連載
#2 #となりの外国人
長澤まさみファン、福沢諭吉好き 関西育ちアフリカ少年の日本人観
腕に輝く赤、緑、黄の「ラスタカラー」の腕輪。「自分を象徴する色でもある。僕は日本人でもあり、アフリカ人だから」と話すのは、国籍も生まれもカメルーンだけど、4歳で来日し、日本で育った星野ルネさん(34)です。今年8月に自身の半生を描いた「まんが アフリカ少年が日本で育った結果」(毎日新聞出版)で漫画家としてデビューしました。「バイブルは福沢諭吉」「憧れの女性と言われれば、長澤まさみが思い浮かぶ」と言うルネさん。漫画では既存の「日本人観」を超越する生き様を発信し続けています。
育ったのは兵庫県姫路市です。地元のダイニングバーで働いていたとき、お客さんに今までの人生の話をしてたら、けっこう話題になったんです。「聞いてもらう価値があるものを持っているんだ」って自信にもなりました。
最初にはまった「絵を描く」ってことに、結局たどりつきました。今年3月からSNSで漫画を公開し始めたら、1カ月後に書籍化の話がきました。
周りにウケたのは、たとえば家族の会話です。僕の家は、父と母はフランス語。僕と(日本で生まれた)妹たちは関西弁で話す。母と僕はフランス語と関西弁の混合。東京出身の父とは標準語で話すという、「多言語家族」。そういう、僕にとっての日常が、面白かったみたいです。
日本の歴史漫画が好きだった。そこに出てくる侍や偉人は、みんななら、なんとなく「ご先祖さまだ」って思うじゃないですか。でも、僕は自分のご先祖さまだとは言えない。絶対に血はつながっていないし。周りとは見た目もルーツも違うから、孤独を感じたことはあります。
だけどカメルーンでは、「日本人」って言われるんです。向こうの常識もわからないし、挙動や考え方も日本人っぽい。僕はどっちにいても「外国人」のカテゴリーに入っちゃう。
みんなと違うから、「日本人として欠けている」と思っていたけど、自分の視野が広がる中で、日本人として足りない要素は、実はアフリカ人として補われていたことに気づきました。それが強みだった。
たとえば、僕にはアフリカに親戚が200人超います。政府関係や貿易、森を守っている人もいる。日本人でありながら、日本とアフリカをつなげられる存在なんです。
今はナニジンと言われても、気にしません。
アメリカとか多民族の国をヒントにすれば、もし日本がいろんなルーツを持った人がそれなりにいる国になったら、僕は「アフリカ系日本人」と呼ばれるのが適切なんだろうな、とは思います。
でも僕は僕。国籍はカメルーン、永住権は日本。カメルーンの要素と日本の要素を併せ持っていて、日本の歴史や文化の方がカメルーンのことより分かる一人の人間。好きなアイドルを想像したら、アフリカ人女性ではなく、長澤まさみが出てくる。
幼稚園から一緒の幼なじみは「ルネのこと『外国人』だと思ったことない。日焼けしている日本人だとしか思ってなかった」って言います。
浮世絵に描かれていた日本人の典型的な顔。今は日本でも、アフリカ系も東南アジア系の顔も増えていて、日本で育ち、日本食を食べ、これからも日本で生きていくという僕みたいな人が増えている。こんな人生があるのかと「日本人」の解釈の幅が広がれば、僕の漫画も有意義だと思う。
苦労したことを聞かれれば、バイトの面接で「君は良い子だけど、黒人をレジや接客で雇った前例がないから」という理由で断られたり、道で人から指を指されて何か言われたり、そういうことは、たくさんありました。
でも、外国人やハーフの人だけが人生苦労するわけじゃないでしょ。厳しい人生送っている人は、日本にもいる。みんな、それぞれの課題を抱えて生きている。僕をねぎらってくれなくても大丈夫。
ただ、ルーツで悩む人もいます。漫画では、「アフリカ少女」として、妹たちを登場させました。妹たちはカメルーン人の母と日本人の父の間に生まれたハーフです。
ある日、学校から帰ってきた妹がすごく落ち込んでいました。「みにくいアヒルの子」を読んだんです。白くないとハッピーじゃないの?って。
CMでは「美白が良い」と聞いたり。肌が黒い子達からしたら、日本の平均の子より白くないことが、「自分は理想から遠い位置にいるんだ」って、存在が全否定されるような気持ちになる。
妹たちはそういう中で、死にたいほどつらい思いをしていたんです。
なんとか乗り越えて、今は明るい大人になりました。「あのとき、どういうメッセージをもらえたらよかったか」って、妹たちに聞いて作品に盛りこみました。
父に昔、「見た目が人と違うと、外国人ってことで偏見があるかもしれない。周りの倍ぐらい頑張らないと人生大変だろうから、がんばれよ」って言われました。
でも僕は反発した。「逆に目立つことをやったら、日本人の半分の努力でうまい思いすることもあるんじゃないの」って。僕はただ立っていても目立てるんだから。
最近、姫路に帰ったとき、「日本文化」の話をしていたら、聞いていた父が急に「日本文化って何だと思う?」と聞いてきたんです。そして「文化はモノではなく、時代時代に生きている全ての人の営みだと思う」と言ってくれました。
父もずっと考えていたんだと思います。自分が日本に連れてきて、育てた子どもも日本人だと、そう思ってくれたんでしょうね。
難しいですね。これは、福沢諭吉さんにもう一回復活してもらわないと。「学問のすすめ」は僕のバイブルなんです。
ただ多分、どんな呼び方を作っても、社会が変わらない限り、何も変わらない気がする。結局、「日本人」とは呼ばないでしょ。「その人たちも、日本人って呼びましょう」と言ったときに、初めて変わるんだと思います。
何はともあれ、あまり急ぎ過ぎない方が良いです。
まだ外国にルーツがある人って、日本国民の割合でいったらすごく少ない。長い歴史がある日本の中で、全員が満遍なく認識するには時間がかかる。「差別はいけない」とか「受け入れよ」とか声高に言うのではなくて、「こんな人たちもいる」と、その日常を、ただサザエさんみたいに見せてあげる。それだけで、親近感をもってくれる人は増えると思います。
ちょっとずつでいいんです。
それからやっぱり、エンターテイメントにしないとね。アメリカの黒人が受け入れられたのも、公民権運動もあったけど、ミュージシャンやコメディアンの活躍が人々を楽しませたからだと思う。
たとえば、日本版オリンピックみたいなのやりたいですね。日本にいる人だけでやっちゃうの。国旗も一応持っているけど、「僕は日本とドイツとチュニジア代表」。「あいつ3カ国も代表しているのか! すげえ!」みたいな。
面白い話や料理、音楽を持ち寄って、話して。競争はなし、ね。順位つけると「民族の誇り」みたいになっちゃうから。
そのイベントに行った人が、「素敵」と思ってくれたら、もし次にアルバイトの面接に黒人が来ても、もう垣根は薄くなっていて、「入れてみようかな」ってなるんじゃないかな。
人を楽しませる方が、心の氷はとかしやすいですよね。
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