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人口73人の島で生まれた「20年ぶりの商店」が教えてくれたこと

人口73人の島で生まれた「20年ぶりの商店」竹のいえの店内
人口73人の島で生まれた「20年ぶりの商店」竹のいえの店内

目次

 地方出身の人なら、なじみのある「商店」。お菓子から洗剤、おもちゃまで、だいたいのものがそろう地域の重要な場所でした。今では、コンビニやショッピングセンターにおされ、ほとんど見かけなくなった「商店」を開店させた人がいます。しかも、人口わずか73人の島で。島の生活でもネットスーパーが普及している時代。それでも開いた理由は? ぶっちゃけもうかっているの? 真相を探りにフェリーに飛び乗り、東シナ海に浮かぶ鹿児島県三島村の竹島に向かいました。(朝日新聞鹿児島総局記者・加藤美帆)

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「人口73人」になぜ?

 北海道生まれの私が鹿児島に赴任したのは今年4月のこと。福岡から鹿児島へ転勤し「島担当」を命じられました。

 南北600キロに広がる鹿児島県は全国で4番目に多い26の有人離島があり、私は赴任直後、前任者から「人口73人の島に20年ぶりに商店ができるらしい」と聞いていました。

 道産子としては「南の島」と聞くだけでワクワクします。

 「人口73人しかいない島に、どうしてわざわざ店をつくるの?」「そもそも南の島ってどんなところ?」次々に疑問がわいてきました。

 「島担当が行かないわけに行かない」と思い立ち、5月中旬、竹島行きのフェリーに飛び乗りました。

竹島行きのフェリー。遠くに見えるのは桜島
竹島行きのフェリー。遠くに見えるのは桜島

天候次第で帰れないことも

 竹島行きのフェリーは週に4便しかなく、無事島にたどり着いても、台風など悪天候の際は船が遅れ何日も帰れないこともあります。

 1泊2日の予定ですが、スーツケースにもう数泊分の衣類を入れ鹿児島港へ向かいました。

 フェリーが出るのは鹿児島市本港新町にある鹿児島港です。海の向こうに雄大な桜島を臨みます。

 桜島やほかの離島へ行くフェリー乗り場が集まっています。乗客は島の住人や島でも工事の仕事をしている人が多そうです。

フェリーに乗る人たち
フェリーに乗る人たち

唯一の交通手段フェリー

 島民にとって本州との唯一の交通手段であるフェリー。その大きさは全長89.5メートルで、思ったより大きい。

 港の待合所でチケットを買います。

 船の前には、車でお弁当やパンを売る店が2店あります。船の中ではお弁当などを販売していないため売っているそうです。

 みな立ち寄ってはお弁当を買って船内へ。私ものぞいてみると手作りのお弁当やパンがずらりと並んでいました。

 コンビニでパンを買っていましたが、サンドイッチがどうしてもおいしそうで、卵サンドを買ってしまいました。

 腹が減っては戦は出来ぬ……食料を調達したところでいよいよ乗船。いよいよ気分が高まります。

フェリー乗り場で見つけた移動パン屋
フェリー乗り場で見つけた移動パン屋

 中も思ったより広く、明るく開放感がありまるでホテルのよう。

 食事が取れる広い部屋や飲み物やカップラーメンを売る自販機もあります。

 心配していた波による揺れも少なく、予想よりも広く快適です。

 船室では、約3時間の航海で仮眠が取れるよう枕や毛布が用意されています。

 約90キロ南の沖合に浮かぶ竹島は鹿児島市から南方向で最も近い離島。とはいえ、約3時間の船旅の始まりです。

フェリーから見えた開聞岳
フェリーから見えた開聞岳

3時間、あっという間に到着

 出港後、まずは腹ごしらえ。

 ロビーで、窓際の席に座り、さきほど買った卵サンドをかじりながら海の眺めを楽しみます。

 パソコンを広げ取材の準備をしていましたが、1時間もすると手持ち無沙汰に……

 他の乗客は多くは船室へ向かいます。みんな何しに?と後をついて行くと仮眠しています。
 
 私もすることがなくなってしまったので、みんなのまねをして毛布をかぶり、しばし就寝……

 何だか修学旅行のよう?

