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安田純平さんは謝るべきか ジャーナリストが「当事者」になる怖さ
安田純平さんは、謝るべきなのでしょうか? 内戦下のシリアに入り、武装勢力による3年4カ月の拘束を経て解放されたジャーナリスト。帰国後に臨んだ二つの記者会見でのやり取りを見つめ、考えました。(朝日新聞政治部専門記者・藤田直央)
「あなたのその謝罪について聞きたい。ジャーナリストとして本当に必要なのでしょうか」
11月9日、東京・丸の内の日本外国特派員協会。会員の外国人記者など約120人で埋まった会見場で、最初に質問に立ったマイケル・ペンさんが安田さんに聞きました。
ペンさんは米国出身で、日本や海外の大手メディアが報じきれない日本の姿を伝えようと2010年にネットメディアSNA(新月通信社)を立ち上げています。
パリを拠点とするNGO「国境なき記者団」が安田さんの解放に対する日本での反応について出した声明にも、ペンさんは触れました。それはこんな内容です。
「シリアの悲劇を日本の人々に命がけで伝えようとした安田純平が謝罪を強いられるのは受け入れられない」「戦地にジャーナリストがいなければ、人々は交戦の当事者たちからの偏った情報に頼らざるを得なくなる」
でも、安田さんは謝ります。先立つ11月2日には東京・内幸町の日本記者クラブで会見があり、冒頭、400人を超す報道陣の前で立ち上がってあいさつ。「私の解放に向けてご尽力、ご心配をいただいた皆さんにおわびしますとともに、深く感謝申しあげます」と言い、深く頭を下げました。
安田さんは外国特派員協会では、冒頭に立とうとして司会にとどめられ座ったままでしたが、同様に語りました。これにペンさんは「あなたはたたえられるべきで、酷評されるべきではない。日本の人々と外国メディアの常識は違うようだ」と述べました。
#安田純平 さんのきょうの日本記者クラブ会見に記者約380人(含む私)、テレビカメラ約40台、カメラマン約40人。安田さんの希望で、クラブ加盟社以外の海外メディアやフリー記者も参加しました。 pic.twitter.com/Tk9MGsZ64w
— 藤田直央 (@naotakafujita) 2018年11月2日
ペンさんの言う「日本の常識、世界の非常識」といった意見には、私は違和感があります。国内の反応のあり方には、単に安田さんが「謝罪を強いられる」ということではない複雑さを感じるからです。
#安田純平 さん、今日は日本駐在の外国人特派員協会で会見。海外メディアから「なぜ謝る必要があるのか」といった激励交じりの質問が続き、退出時に自然に拍手がわきました。詳しくは後日withnewsで。 pic.twitter.com/XltFJcnVf9
— 藤田直央 (@naotakafujita) 2018年11月9日
安田さんの解放について、SNSでは「世間を騒がせた」「政府に迷惑をかけた」という批判一色ではなく、「無事でよかった」「よく頑張った」という喜びの声と交錯しています。
外国特派員協会で質問したジャーナリストの江川紹子さんは、「安田さんが(解放直後に日本メディアに)話したことが政府批判のように伝わって、親安倍、反安倍が空中戦のように非難しあっていた」と表現しました。
日本記者クラブでは、主に国内メディアから質問が続きました。外国特派員協会で多くの質問が「お帰りなさい」で始まり、励ますような雰囲気だったのに対し、日本記者クラブの方が緊迫していたのは確かです。ただ、それは帰国後最初の会見だったからという面もあり、厳しい批判を交えた質問は出ませんでした。
では、その日本記者クラブでのやり取りはどんなものだったのか。まず安田さんが「おわび」に続き、「何が起こったのか、可能な限り説明することが私の責任」だとして、拘束から解放までを2時間近くかけて話しました。その後、質問しようと多くの手が挙がり続けました。
日本語メディアの記者から出た質問は計11。国内の関心を映し、このように様々な角度からでした。
・司会の最初の代表質問 ネット上で匿名による安田さんへのバッシングが起きた日本社会の現状をどう思うか
・拘束までの経緯と反省点 3問
・拘束中の体験や得た情報 3問
・紛争地取材を続けるのか 2問
・シリアの今と日本での報道 2問
ただ、様々な質問とは言ってもほぼ今回の「人質事件」に関するもので、純粋にシリアの現状を問うたのはジャーナリストの堀潤さんだけでした。そして、拘束されていた安田さんは30秒ほど「んん……」と考え込み、その末の答えには「話を聞いて回るわけにはいかないので」と限界がありました。
私はその場で安田さんの心境を思いました。こうした状況を生んだことまで「自己責任」と考えるかどうかは迷うところですが、少なくとも忸怩たる思いを抱いたのではないかと。
つまりそれは、シリア内戦下の反政府勢力や市民の現状を日本の人々に伝えようと取材に挑んだジャーナリストが、拘束されて目的を果たせなかっただけでなく、日本の人々の関心が自身の「人質事件」の方に集まってしまったことへの苦渋です。
これと同様の指摘が、日本記者クラブでの「シリアの今と日本での報道」に関する2問のうちのひとつでした。安田さんはジレンマをこう語りました。
「私自身の行動の検証のために報道の皆さんから注目されるのは当然だろうと受け止めていますが、できればさらに進んで、そこで何が起きているのか、この先どうすべきかというところまで関心を持ち続けていただききたい」
安田さんは日本記者クラブでも外国特派員協会でも、自身の「おわび」と説明責任の理由について「私自身の行動において、日本政府が(解放のため)当事者にされてしまった」と話しています。
しかしジャーナリストにとって本当に悩ましいのは、報道にあたるべき自身が「当事者」として報道対象になってしまうことではないでしょうか。
実は外国特派員協会でも、このことが語られました。
"The journalist is not the story." 会長のピーター・ランガンさんは最初のあいさつで、ジャーナリスト自身が記事になってはならない、と二度繰り返しました。英国出身でアジア取材歴が約30年のジャーナリストです。
ただ、これはそばで聞く安田さんに「拘束されて記事になった」と苦言を呈したのではありません。報道に徹しようとして力ずくで自由を奪われたジャーナリストを報道対象にして騒ぎ過ぎないでほしいという、日本社会へのメッセージだと思いました。
それは、ランガンさんが続けて次のように語ったからです。
「不幸なことに、ジャーナリストは昨今ますます記事にされている。沈黙させようと世界中で標的にされている」
「ジャーナリストの仕事の本質は自身を危険にさらす。だから同志を代表して、安田さんに心からお帰りなさいと言いたい」
拘束されれば命の危険はもちろん、人質としてネットにさらされ、自身のことが記事になりかねない。それでも内戦の実態を取材し伝えるために現場へ行く。今回の安田さんの行動は、ジャーナリストとしてぎりぎりの挑戦だったのでしょう。
日本記者クラブでの2時間半にわたる会見の最後に、安田さんの記帳が披露されました。「あきらめたら試合終了」。1畳より少し広い程度の空間で監禁され絶望感に苛まれたことがあっても、帰国の意思を持ち続けたという説明でした。
安田さんは、「今後も紛争地に赴いて取材を続けるつもりですか」という質問には「全く白紙です」と答えていました。ただ、この記帳は私には、へこたれないという気持ちの表れにも見えました。
安田さんの身を案じ続け、解放に腐心し、いま安堵する人たちに、安田さんが謝意を示すのは自然なことです。でも、沈黙してはならないと思う記者の一人として、私は謝罪までは望みません。
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