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「世界に3台しかないエスカレーター」名古屋に!マニア喜ぶ「秘境」
日々、何げなく使っているエスカレーターですが、もしかしたら身近に貴重なものがあるかもしれません。エスカレーター専門サイト「東京エスカレーター」を運営している愛好家の田村美葉さんが、「秘境」と呼ぶ場所があります。その場所は名古屋。世界に3台しかないエスカレーターのうち2台並び、「日本ではおそらくここだけでは」というエスカレーターも存在します。
名古屋駅すぐの名鉄百貨店に、世界に3台しかないエスカレーターはあります。8階と9階をつなぐ2台がそれです。
よく見ると、手すりが床に潜るような珍しい形です。
田村さんが「垂直落下タイプ」と呼ぶ、このエスカレーターを最初に見つけたのは東京・日比谷でした。
「衝撃でした。ぐるっとまわりこむはずの手すりが、そのまま垂直に潜っていく。エスカレーターの概念を覆すと言ってもいい」と振り返ります。
同じ構図の9階と10階をつなぐエスカレーターと比べると、その違いがよくわかります。
製造した東芝エレベータによると、1970年代前半まで発売されていた商品だといいます。エスカレーター事業を始めた1967年に開発したもので、様々なデザインを試していた時期でした。
残っているのは、東京と名古屋の3台のみ。同じような手すりが沈むタイプのものは、「他では見たことがない」と広報担当者が話す希少なデザインです。エスカレーターは25~30年ほどで入れ替えることが多いため、古い機種は残りにくいといいます。
名鉄百貨店によると、東芝が売り出した1967年に設置されました。エスカレーター目当てに来店する人もいるといい、「しっかりメンテナンスして大切に使っていきたいです」と広報担当者は話します。
田村さんは「何かしらの文化財に指定して保護してほしい」と願っています。
8階へ向かう途中にもレアなエスカレーターがありました。
「ESCALATOR OTIS」と書かれた表記。オーチス製のエスカレーターであることを示しています。
でも7階と8階をつなぐ2台だけ「OTIS ESCAL-AIRE」と書かれているのです。これは足元をよく見ないと見逃してしまいます。田村さんがこの表記を見つけたのはここだけ。「日本でここだけかもしれない」と話します。
日本オーチス・エレベータによると、この「エスカレーア」モデルは1990年代後半に生産が終了しています。
海外から輸入したため現存している台数はわかりませんが、レアなものであることに間違いないそうです。
そして、名古屋・栄地区に場所を移すと、田村さんが「丸ボディー全照明型」と呼ぶエスカレーターの密集場所があります。
名古屋三越栄店地下1階の「クリスタル玄関」を抜け、地下街とをつなぐ3台のエスカレーターです。
このタイプの特徴は、田村さんによると手すりの下の部分が丸みを帯びて出っ張り、照明部分が乳白色をしています。各メーカーがかつて製造していましたが、数がどんどん減っています。
田村さんは東京や大阪、福岡など各都市をまわりましたが、名古屋のように密集している場所はないそうです。
三越のエスカレーターは、日立製作所製造で、1969年に製造し同じ年に設置しました。同じタイプのものはかなり少なくなっています。三越によると2014年に安全装置などをリニューアルしましたが、外観は残しました。
地下街を通じてつながっている、スカイルなどが入る栄ビルにも丸ボディー全照明型が豊富にあります。
東芝エレベータによると、このタイプは1970年代ごろに製造されました。現在はLEDを使っていますが、当時は蛍光灯。収納スペースと放熱のために厚みのあるデザインになりました。
このタイプはゴージャスな外観から「デラックスタイプ」と社内では呼び、昔からあるデパートに多く置かれています。こちらも入れ替えのため、数はどんどん少なくなっています。
田村さんいわくエスカレーターは「ラグジュアリーで特別な乗り物」。
エレベーターとは違い、大勢の人をなるべく速くスムーズに断続的に運ぶ必要がある施設にのみ設置される、高度技術による乗り物だといいます。
大学入学を機に地元金沢を離れ上京すると、ほぼ日常的に乗れる東京が新鮮に映りました。以来、エスカレーターのある風景の収集を始めました。国内外のめぼしい建物に入ってエスカレーターを確認する「エスカレーターハント」をしているそうです。
サイト運営のほか、「別冊東京エスカレーター」(同人誌)などで魅力を発信しています。エスカレーターハントなど、ガイドブックにはない自分好みの観光で自由を感じた経験を「できるだけがんばらないひとりたび」(KADOKAWA)でもつづっています。
取材をきっかけにエスカレーターを気にして見てみると、確かに違いがあることがわかります。これまで住んだ街にもお宝があったのかも、と思うと悔しいです。
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