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「事件に無関心」23年前のオウム在家信徒たち 記者が今願うこと
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地下鉄サリン事件でオウム真理教元代表の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚が逮捕された23年前、私は駆け出しの新聞記者で教団の支部を取材していました。そこには、当時の教団代表で「尊師」と呼ばれた松本死刑囚や、今回ともに死刑を執行された「出家信徒」の元教団幹部たちとは違い、社会で生活をしながら支部へ通う「在家信徒」たちがいました。その頃のオウムの一面を、取材メモや写真から振り返ります。(朝日新聞記者・藤田直央)
松本死刑囚は1995年5月、山梨県上九一色村で「サティアン」と呼ばれた要塞のような建物にこもっているところを逮捕されます。その数年前、私が大学生の頃から、冷戦の終わりやバブル景気の崩壊といった混迷が続いていました。新興宗教が注目され、大学の学園祭で松本死刑囚が講演したこともありました。
そこから「尊師逮捕」への暗転を、信徒たちはどう考えるのか。大学を出て記者2年目だった私は、世間とまだ交わりのある在家信徒たちに話を聞きたいと思いました。教団の東京総本部に取材許可を得て、在家信徒たちが通うある支部を訪れると、親との関係や仕事、恋愛など、今と変わらぬ悩みを抱えた人たちの姿がありました。
当時オウム真理教の支部は全国に18カ所あるとされ、私の初任地の千葉県ではその一つが船橋市にありました。細い道路が入り組む住宅街で、かつて松本死刑囚が妻子と暮らした木造二階建てです。この船橋支部「道場」は97年に取り壊されますが、95年7~8月に取材で訪ねた時は、玄関に「松本智津夫」の表札がかかり、信徒たちの靴が並び、外では私服の捜査員が見張っていました。
中に入ると、広々とした和室に冷房が効き、松本死刑囚の説教のビデオが流れていました。数人が目を閉じて蓮華座を組み、ヘッドギアをつけた人も。その傍らには談笑する人たちや昼寝をする子どもがいました。31歳という支部長の男性は「ここに住み修行する出家信徒が自分を入れて7人、在家信徒は名簿では約250人が支部に属します。在家信徒の出入りは自由で、一日2、30人来ます」と話しました。
在家信徒として紹介されたのは20~40代の5人。記事では匿名を望みましたが名前を言い、なぜ入信したのか、地下鉄サリン事件をどう思うのか、今後どうするのかといった質問に、率直に答えていたように思います。支部長が同席し、話が教義や修行の内容に及んだ時や、信徒が答えに詰まった時に口を挟みましたが、時々席を外して他の信徒を指導していました。
当時の取材メモから、うち3人の話を紹介します。
▽東京都内の大学院文学部に通い、25歳という女性のAさん
「船橋市で家族と同居。いい大学、会社、結婚で幸せになれるという価値観を両親から押しつけられたが、それが全てではないと考えていた。オウムはとても信頼できる友人に進められ、世間一般の価値観を否定している点で自分と似ていると思い入信した」
「自分が漠然と考えていた宇宙観、人生観についてオウムは納得する説明を与えてくれた。入信は信頼できる人にしか話していないから交友関係に影響はないが、両親はわかってくれないだろうから話していないし、出家するかどうかもわからない」
▽東京都内の会社に勤め、30歳という男性のBさん
「名古屋市出身で千葉県内のアパートにひとり暮らし。人間関係で衝突を恐れ相手の気持ちに踏み込めない自分を変えたかった。就職、仕事、恋愛と尽きない悩みを究極的に解決できないか考えていた。週刊誌のバッシング記事でオウムを知り3年前に入信した」
「人間はなぜタバコを吸うのか、不倫をするのか。オウムは『欲望にとらわれた人間の悪い行い』という見方を与えてくれた。人生の法則や心の平穏など、日常生活で自分に利益のあるテクニックに関心があり、在家のまま仕事を続けたい」
▽千葉市の団地に住み、翻訳業で44歳という男性のCさん
「北海道出身。お金や出世を求めて安らぐ場所のない世の中が中学生ごろから疑問で、京都の大学を出ても社会の歯車になるのが嫌で会社に勤めず、インドを旅行したあと翻訳業を始めた。尊師の本を読んで仏教の核心を理解していると考え、8年前に入信した」
「妻、長男と一家で在家信徒。ほぼ毎夕、家族で支部に来て、ビデオを見て、ヨガをして約3時間で帰る。入信は近所に知れ渡っているがつきあいがなく気にしない。出家したいがこの子(長男)が心配。オウムを人生に生かしてほしいが、いじめられないかと」
出家をしない理由を、AさんとCさんは家族を気にして、Bさんは人生のテクニックと割り切って、とそれぞれ説明していたのが、印象に残ったのを覚えています。
その後3人はどうなったのか。教団の犯罪が次々と明らかになる中で、うまく社会と折り合いをつけながら人生を歩めたのか。取材メモに連絡先がないか探していて、当時、在家信徒と直接連絡を取らないよう教団に言われたことを思い出しました。そのオウム真理教も、2000年に名称を変えるなどしてなくなりました。
船橋支部での取材は当時記事にしましたが、その後教団を取材する機会はほとんどなく、在家信徒たちの話を聞きっぱなしにしてしまったという後ろめたさを時折感じていました。あれから23年、40~60代になった3人に再会できればぜひ聞いてみたいのは、オウム真理教による一連の事件をいまどう思うかです。
松本死刑囚は今回、13人が死亡、6千人以上が負傷した95年の地下鉄サリン事件、94年の松本サリン事件、89年の坂本堤弁護士一家殺害事件などで、計27人を死なせたとして死刑を受けました。一連の裁判では松本死刑囚を含む元教団幹部13人の死刑が確定しており、一組織が起こした事件では戦後最多です。そして、肉親を奪われた遺族や、後遺症を抱えた被害者は、今も苦しんでいます。
あの支部で在家信徒たちに会ったのは地下鉄サリン事件から3カ月と少し経った頃でしたが、まだ96年に始まる松本死刑囚の初公判の前で、事件への反応は淡々としたものでした。
「被害者には悪いが関心がない。支部に悪い人はいない」(Aさん)、「捜査や報道は教団をピラミッドの頂点から見るが、下から見れば信徒の大半が救いを求める普通の人だ」(Bさん)。Cさんは静かに、「何が本当かは歴史が証明する。尊師が死刑になってもオウムを信じる。尊師は精神の世界にいる」と話していました。
死刑が確定した元教団幹部13人のうち、1日で7人という今回の死刑執行には様々な議論があります。ただ、この節目が、出家しなかった多くの元在家信徒たちにとって、自身が救いを求めた教団の幹部らに下った重い罰の意味を考える機会になることを私は願います。
取材当時、オウム真理教の東京総本部は、「1994年の名簿によれば、信徒約1万1千人中、在家信徒約1万人が全国の支部に属する」と説明していました。