ダウン症、低身長症、自閉症、同性愛、犯罪という現実を抱えた、アメリカの6組の親子が登場します。映画の中で、原作者は「どんな問題があっても、我が子をほかの子と交換したいと願う親はいない」と言います。親たちが、生まれてくる子に求める「普通に生まれてくれれば幸せ」の「普通」や「幸せ」って、何を意味するのでしょうか?映画が伝える「家族」「多様性」について考えてみました。
「『僕があんたなら自殺する』と言い放った人がいる。僕のこの体と車いすだけを見て、悲惨な人生と決めつけた。だぶんそれが一般的な考え方なんだろう。『体が不自由なら精神も不自由だ』とね」(低身長症の男性)
「『普通』の親子関係ではなかった。音が聞こえる? 闘いだったわ。望まずして放り込まれた」(自閉症の子を持つ母親)
「生まれた時、医師は言った。『こういう子は、愛情がわく前に施設にやるのが通例です』。バカみたいよね。愛情なら、とっくにわいてる。だって何カ月もお腹にいたのよ」(ダウン症の子の母親)
言い回しは違っても、私たちの身の回りでこんなニュアンスの言葉を聞いたり、頭の中で思い浮かべてしまったりしたことはありませんか。
アメリカのことでしょ、と片付けずに、考えてみたくなりました。それは私も、かつて生まれてくる子に「普通であること」を願った親の1人だからです。
「FAR FROM THE TREE」
これが原作本のタイトルです。アメリカの作家、アンドリュー・ソロモンさんが、身体障がい、発達障がい、LGBTなど、様々な「違い」を抱える親子300組以上にインタビューしてまとめたノンフィクションです。
24カ国語に翻訳され、ニューヨークタイムズのベストブックにも選ばれ、世界的なベストセラーになっています。日本でも2019年に出版社「海と月社」から発売される予定です。
今回の映画で取り上げられている親子が抱える「違い」は、ダウン症、低身長症、自閉症、同性愛、犯罪です。こう書くと、それらを「一緒に語らないで」と思う人もいるでしょう。
実は、アンドリューさん親子も、この映画に当事者として出演し、語っています。アンドリューさん自身が、同性愛を告白した際、母親に「悲しく、孤独な人生を送ることになるわ」と言われたことなどを振り返りながら……。
アンドリューさんは映画の中で、親子へのインタビューを重ねていったプロジェクトの狙いが語られています。
「『普通』と違う子に家族がどう向き合うか」
そして、10年ものリサーチやインタビューを経てわかったことがあると……。アンドリューさんとは別の「違い」を持った子どもやその親について、「遠くに感じていた彼らの『物語』があろうことにリアルで、親密なものに変わっていった」と言っています。
それは「家族の本質を知る旅」だったからです。
親が子の「違い」を個性として受け入れ、「幸せの形は無限大にあるんだ」と行き着くまで時間が必要なことを考えさせられます。
2017年ニューヨーク・ドキュメンタリー映画祭出品。“普通”とは違う子どもたち。その親の戸惑いと、愛情。6組の親子の感動のドキュメンタリー。
このドキュメンタリーを撮ったレイチェル・ドレッツィン監督が来日した際、いくつかのことを尋ねてみました。レイチェル監督も、3人の子の母親です。
【質問】
――親は古い価値観で子どもと向き合ってしまい、なかなかそれを乗り越えられません。子どもたちは障がいの有無にかかわらず、この映画に出てくる当事者のように「外に出たい」「恋愛したい」など誰でも思うような自然な願いを持っています。ただ、それがなかなか実現できない、また親子の葛藤の中でなかなか理解されない中で、いわば閉じ込められてしまって苦しんでいます。人間は、自分が持っている価値観をなかなか乗り越えられないのはなぜだと思いますか。
【レイチェル監督】
「色々な意味で、親や子どもはこうあるべきだという脚本を受け継いでしまっていると思うんですね。特に親というものは、きっとこういう子が産まれてきて、こういう関係性をはぐくむんだというふうにイメージを持ってしまう。そのイメージも自分が受け継いできた脚本に沿ったものになってしまいがちというところがあるんではないでしょうか。ところが、生まれてきた子が、親のイメージとマッチすることはほぼないですよね。そのことに気づき、親が調整する時間はとてもかかってしまうことがあると思います」
映画では、ダウン症の子を持つ親が、診断後に学ぶことをあきらめてしまうのではなく、息子も学べることを証明していったエピソードが描かれています。
アメリカでは、有名な親子となり、母親には講演や執筆の依頼が殺到します。社会の偏見や先入観を覆していきましたが、成長の過程で、息子の学びの限界に気付かされます。
「彼の成長の限界を悟った時、私の夢は終わった」
母親のこの言葉はとても印象的でした。
そしてまた、日本でも、同じようにあきらめずに学べることに注力する人たちがいる一方、身近に障がいを抱えた人がいない人たちにとっては、それなら最初から努力しても、とマイナスイメージで捉える人がいるかもしれません。
「限界を悟った」と語った母親について、こんな質問もレイチェル監督にぶつけてみました。
【質問】
――当事者にとって、何が成功であり、何が幸せなのでしょうか。この親子はアメリカ社会の中で、3歳にしてダウン症の子も学べることを立証した成功者とみられていましたが、それが夢だったと……。日本でも最初からあきらめずに、限界を追及する親はいると思いますが、それはよくないことなのでしょうか。この言葉に、そのプロセスについて考え込んでしまう人がいると思いますが、どう思いますか。夢を追わない方が幸せなのかと思ってしまう人がいるかもしれません。
