感動
息子はダウン症 「子どもは誰もが天使」知った7年間の子育て
東京都大田区の服部周(しゅう)君(7)は、この春に特別支援学校に入学した小学1年生です。ダウン症と自閉症をもつ周君。毎日元気に通学していますが、出産からしばらくは母りえ子さん(50)の心は深い闇の中にありました。でも、いまは「この子でよかった。素晴らしいギフトを与えていただいた」と感じています。7年の子育てから芽生えた思いを聞きました。(朝日新聞社会部記者・金子元希)
これは周君の父剛(ごう)さん(43)=日本ペンクラブ会員、日本現代詩人会会員=が今年4月に出した「詩集 我が家に天使がやってきた~ダウン症をもつ周とともに」(文治堂書店)にある詩の一節です。
2011年8月18日に周君が生まれてから間もないころの様子が描かれています。
私が周君と知り合ったきっかけは、今年6月に朝日新聞の教育面で掲載した「いま子どもたちは」の「まこさんの成長」という連載でした。
記事では公立中の特別支援学級に通うダウン症の中学1年生である「まこさん」の成長の日々を紹介しました。掲載後、剛さんの詩集の存在を知り、服部家を9月に訪ねました。
7年前の出産当時、りえ子さんは43歳。初産としては高齢で不安もありましたが、夫婦で「命の選別はしない」と決め、羊水検査などは受けませんでした。
会社勤めをしており、産後は子どもを保育園に預けて職場に復帰するつもりでした。「どうやって育てようかな」。授かった命への期待に胸をふくらませていました。
仕事を続けていた妊娠8カ月のとき、母子の健康状態が悪いと診断され、急に帝王切開で出産することになりました。
体重は1700グラム余り。すぐ新生児集中治療室(NICU)に移されましたが、りえ子さんは「五体満足でよかった。見た目も健康そう」と安心していました。
でも、医師たちの様子がおかしいのです。「心臓に穴が開いています」と告げられ、ダウン症の疑いがあると言われました。検査の結果、3週間後に確定しました。
「自分が障害児の親になるとは」。りえ子さんは直面した事実に落ち込みました。夫の剛さんは長男でした。「実家の跡取りは?」「お墓は?」「こんな年だから、もう何人も産めない……」――。そんな「現実的な問題」ばかりが頭に浮かびました。
周君は出産から1カ月で退院しました。でも、ダウン症の子どもによく見られるように体調を崩しがちでした。救急車を呼ぶこともしばしば。
さらにりえ子さんの実父も病気を抱えており、息子の看護と親の介護の両方が重なりました。
仕事への復帰をあきらめただけでなく、旧知の人たちとも距離を置くようになりました。ダウン症に関する本も開けず、家に引きこもりがちな生活でした。
「結婚前の人間関係を絶ち、親友とも連絡を取らなかった」と振り返ります。
最初の転機は周君が2歳を過ぎて保育園に入ったことでした。
「体幹がしっかりしてきたね」と園の助言もあり入園を決断。この園は健常児も障害児も分け隔てなく対応する方針でした。周君にはてんかんの発作も始まりましたが、温かな環境に恵まれました。
りえ子さんにとっては久しぶりの「外の世界」。そこで「ハンディのある息子に歩み寄ってくれる人、いとしく見てくれる人、同じ目線で関心を持ってくれる人がいるんだ」と気づいたそうです。
園の先生たちのまなざしはもちろん、スーパーマーケットのレジでかけられた「かわいいわね」「ママと買い物でうれしいね」という言葉からも「40年生きてきて、見落としていた心の豊かさ」を感じることができたと振り返ります。
りえ子さんは医学系の出版社などで働いてきたこともあり、終末期医療や生命倫理、命の尊厳などにもともと関心がありました。でも、周君を産み、育てることを通じて「命の深遠さを改めて感じた。キラキラして生まれてきた命の輝きを知った」と言います。
もちろん成長が健常児と比べれば、ゆっくりという葛藤もあります。言葉でのコミュニケーションはまだ難しいです。
保育園の時代はてんかんの発作が頻繁に起こり、転倒から頭を守る保護帽が手放せませんでした。専門医の勧めで、海外で実践例が多いという「ケトン食」(炭水化物と糖質を極端に減らし、脂肪を増やす食事)を採り入れると、昨年春ごろから発作が落ち着き、ようやく歩けるようになったそうです。
一時は身体障害を含めた学校を考えましたが、知的障害のある児童・生徒向けの東京都立矢口特別支援学校(大田区)に入学しました。学校が終わると放課後等デイサービスにも通い、様々な人たちのサポートに囲まれています。
りえ子さんは周君を授かったときに落ち込んだ背景について「これまでの人生で障害のある人との触れあいが少なかった。子どものときも、ダウン症の人は周りにいなかった。差別の気持ちはなかったが、知らなかったことは大きい」と語ります。
暗中模索だった日々を経た今は「全員が違って、誰一人同じということはない。人間みんなに何かしらのハンディがある」と考えるようになったそうです。
そんな妻を剛さん自身も葛藤を抱えながら見守り、周君との関わりを詩につづってきました。
りえ子さんの悩む心も描いています。
学校からは「卒業まで全力で守る」「たくさん愛情をかけて」と言われ、心強さを感じたというりえ子さん。参観日に落ち着いて授業を受ける様子を見て、「周だからこそ出会える人や得られる気づきがある。この子でよかった」と思っているそうです。
先輩ママからは「小学生になると体力がついて、病院に行かなくなるよ」と言われていましたが、その通りでした。近ごろは喜怒哀楽の表情が豊かです。「命の一山を越えた」と感じ、ようやく冷静に「障害のある子どもを育てる」ことの価値観を実感できるようになりました。
胎児に何らかの異常が見つかると、中絶を選択する人がいるのも事実です。
りえ子さんは「判断は個人の考えなので、意見は言えない」としながらも、「検査結果が出た後、短い期間のうちに医師から『堕ろすか堕ろさないか決めて』と言われてしまうママもいる。こんなに尊く、輝く命があることを知ってほしい」と思っています。
「我が家だけでなく、どこに宿る命もみんな一人一人が天使です」
6月の連載で取材に応じていただいた、まこさんのご両親には「新しいダウン症の命を授かった人たちが明るい未来を想像してもらえたら」という思いがありました。
それは服部さんにも共通しています。
そして、周君もまこさんも家族の愛情に囲まれて育っています。筆者にも、2人と同世代の子どもがいます。障害の有無にかかわらず、子どもは誰もが天使であるということを改めて伝えたいと思いました。
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剛さんは詩作や朗読の活動をしています。講演や作品の問い合わせはメール(gouhattori@yahoo.co.jp)で。
詩人の谷川俊太郎氏が寄せた手紙も掲載している剛さんの詩集は文治堂書店(bunchi@pop06.odn.ne.jp)へ。
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