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耳の聞こえない私が、落合陽一さんの「変態する音楽会」で見た未来

中央のスクリーンは「奏者」のひとりとして映像を「演奏」する=写真提供・日本フィルⒸ山口敦
中央のスクリーンは「奏者」のひとりとして映像を「演奏」する=写真提供・日本フィルⒸ山口敦

目次

 私は耳がほとんど聞こえません。私にとって、「オーケストラ」とは、国語辞典のなかにひっそりと存在するものでした。8月、都内でちょっと変わったコンサートが開かれました。「変態する音楽会」。落合陽一さんと日本フィルハーモニー交響楽団が手がけた、耳で聴かなくても楽しめるオーケストラです。「一つの感覚に頼っているものをマルチ感覚にしていきたい」。そう語る落合さんが目指したものとは? 実際に体験して見えた「未来の扉の少し先」についてお伝えします。

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はじめての音楽体験

 8月27日夜、東京オペラシティコンサートホールにて、落合陽一×日本フィル「変態する音楽会」が開催されました。

 演奏は日本フィルハーモニー交響楽団。指揮者は海老原光さん。そこにメディアアーティスト落合陽一さんの演出が入るという、豪華な舞台です。

 今回のオーケストラは普通ではありません。演出を担当した落合さんは、楽譜に「映像」という新たなパートをを書き加えました。オーケストラの舞台には縦長の巨大スクリーンが登場します。このスクリーンには映像が映し出され、指揮者の動きによって変化します。つまりスクリーンが「奏者」のひとりとして映像を「演奏」するのです。

縦長のスクリーンには指揮者の動きに合わせた映像が映し出される=写真提供・日本フィルⒸ山口敦
縦長のスクリーンには指揮者の動きに合わせた映像が映し出される=写真提供・日本フィルⒸ山口敦

 演奏に加えて、ヘアピンのような見た目の「Ontenna」を髪や服に留め、ほどよい硬さの白い球体の「SOUND HUG」を抱いて、楽器の音色に合わせた光と振動を音楽として体感します。

青く光っているのがOntenna、観客が抱いているのがSOUND HUG=写真提供・日本フィルⒸ山口敦
青く光っているのがOntenna、観客が抱いているのがSOUND HUG=写真提供・日本フィルⒸ山口敦

 本番前、SOUND HUGを抱かせてもらいました。メロディーと同調して伝わるふるえは、小学生の時に手のひらを演奏中のグランドピアノに押し当てた時の感覚を思い出させてくれました。

変態するオーケストラ

 19時。いよいよ開演です。音合わせの後、客席の照明は落とされ、舞台だけがぼうっと照らされます。

 光と静寂の中で海老原さんがタクトをゆっくりと振り上げると、抱いているSOUND HUGが静かにじんわりとふるえて、淡いむらさき色に光り出しました。音に敏感なちいさな生き物を抱いているようです。

 舞台へ目をやるとバイオリン奏者が小刻みに腕を動かしています。「変態する音楽会」がいよいよ始まりました。

 指揮者の海老原さんの動きは高級テーラーにいる紳士のよう。

指揮者の海老原光さん=写真提供・日本フィルⒸ山口敦
指揮者の海老原光さん=写真提供・日本フィルⒸ山口敦

 三曲目は、はじめて縦長のスクリーンが使われました。

映像はどことなく肋骨のようだった=写真提供・日本フィルⒸ山口敦
映像はどことなく肋骨のようだった=写真提供・日本フィルⒸ山口敦

 スクリーンには「肋骨」のような映像が映し出され、落ちる砂のように形を変え、分裂と統合を繰り返します。

 この時、OntennaやSOUND HUGは落ち着いています。奏者がいる舞台は、青みのかったむらさき色。海老原さんの指揮は祈りのようでした。

 Ontennaなどの印象を通して、ホールに流れているであろう音楽を想像します。

 聴覚だけでなく視覚や触覚をフルに動員して聴き入ったオーケストラ。サン=サーンス「交響詩《死の舞踏》」では、曲が自分のイメージと合致していたことに密かな喜びを覚えます。

 ビゼー「《アルルの女》第2組曲 ファランドール」は、化学の元素化合物のような不思議な幾何学模様が、海老原さんのタクトの動きと同調していました。

 まさに映像を演奏しているようなライブ感。同じくビゼー「《カルメン》組曲 ハバネラ」では、演奏後の拍手の音に同調するようにOntennaがふるえ、耳が聞こえる人たちの感動が伝わってきて、喜びを分かち合えた気がしました。

