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「生物学的に女性ではない」とされた銀メダリスト、どう向き合えば?
女性として生きてきたのに、突然「あなたは女性ではない」と言われたら……。陸上競技の世界で、そんな問題を巡る議論が過熱しています。アジア大会の銀メダリストを通して見えてきたのは、社会的な性別(ジェンダー)だけでなく、生物学的な性別もあいまいな基準の下にあるという現実でした。(朝日新聞ヤンゴン支局長兼アジア総局員・染田屋竜太)
「タイミングの取り方に集中するために目を閉じて走りました。目を開いたら、レースは終わっていた。みんなが『メダルとれたよ』と声をかけてくれましたが、電光掲示板の成績を見るまで、信じられなかった」
8月29日、インドネシア・ジャカルタであったアジア大会の女子100メートル走。11秒32のタイムで銀メダルを手にしたインドのデュティ・チャンド選手(22)は、うれしそうに報道陣に話しました。
アジア大会での勝利は格別なものでした。前回、2014年の仁川大会は出場できなかったからです。
チャンド選手は2012年、18歳未満のインド国内の大会で優勝し、頭角を現します。翌年にはアジア陸上大会の女子200メートルで銅メダルに輝き、世界ユースの100メートルでも決勝に残りました。
しかし、その名が知られるようになった2014年、「女子選手として認めるべきではない」との声が上がり始めます。生まれつき、一般的な女性よりも血中の男性ホルモン(テストステロン)の値が高い体質だったのです。
生物学的に両性の特徴を持った人は、一定の割合で存在しています。
インドの陸上連盟はこの年にあったアジア大会への代表チームから、チャンド選手を除外しました。
チャンド選手はスポーツ仲裁裁判所(CAS)に提訴し、2015年に「テストステロンの値による出場停止」という規定を保留する決定が出ました。2016年にはリオ五輪に出場しています(100メートル予選敗退)。
アジア大会の100メートル予選後、チャンド選手の思いを直接聞く機会がありました。
競技場での取材の仕組みはなかなか複雑で、記者たちが選手にインタビューできる「ミックスゾーン」は室内でテレビモニターもなく、チャンド選手が何位でゴールしたのかもわかりません。写真で確認したチャンド選手の顔を頭に浮かべ、見逃さないようにドキドキしながら待っていると、小柄な女性が見えました。インド国旗のマークが見えます。
他にどの記者も来ることはなく、単独インタビューとなりました。「レースはどうでしたか」と尋ねると、「ごめんなさい、英語は苦手なの」と小さな声でちょっと恥ずかしそうな様子。「とにかく出場できたことがうれしいです。今までいろいろな人に支えてもらったから、お返しがしたかった」と、その英語で穏やかに話してくれました。
裁判も経験したチャンド選手。辛かったですかときくと、「はい、でも、今日のために努力してきたから。決勝もいいタイムを目指します」と笑顔。控えめな性格なのが伝わってきました。
性別をめぐる陸上競技の問題では、南アフリカのキャスター・セメンヤ選手も知られています。中距離で圧倒的な強さを見せる一方、他の選手から「女性ではない」などと発言され、性別検査をされました。2016年にリオ五輪の女子800メートルで金メダルを獲得しましたが、いまだにそれに異を唱える人もいます。
国際陸上連盟(IAAF)は18年4月、400メートルから1600メートルの競技については、テストステロンの値が高い女子選手について、ホルモンを低下させる処置をとらなければ出場を認めないという決定をしました。
セメンヤ選手はこの規定について、CASに提訴。覆らなければ、薬などでテストステロン値を下げないと東京五輪には出場できません。
しかし、ホルモンの値で「女性でない」と決めることは、果たして正しいのでしょうか。
実は、専門家の間でも意見が分かれています。
スポーツと法律を専門にしている、アメリカ・デューク大ロースクールのドリエン・コールマン教授は、「IAAFの規定は、スポーツを公平に行うことにとって必要だ」と主張します。
「『生物学的な女性』が、女性によるスポーツで競争できる環境を維持することが重要だ。生物学的な女性は、生物学的に男性と判断された人と競争して勝てる見込みはない」。