 さらに1時間ほど爆睡したところで目が覚めました。
 
 すっかり船旅気分に浸っていたら、海上から緑色の島が見えていました。3時間、意外とあっという間です。

 近づくにつれ島全体が竹に覆われているのがわかりました。三島村によると、島の名前の通り島全体がリュウキュウチクという竹に覆われているそうです。

港が近づく
港が近づく

気分は一気に「島時間」

 島は周囲約9.7キロ、面積約4.2キロ平方。酒屋と民宿、自動販売機が1台しかない島に4月、島出身の山崎晋作さん(35)が実家を改装した商店「竹のいえ」をオープンさせました。

 フェリーを降りると山崎さんが迎えてくれ、車で1、2分ほどで中心部の集落に着きました。

 港には鹿児島港に比べるとこぢんまりとしていて、迎えに来ている島民も多く、アットホームな雰囲気。気分は一気に「島時間」になります。

 島のシンボルというガジュマルの大木を通り交差点を曲がると、真っ赤なハイビスカスが目に入りました。「竹」の文字が入った鮮やかなのれんをくぐると、白を基調をした明るい店内が広がっていました。

これが「20年ぶりの商店」竹のいえ
これが「20年ぶりの商店」竹のいえ

「ここが……」

 「ここが、20年ぶりの商店か……」と感慨深く観察します。

 広さはコンビニの4分の1くらい。壁に島の竹材をふんだんに使った店内には、食料品や洗剤などの日用品、土産品など約400種類の品。冷凍の肉やアイスクリーム、カップラーメンやパンが人気といいます。

 20年前に商店がなくなって以来、島の住民の買い物は電話やインターネットが中心。注文した商品は、週4便のフェリーで運ばれてきました。悪天候だったり海が荒れたりすれば、1週間以上も船が来ないことも。

 私が訪れたこの日も、昼過ぎにフェリーが港に到着すると、運び出されたコンテナから島民たちはそれぞれの荷物を取っている様子が見られました。

食料品のほかTシャツなどのお土産もそろえている
食料品のほかTシャツなどのお土産もそろえている

子育てして気づいたこと

 「竹のいえ」は、山崎さんが島民の交流の場としてつくった場所。

 高校進学のために島を離れ、都内や鹿児島市のコンピューター会社に勤めた山崎さん。山崎さんが過ごした竹島は、島中の自然が遊び場で、近所の人たちが遊び相手でした。

 22歳の時、鹿児島市に住んでいた姉の当時1歳のおいの子育てを手伝ったことがあるという山崎さん。

 「島で娘から目を離しても、近所の人が抱っこしてくれていたり、猫と遊んでいたりする。島全体が知り合いなので。都会では小さな子を一人で外に出すことすらできないんだ、と驚きました」

 鹿児島市は都会なのに、幼い子どもにとっては島よりずっと危ないところだと感じたそうです。

のれんをかける山崎さん
のれんをかける山崎さん

実は特別なものだった島でのつながり

 鹿児島市のコンピューター会社で働いていた6年前に妻の貴子さん(36)と出会い結婚を機に2014年、島で子育てをしたいと故郷にUターン。

 そこで、自分が地域に育ててもらったこと、自然や人と人とのつながりは特別なものだったことを実感したといいます。

 帰郷した翌年の15年に長男僚馬君(3)が誕生。人口が減り続ける島の将来を心配し、人々が訪れる島にする第一歩として、実家を改装して20年ぶりに商店を復活させました。

竹のいえと三島村オリジナルデザインのTシャツ
竹のいえと三島村オリジナルデザインのTシャツ

「誰かつくらないかな?と思っていた」

 島には高校がなく、島民も多くが中学卒業時に島を離れるといいます。三島村によると、1965年に162人いた島民は半分以下に減りました。

 そんな場所で商店を開くことに不安はなかったのでしょうか?

 山崎さんは「『島に商店がなく不便』『商店があったらいいのに』ってみんな言っていました。誰かつくらないかな?と思っていたけど誰もつくらないので、だったら僕がつくろうかと思いつくりました」と言います。

 「やれば何とかなるんじゃないかと思い。予想以上にみなさん来てくれています」

「子牛」支給の移住制度

 実は、村には移住者を募るための「大胆な」制度があります。

 1990年に農林水産業などでの自営を目指す55歳以下の移住者に対する助成制度では、子牛1頭または50万円が支給。1人世帯は月額8万5千円、夫婦2人子ども2人世帯は同13万円の助成金が3年間もらえます。