ボレロを見て、ボレロに触れる

 締めはラヴェル「ボレロ」。暗い舞台のなかで、指揮台だけが照らされています。孤独を感じさせるような雰囲気の中、演奏が始まります。

 海老原さんは手首から先しか動かしていないようです。青と白をイメージとした照明の色調が、海の底にいるような錯覚を覚えさせ、縦長のスクリーンには、緑色の炎のようなものがゆらめいています。

 演奏は佳境に差しかかり、海老原さんのタクトの動きがだんだんと激しさを帯びていくにつれて、スクリーンの炎が黄色を経て赤になっていきます。舞台も徐々に明るくなり、SOUND HUGの光やふるえからも熱を帯びてくる感じが伝わってきます。

 スクリーンの映像の中に火花が散り始め、不穏な感じが漂うと、ついに爆発。それにつられて誘爆するように、爆発の連鎖反応が起きつづけています。海老原さんを見ると、めまぐるしく変わる彫像のように静と動を交互に表現していました。

 そして興奮は最高潮に達して、海老原さんは飛び上がらんばかりにタクトを天に。一瞬時が止まったようになった後、万雷の拍手がホールを包みました。

海老原さんと日本フィル交響楽団には盛大な拍手が送られた=写真提供・日本フィルⒸ山口敦
海老原さんと日本フィル交響楽団には盛大な拍手が送られた=写真提供・日本フィルⒸ山口敦

音楽会のあと

 終演後、聴覚障害のあるデフサッカーの仲井健人選手は、「映像を作った人の世界観が出ていた。特に『死の舞踏』は舞台映像から「死」感がすごく出ていた」「指揮者がジャンプのような動きをするなど、通常のオーケストラよりもたくさんの動きがあり、見て楽しめた」と語ってくれました。

 観客とのトークセッションで今後について問われた落合さんは、「コンサートホール以外の場所でやったら面白いんじゃないかなあ」と答えます。

 あらゆるものが変態していた今回の音楽会。耳で聴くだけでなく目で見たり手で触れたりできたオーケストラでした。

オーケストラとは、人の意地

 変態してもなおそれをオーケストラたらしめているもの、つまりオーケストラの本質といえるものはあるのでしょうか。

 落合さんは「それ(オーケストラの本質)はすごくある」と話します。

 「例えば、記憶だったり心の中にある風景だったりするようなイメージって絵でもないし、音でもないじゃないですか。だから音を聴いて頭の中に出てくるイメージみたいなものは、それは音でもないし光でもないし、違う形をしている」

 「でも作曲家が表現したいのはそれだから、それと同調するといいんですよ。ビゼーの気持ちになる、ってやりながら聴いていると、なんかそういうものが出てくるんじゃないかと思う」

 「演奏家は音を演出したいかもしれないけど、作曲家は別に音をやりたい訳じゃなさそうなこともよくあるからね。画家は、絵もかきたいんだけど、絵を通じて表現したいものがあって、それをどうやって感覚に分けない段階まで、抽象的に戻るか。そういうことなんじゃないですか」

 「イメージを音に限定しない。オーケストラって、僕は人の意地だと思っている。ああいうのはすごいいいと思います」
 

テクノロジーと障がい

落合陽一さん=写真提供・日本フィルⒸ山口敦
落合陽一さん=写真提供・日本フィルⒸ山口敦
 アーティストであり研究者でもある落合さん。テクノロジーによって実現しようとしている取り組みの中で、「変態する音楽会」はどういう意味をもつのでしょうか。

 「ひと言でいうと、感覚をマルチにして解像度を高める。耳で聴くものと目で見るものと体で感じるものを全部一気に合わせると、耳が聞こえる人、目が見える人も楽しいし、例え耳が聞こえなくても楽しくなる」

 「そういう一つの感覚に頼っているものをマルチ感覚にしていくかということやっていきたくて。そうすれば、あらゆる芸術の解像度は上がっていくじゃないですか。それをやりたいんですよね」

 「耳で聴かない音楽もいいし、目で見ない絵画もやりたいんですよ。いま、例えば目が見えない人のためのプロジェクトをやっていて、感覚がマルチ化していくと楽しいよねって」

 「変態する音楽会」は、テクノロジーを用いることで、障がいが問題とならない地平でオーケストラをしようとしているように見えました。

 オーケストラを「再発明」した落合さん。聞こえる人も、聞こえにくい人も、聞こえない人も、それぞれの人がそれぞれの方法でオーケストラを楽しむことができる。そんな未来の扉が少し開けているのを見たような気がしました。
 

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