コールマン教授によると、人間のテストステロン値を調べると、男性の中で値が最も低いグループでも、女性で最も高いグループの3倍の数字になったそうです。
また、女子の100メートル走では世界記録(フローレンス・ジョイナー、10秒49)が30年にわたって破られていませんが、昨年1年間にアメリカ国内だけで、36人の男子高校生がこのタイムよりも速く走ったといいます。
男性の方が体力で圧倒的に有利なことは、データで証明されているというわけです。
コールマン教授は記者に対し、リオ五輪の女子800メートルでは、メダルを取った3人すべてが体内に精巣を持ち、テストステロン値が男性レベルだったと説明しました。その1人がセメンヤ選手です。
「テストステロンは『男性』の体をつくるもの。このことがスポーツに大きく影響する。『男性』の体を持った選手と女子選手が競うことは、フェアとは言えない」
コールマン教授は「テストステロン値で、社会的に女性と認めるなという話ではない。少なくともルールのあるスポーツでは線引きをすべきだ」と主張します。
反対する意見もあります。「テストステロン値で女性の中に線引きをするのは、『女性は女性らしくいろ』という考えから来るものだ」と主張するのは、アメリカ・バッファロー大学のスーザン・カーン教授(ジェンダー学)です。
過去には、国際オリンピック協会(IOC)の幹部が、「男性と同じように見せようと、行動しようとする女性の美しくない姿は見たくない」と公言したこともあるといいます。「男らしさを競うスポーツ、そこに女らしさを求める人が、今でもいる」とカーン教授は言います。
「女性として生きてきた人に『あなたは女性ではない』ということがどれだけ重大なことか理解するべきだ」とカーン教授。「人間には生物学の値では計れない多様性がある。機械的な値で性別を分けるのはむしろ危険だ」
なぜ議論が過熱しているのか。カーン教授は、「まずは科学技術が発達して『生物学的』という指標で人間を見ることが可能になったこと」と理由を挙げた上で、「フェミニズム運動などで女性の地位が向上したことに対する一定の人たちからのバックラッシュ(揺り戻し)ではないか」と推測します。
ジェンダーとスポーツ史の両方が専門の中京大・來田(らいた)京子教授も、「テストステロン値の差に競技上の一定の合理性があるのかもしれないが、その値だけに固執するのは疑問がある」と指摘します。
筋肉の量や質、骨格など、人間の体にはスポーツに関わる条件の違いが他にもたくさんあります。それ以外でも、例えば、スポーツの英才教育を受けられる社会に生まれた子どもと、スラムに生まれた子どもには経済格差があります。
「テストステロン値以外に、結果に影響を与える要素には目をつぶるのか」
來田教授は、スポーツの世界と社会がかけ離れていると話します。
「スポーツがとにかく勝利、勝負にこだわりすぎている。スポーツからは勝敗以外に得るものがたくさんあるのに、トップアスリートの中だけの特殊な議論になっている。社会が少しずつジェンダー問題に向き合おうとしているのに、まったく追いついていない」
チャンド選手の短い取材から感じたのは、彼女が競技をできることを心から喜んでいる、ということでした。
先天的なテストステロン値はドーピングでも違反でもなく、選手自身に責任はありません。にも関わらず、薬などでその値を下げなければ、競技に出場ができない。そんな状況を認めるべきかどうか。
一方で、レスリングや柔道など体重別に出場者を制限する競技もあるように、一定のルールの下で競うのがスポーツです。そこでは必ず勝敗がつくからこそ、社会一般よりも厳格に「縛り」を作るべきだという考えはよくわかります。
取材で感じたのは、「公平」を求めれば求めるほど、別の視点からはより「不公平」に見えてしまうこともあるということです。取材をした私自身、今でも考えはゆらいでいます。
絶対的な「公平」などない。だとしたら、みんなで知恵を出し合って最善の方法に近づける必要があるのではないかと思います。2年後には東京五輪があります。これを、スポーツでの性別や公平性について話し合う「絶好の機会」にできないでしょうか。
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