 2014年度は5世帯10人、2017年度は1世帯4人がこの制度を使い移住しました。しかし、「思い描いていた島と違った」と島を離れた人もいるそうです。

 その多くは「思っていた生活と違った」「生活が不便」といった理由といいます。

 そんな中、島に働く場所をつくろうと、山崎さんは2015年にNPO法人「みしまですよ」をスタート。ブログを通じた島の情報発信や島特産の「大名筍(たけのこ)」のブランド化などに取り組んでいます。

店外のベンチでくつろぐ常連客と子ども
店外のベンチでくつろぐ常連客と子ども

あっという間に夜が更ける

 島を訪れて驚いたのは島じゅうの人が知り合いということ。店でも道ばたでもみなが知り合いでおしゃべりをしています。

 山崎さんと貴子さんが忙しそうにしていると、近所の人がひょいっと長女来海(くるみ)ちゃん(1歳)を抱きかかえあやしています。

  夕方、店では外に置かれたテーブルとベンチに常連客と子どもが集まり、店で買ったアイスクリームを食べながらくつろいでいました。近所の人が集まってバーベキューをすることもあるといいます。

 地域みんなで子どもを育てているようでした。

 「いいなあ、楽しそう」

 思わずそんな言葉が出る光景でした。

 農業の日高タケコさん(80)は店内で来海ちゃん(11カ月)と遊んでいました。日高さんは「ここで子どもたちに会えることが生きがいになった」ととてもうれしそうです。

 この日の夜は、山崎さん夫婦に村産のサツマイモで作った焼酎「みしま村」をごちそうになり、店に込めた思いを聞かせてもらいました。あっという間に夜が更けていきました。

山崎さんの長女・来海ちゃんに話しかける常連客
山崎さんの長女・来海ちゃんに話しかける常連客

で、もうかっているの?

 ワーク・ライフ・バランスのお手本のような島の生活ですが、ビジネスとしてはどうなのでしょう?

 荷物を運ぶフェリーの欠航があるとはいえ、ネットスーパーではたいていの商品が手に入る時代です。

 山崎さんは「ネットスーパーと比較しながら値段を抑えているものの店の売り上げは好調です」と明かします。

 5月は2年目の売り上げ目標だった60万円を達成したそうです。

 そんなに好調な理由とは?

 山崎さんは「ネットスーパーや卸問屋などいろんな店を比較して、一品ずつ一番安い店を探して値段をおさえています」とその理由を明かす。

 「安心感、親しみを提供したいので。人が集まって話ができる場所を提供したくて。高かったら楽しくないじゃないですか」と話します。

軍手や割り箸などの日用品も得置いている
軍手や割り箸などの日用品も得置いている

竹のいえが教えてくれたこと


 「竹のいえ」を訪れて考えたのは「商店って何だろう?」「買い物って何だろう?」ということです。

 「竹のいえ」をビジネスとして軌道に乗せられたのは、人が集まる「憩いの場」になっているから。

 それは、山崎さんが店を作ろうと思った動機の一つでもありました。

 商品の価格は、格安スーパーより高く、コンビニと同じくらいです。ネットでは、値段の比較が簡単にできる時代。安さだけを求められると「正直、これで本当にもうかるの?」と思わざるを得ません。

 でも、「竹のいえ」の魅力は買い物だけではありません。

 カフェや、居酒屋のような、都会には当たり前のようにある店が島にはなく、人が集い語らう場所が貴重な存在になっているのだと感じました。

 山崎さんと同じように島に移住した保育士の女性も「仕事帰りになんとなく寄りたくなる場所。ふらりと寄ると必ず誰かいて、立ち話をして帰る。とても気分転換になる」と話していました。

 大量に必要なものや、毎日使う物はまとめてネットスーパーで買うかもしれません。でも、日々の生活の中で何か足りなくなることがあります。そういう時、自分だったら「竹のいえ」に行ってしまうんだろうな、と思いました。

 単に「物を買える場所」だけではなく、人が集まり会話ができる場所。「竹のいえ」は、お店がたくさんある都会の人間が忘れていた「商店」や「買い物」の魅力を、気づかせてくれました。

買い物をする常連客たち
買い物をする常連客たち

「島では挑戦ができる」

 山崎さんは、軌道に乗り始めた「竹のいえ」の部屋を利用して、島での生活を体験できる民泊を始めるのが目標です。

 「島では挑戦ができる。小さな島だけど世界が広がった」と山崎さん。

 「住む人が増えれば、島は活性化する。住みたいと思ってもらえる楽しい島にしたい」

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