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監督の指示無視して出場停止…「星野君の二塁打」が憲法的にOKな理由
監督がバントのサインを出したのに、それを無視してヒッティングしたところ二塁打に。チームを勝利に導いたが、監督から告げられたのは、出場停止だった――。道徳の教材にも使われている「星野君の二塁打」が、日大アメフト部問題をきっかけに注目されています。組織の一員なら「命令」は絶対に守らなければならないのでしょうか。「憲法」の視点から考えてみると……。(朝日新聞社会部記者・木村司)
話を聞いたのは、江藤祥平・上智大准教授です。
――憲法のメガネをかけると、星野君の二塁打はどんなふうに見えるのでしょうか。
「いきなり脱線しますが、実は、小学6年のとき星野君と似たような体験をしました。私は大阪で一、二を争うチームの2番打者でした。とある大会で、相手がリード。後攻、二死ランナーなし。打席に立った私に監督から出されたサインは『三振』でした」
「試合終了の制限時間が迫る中、私が早くアウトになれば、次の回にもう一度攻撃できるという状況です。監督は、次の回での逆転を考えたのです。しかし、私は思いきりバットを振りました。結果は、ショートゴロ。その後、チームは逆転勝ちしましたが、この出来事もあって私はいったん野球から身を引くことにしました」
――いきなり、つらい話ですね。そうすると、星野君の二塁打はもちろんOK?
「いいえ、命令や指示に従わない人ばかりではチームは成り立ちません。憲法学の視点からまず考えるのは、野球のバントという指示が、ルールとしてあるいは戦術として定着した合理的なものかどうかです。合理的なものである限りは、監督の指示に従わなければなりません」
「したがって、星野君が理不尽に感じたとしても、やはり監督のサインは守らなくてはいけなかったと考えます。ただし、状況によっては、守らなくてもいい場面があることもたしかです」
――指示や命令を守らなくてもいい場面とは
「その指示や命令が、ルール(=合理的なもの)を超えているときです。具体的には、日大アメフト部の問題が当てはまるかもしれませんが、ルールを超えて監督に対する精神的な忠誠が求められているような場合や、監督や部の伝統がルール以上の絶対的な存在となっているようなケースです」
「気持ちや精神力で勝つということが、日本の体育会やスポーツの伝統では強調されがちです。精神論としてはわかるのですが、ルールや合理的なもの以上の何かに訴えかけている面では、かなり危険をはらんできます」
「合理性を超えた精神力を要求することが悲惨な結果を招いているケースは、今の日本社会に随所にみられます。たとえば、次々と明らかになる過労死の現場は、その典型でしょう。そんな会社は辞めてしまえばいいのに、と端から見れば思うかも知れませんが、渦中にいると、不合理なことになかなか気づけないものでもあるのです」
――先の大戦も思い浮かびますね。
「はい。合理的なものを超えた究極の命令(=絶対的な価値への服従)によって、多くの命が奪われてしまいました。法律や国家を超えた存在である天皇が唯一の価値基準とされ、『個人』というものが消滅し、天皇のためなら人間魚雷にもなって死んでいく、といったおぞましい結果を引き起こしてしまいました」
――そうした命令や指示には、どう対応すればいいのでしょう。
「憲法13条には、『すべて国民は、個人として尊重される』とあり、実はここには、私たちは個人としてあり続けなければならない、という『責任』も含まれています」
「理不尽な命令を課されたときに、それに従うばかりでは、個性は失われてしまいます。勇気を振り絞って、おかしいです、ということで自分という個人を守る。監督や上司に自分という個を尊重させることが必要になってくるのです」
「言い方を変えると、私たちは、憲法によって、理不尽な指示や命令を守らない義務を課せられているといえるのです」
――守らない義務、ですか。現実には難しそうです。
「たしかにそうですね、レギュラーから外されたり、不本意な異動を命じられたりするかもしれません。しかし、理不尽な命令に従い続けているだけでは、何も変わりません。自分が権力を持つ側に立ったときも、やはり同じように理不尽な命令を下してしまう恐れがあります」
「本当に悪いのは、そういう理不尽な命令を守らなければならないような風潮や伝統をつくりだしてきた権力者の側です。しかし、そういう権力者を責めているだけでは、問題の根本的な解決にはなりません。むしろ、一人ひとりが勇気を持って個人として立ち上がるという自分自身に課せられた責任を果たしていかないことには、上の責任者が入れ替わるだけで、いつまでも、同じ事が繰り返されてしまいます」
「たとえ『非国民』と呼ばれたとしても、戦争への歯止めとなれるのは個人しかいないのです」
――うーむ、考えさせられます。改めて、星野君のケースについてはどう考えればいいのでしょう。
「監督との関係性に、必要以上の忠誠が求められていたり、理不尽な条件が課せられていたりしない限り、星野君はルールを守らなければいけないと考えます」
「ただ、バントのサインを無視したことの代償が、大会への出場禁止というのは、重すぎる罰だと思います。何よりも大切なのは、なぜ星野君がルールに反して打ってしまったのか、監督や保護者が星野君の言い分をしっかりと聞くこと、その上で『大人』としての論理を説明するというプロセスを経ること、だと考えます」
「憲法13条は『個人の尊重』を定めています。子どもは、まだ自分の個性を十分発揮できませんので、大人が、命令を押しつけるのではなく、子どもの気持ちに寄り添い配慮していくことが必要になります。子どもの個性を育んでいくのです」
「周りの大人には、子どもがこれから個人として生きていけるだけの環境をつくっていく義務があり、本人の言い分にしっかりと耳を傾けることはまさにその一つです。出場禁止を課すことは、監督を絶対的な存在とさせて、今後はルール以上の忠誠を星野君に求めることにつながります。これは勝利のための手段かもしれませんが、子どものためとはいえません」
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