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格差社会を生きる厳しさ、31文字に 共感広がる平成の「社会詠」
格差社会を生きる過酷さを、若い歌人たちが多くの短歌に詠んでいる。非正規労働の不安、果てない長時間労働、分断される職場……。短歌の世界で「社会詠」と呼ばれる分野がいま、1970年〜80年代生まれの「ロストジェネレーション」と呼ばれる世代の自己表現として注目され、共感を広げている。
バブル崩壊後の就職氷河期に新規卒業者となり、厳しい仕事探しを強いられてきた「失われた世代」の短歌が描くのは、どんな世界か。彼らの直前の世代に属し、中堅の広告会社で中間管理職として働きながら短歌づくりを続けているユキノ進さん(50)に、ここ数年に刊行された若手歌人の歌集のなかから、格差を主題とした社会詠の秀作を選んでもらった。描かれているのは、「働くこと」をめぐって起きている様々な変化と、それに向き合う一人ひとりの等身大の苦しみ、悲しみだ。
虫武一俊さんの歌集『羽虫群』(2016年刊)に収められた作品だ。虫武さんは1981年生まれ。失われた世代の真ん中にいる歌人だ。
ユキノさんは言う。「厳しい就職環境のただなかにあった彼らの世代の多くが、社会人としての入り口で、つまずいてきた。ひとたびドロップアウトすれば、復帰のハードルはどんどん高くなっていく」
採用面接で「30歳、職歴無し」と告げた時、相手の面接担当者はなぜ、そんなあからさまに嘆息を放ったのか。決して、浅薄なあざけりや侮蔑とは思えない。
もしかしたら、生まれた時代がほんの少し違っていれば自分も<面接される側>に回っていただろうと、運命のいたずらに心乱していたかも知れない。もしかしたら、いま同じ時刻にほかならぬ自分の息子が受けているはずの採用面接を思い、親心で嘆いていたのかも知れない。
人づきあいの苦手な自分でも働ける場所を求めてかなえられず、ぼうぜんと雨に打たれる歌人。不器用な人間はますます生きづらい時代になった。
「いまの職場は『コミュニケーション力』」が求められ、『無口でも腕の立つ』といった職人気質の人間にとっては居場所がなくなった」と、ユキノさんは言う。企業の採用面接では当意即妙な受け答えや愛嬌が求められ、会社の人事評価には「協調性」「積極性」といった項目が並ぶ。その評価は仕事の能力の判定というよりは、人間性の値踏みであるかのようだ。
会社から支給された一本のペン。それが正社員の証しでもあった。1980年生まれの山川藍さんの歌集『いらっしゃい』(2018年刊)から。なぜ作者は退職することになったのか。歌からその背景が浮かび上がる。
ほのかなユーモアにくるまれつつも、重苦しさをかもすこれらの歌たちを、ユキノさんは読み解く。「不景気による採用削減によって職場の年代構成はいびつになり、若手社員の責任や負担は格段に大きくなった。職場の心理的負荷によって心を病み、労災認定される人が年々増えている。厳しい就職条件のなかでなんとか正社員の職を得たものの、過酷な労働環境から辞めてしまう人も多い」。そして、いったん非正規雇用になってしまうと、復帰する道は険しい。山川さんの歌集に、そんな女性の姿が描かれる。
とりわけ女性の正社員率は、30代以降年齢とともに急激に下がる。社会人経験の豊富な派遣社員に囲まれて、経験の浅い女性正社員が背負い込まされる負担も大きい。
沼尻つた子さんの歌集『ウォータープルーフ』(2016年刊)から。沼尻さんは1971年生まれ。派遣社員としてさまざまな職場を転々とし、ハローワークの事務と見られる仕事に就いたらしいことが、収められた歌から読みとれる。「ハローワークで求人の受け付け業務をする職員もまた非正規雇用である、という皮肉な現実がある」と、ユキノさんは読み解く。
瞽女とは、近世まで全国各地に見られた盲目の女芸人のことだ。三味線を弾きながら、歌を唄ったり物語を語ったりしてわずかの金銭を得ていた。地域ごとに統制され、数人単位で町村をめぐり歩く苦しい生活だったという。
歌人は、そんなかつての女性たちの唯一の生活手段だった三味線が、いまは1枚の履歴書に姿を変えて、派遣社員のなりわいを支えているのだと詠む。
「職場における派遣社員の比率は90年代以降ずっと増え続けている。同じオフィスで机を並べて働きながら、ある日、契約は終わり人は去ってゆく。職場の分断はいろいろな形で可視化され、そして常態化している」
最後にユキノさん自身に、自作を紹介してもらった。歌集『冒険者たち』(2018年刊)から。ユキノさんは1967年生まれ。紹介した3人の歌人より一つ上の世代に属する。
損益計算書の5文字には、「PL」という短いルビが振られている。企業会計ではそう略称する。「多くの企業が利益をより投資家に回すようになり、好景気のなかでも人件費は抑制されて長時間労働が続いてきた。企業にとって都合のよい派遣労働が増え、同じオフィスのなかで正社員との格差が露見することが多くなってきた」とユキノさんはいう。
職場の同僚を描き、自分自身を描く。だが、彼我にどれだけの差があるというのか。
広がる格差、心を病む社員たち、長時間労働と働き方改革。それは日々の職場の風景であるとともに、現代の多くの職場で同時期に起きている社会の変化でもある。短歌が切り取る一瞬の中に、歴史や世界の残酷さが映りこんでいる。「格差の拡大や中間層の衰退は80年代以降の世界的な潮流であり、その中で会社員たちは翻弄されている」
バブル経済の崩壊と前後して大学を卒業し、社会へと出たユキノさん。勤務先は複雑な経営統合などを経て、雰囲気も環境も変わった。会社員の宿命のような単身赴任も経験し、中間管理職として本社に戻った。「日々の職場で感じる違和感も、年を追うごとに増えている。いまの企業や職場で起きる日々の一瞬々々を、短歌に切り取ることを通じて、歴史や世界の残酷さを描いていきたい」と歌人は語る。
日本を代表する歌人で、現代歌人協会理事長を務める佐佐木幸綱さんはこのほど、「平成とは何だったか」と題して日本記者クラブで講演し、短歌と世相について語った。東日本大震災を歌った数多くの新聞投稿歌があることを紹介しながら、平成時代の「社会詠」の特徴を分析した。「社会的な事件のなかに、個人の目でなければ見えないものを見つけるのが短歌である」という。
一方で、「実は社会詠は減っている」とも指摘する。大学で教えながら、バブル崩壊後の社会変化に振り回される学生たちの姿を、佐佐木さんは見てきた。「いま、短歌の世界では政治批判などの『大きな問題』は影をひそめ、若い人たちは個人的な問題を歌にしている」
時として見逃されがちでもある現代社会の残酷な断面が、若い歌人たちの作品のなかに表現されている。
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