連載
ラジオに救われた不登校の夜「読まれた!」放送作家の寺坂直毅さん
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「星野源のオールナイトニッポン」(ニッポン放送)の放送作家としても知られる寺坂直毅さんがラジオの世界にのめり込んだのは、不登校だった中学2年生のとき、母親にラジカセを買ってもらったのがきっかけでした。投稿が読まれた時は「自分が存在しているんだ」とラジオに救われたそうです。「好きなものを探してみて」と話す寺坂さんに、ラジオの魅力を聞きました。
――どんな中学生時代だったんですか
中学2年の夏ごろから不登校になりました。言葉遣いをからかわれたりして、中学は大嫌いでした。
学校に行かなくなる直前は、父親が学校に連れて行こうと、学校まで車で送ってくれていたのですが、私は休む理由がほしい。だから、朝食と少しの水を口に含んでおいて、校門前で吐いていました。嘔吐のふりです。そして不登校が始まり、その後はその中学校には一度も行きませんでした。
――ラジオを聴きだしたきっかけを教えてください
その年の7月ごろ、理由はわかりませんが、母がラジカセを買ってくれました。
その頃は、昼夜逆転生活。ふと深夜にラジオをつけたら「中居正広のオールナイトニッポン」をやっていました。多分、「がんばりましょう」の初オンエアと言ってたと思います。
ラジオは夜中休むものだと思っていたので、この時間に起きている人に向けてやっているんだというのがびっくりしました。それで、ラジオを聴き始めました。
――居心地のよさみたいな感覚もあったんですか
もちろん。不登校時代、一番悩んでいたころ、あるFM番組のDJが「学校なんて行かなくていいんだよ」って言っていたんです。学校に行っていないと、「行かないといけない」って思うじゃないですか。でも、その言葉で、楽になった覚えがある。ラジオは、そうやって安らぎを与えてくれました。
――それからラジオはずっと好きだった
毎日、夜中はラジオを聴いていました。
中学生のときに誕生日か何かで携帯ラジオも買ってもらいました。
小学生の頃から一人で旅行に行っていました。たとえば、住んでいた宮崎から大阪に高速バスで行くときには、大阪までの道路を全部調べて、そこで聴けるラジオの周波数も全部調べました。RKK熊本放送、KBC九州朝日放送、KRY山口放送、RCC中国放送…というように。
――旅のおともにもラジオ
そう。だから、大阪に行くとこの番組が聴けるとか、東京に行くとあの番組が聴けると楽しみにしていました。もちろん地元の宮崎でも聴いてたし、歩きながらも聴いていた。
――投稿もしていたんですか
中学2年の2月、「ナインティナインのオールナイトニッポン」で初めて投稿が読まれたときは、興奮して家族を起こして「読まれた読まれた」と。
当時学校に行ってないような人間の投稿がニッポン放送で読まれたって自信がわいたんです。
当時は東京の有楽町まで、地元からはがきが届くかどうかも不安なわけです。ポストじゃなくて宮崎中央郵便局に行って出しました。
――認められたという感じ
認められたというか、自分が存在しているんだ、という感じ。
投稿を読まれてからは、テレビでナインティナインをみる目が変わるんです。知っている人、というか。お二人の放送の中に、何かしらを残したんだという感じです。
録音しておいたカセットを編集し、何度もそこだけ聴きました。
――高校生になってからもラジオのある生活が続いた
高校生のとき、文化放送で「今田耕司と東野幸治のカモンファンキーリップス」がスタートし、はがきを投稿していたのですが、宮崎では深夜0時から1時までしか流れない。でも番組自体は2時までやっていました。
2時間全部聴きたいから、1時までは936のMRT宮崎放送で聴いて、そこからは1134の文化放送を聴きたいんで、でかいラジカセを持ってベランダに出て、ラジカセを東京に向けて、雑音混じりで聴いていました。
――その光景が目に浮かびます
宮崎放送で1時でその番組が終わるとき、毎回同じテープが流れるんです。「ここで文化放送以外の方とはお別れです」と。
そして、「このあとも聴きたい人は東京に行って聴いてください」と言うわけです。それを真に受けたというか。
ものをみる、知識を広げるには東京しかないなと思った。
――ラジオの良さって
いま、放送作家として関わっていて感じるのは、いいパーソナリティーは、ラジオの向こう側のリスナー一人一人に語りかけるように話しているということです。
僕もラジオを毎晩聞いていた当時は、ラジカセが放送局の局舎にみえていました。そこに「こびと」がいるような気がしてくるんです。そのこびとたちがラジカセの中で動き回って番組を作り、僕だけのためにやってくれていると想像していました。だからラジオの世界が心地よかったんじゃないかなと思います。
――かつての自分のようにしんどい10代へのメッセージを
僕の場合は、地元がしんどかった。引きこもりだからといって後ろ指さされることはないけど、町が狭く生きづらかった。
同じように地元がしんどいと思っている人に言えるのは、「旅をしてみて」ということかな。外に出て、好きなものを探してみてほしいです。
◇ ◇ ◇
てらさか・なおき 放送作家。「星野源のオールナイトニッポン」(ニッポン放送)、「うたコン」(NHK総合)などを構成。宮崎県で高校卒業までを過ごし、専門学校入学のため上京。デパートの知識が豊富で、「胸騒ぎのデパート」(東京書籍)の著書もある。37歳。
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