【レイチェル監督】
「映画に登場するダウン症の親子だけでなく、自閉症を持つ親子にも、これが当てはまる部分かもしれません。この2家族は、自分たちの子どもが、社会が彼らに期待するものを壊してやろうと、こんなに出来るんだということを証明しようと、そして大変な努力と献身を払えば子どもたちがドリームに変えられるのではないかと、すごく努力された家族です」
「ダウン症の子も、自閉症の子も、多くのことを得ることができたし、何か突出したものを持っています。自閉症やダウン症の子どもたちも、成功を手にすることができます。ただ、その成功のものさしは、社会が決めるものではないし、親が決めることではないということだと思います。子どもの成功のものさしは、その子どもの内側にあるものさしでなければいけないということだと思います」
「親がどんなにこうなって欲しいと望んだとしても、子どもは自分なりの幸せだとか、自分なりの進歩というものを遂げるし、そのかたちは親が思っていたものと違うことも多いと思います」
この映画が問いかける多様性を認め合う社会について、日本の当事者たちは、どう思っているのでしょう。
ダウン症の親子が健やかに暮らせる社会を目指して活動しているNPO法人アクセプションズの理事長、古市理代さん(49)は、試写を見る前、内心、こう思っていたそうです。
「重いテーマ」
「涙を流したり、子どもを産んだ時のことを思い出して自分の中で感情的になったりしてしまうのかな」
ただ、その事前イメージは簡単に崩されたそうです。
「すがすがしい、希望の持てる映画でした」
古市さん自身、親子関係で苦しんだ時期があったことを話してくれました。
「まず事実を知って、頭が真っ白になりました。そんなことない、うそであって欲しいという否認の感情でした」
疑いの診断から、それが確定すると、悲しみや「なんで自分だけが」といった怒りがこみ上げてきたそうです。
また、「将来、不幸になる、と私の中に妄想が始まって、勝手に思い込んでしまっていました」と振り返ります。
同時に、「染色体が3本でも、目の前にかわいい赤ちゃんがいるので、それでいいじゃない」とも感じていたそうです。
古市さんの場合、1年ほど受け入れることができず、外で他人に会いたくない、誰にもこの事実を知られたくない、そう思って隠そう隠そうとしていたそうです。
ダウン症の息子は今、14歳になりますが、地域の子たちと同じ学校に通っています。地域で暮らしていくためには、同級生ら地域の人たちが日常生活の中でお互いを知ることが必要と考えるからです。親がいつもそばにいるとは限らないからです。
「今は、それぞれの個性でいいじゃない、と軽く思えるようになりました」
ただ、実社会は、そう簡単ではないということも感じています。まだ、様々な固定観念や先入観が人によってあります。
「ダウン症の中でも色々な個性があります。ダウン症の中で、その個性を比べる人がいますが、私としてはナンセンスです」
「地域によっては、『普通学級に入れたい』というと、『何でそんな無理をさせるの』と言われることがあるそうです」
さらに言えば、古市さん自身、「自分の子がダウン症でなければ、ほぼひとごとだったでしょう。大変だけど、国から生活保障されているんでしょ、みたいに思ってしまっていた人間だったと思います」と自戒していました。
だからかもしれませんが、映画の中で、低身長症の男性が大都会の中を普通に電動車いすで移動し、周囲の人もそれに特別な視線を向けていないシーンに感動したそうです。
「日本も、個性的な子が身近なところにいる環境をつくることが大切ですね。今は、子どもたちが、一緒に育つことに関心があります」
映画の後半、話すことができないと思っていた自閉症の子を持つ親は、ある小児科医との出会いで、息子が言葉を理解していることを知り、今は、音声変換できるタイプで会話する術を得ています。
低身長の夫婦は、子どもを望み、妊娠を両親と喜んでいます。
ダウン症の子は働きながら、もう13年間も、一軒家で同じ個性を持つ2人の友人と暮らしています。3人から、こんな言葉が飛び出します。
「友情でつながった家族」
「みんなは1人のために、1人はみんなのために」
私たちは、きれいな言葉と片付けてしまいがちですが、その言葉が頭の中にあるからこそ、現実に13年間も3人での暮らしが続いているのだと思います。
アンドリューさんは、映画の終盤、こう語っています。
「子どもの頃は、『正しい人生』があると信じていた」
私たちも、どこか心の中で、「正しい人生」を規定してしまっているのではないでしょうか。
Amazon.co.jp: Far From the Tree: Parents, Children and the Search for Identity (English Edition) 電子書籍: Andrew Solomon: Kindleストア
障がいなど、様々な個性を持って生まれてきた子と親の関係について、考えてみたいと思います。みなさんの経験や意見、提案を投稿してください。
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