感動
慰霊の日、りゅうちぇるさんに教えてもらった「今、発信する理由」
りゅうちぇるさんの「そのツイート」を目にしたのは、4月のことでした。「沖縄戦の『慰霊の日』にはうーとーとーをします……」。テレビで見るのとは違う、彼の真剣な投稿にひかれました。どんな思いで投稿したのか聞いてみたい。目の前に現れたりゅうちぇるさんは、あのかわいい声そのままに、平和とふるさとへの思いを熱く語ってくれました。(朝日新聞記者・逸見那由子)
「うーとーとー」は沖縄の言葉で「手を合わせて祈る」という意味です。
りゅうちぇるさんは、上京してから毎年のようにツイッターで「きちんと『うーとーとー』したよ」「戦争のない、差別のない、平和な世界を願いましょう」などと投稿してきました。
今年はこんな風に呼びかけました。
今日6/23は慰霊の日。昔どんなことが起きていたのか、そして今起き続けていること、大好きなふるさとのことを祈ろうね。東京に上京しても、ふるさとへの思いがあるなら、うーとーとーしようね。そして慰霊の日を知らない方、こういう発信の力で、どういう日かを知ってもらうだけで大きな一歩だと思う。
— 💖🤩Prince Ryuchell🤩💖 (@RYUZi33WORLD929) 2018年6月23日
りゅうちぇるさんは高校卒業まで沖縄で育ちました。沖縄では6月23日の「慰霊の日」が休日。正午になるとサイレンが鳴り、黙禱をするのが当たり前のことでした。
6月23日は日本中が休日だと思っていたというりゅうちぇるさん。「東京に来て、戦争について考える時間があまりになくてびっくりした」と言います。
ツイッターに「うーとーとー」の投稿をしたのは、そんなギャップを感じていたときのことでした。
「モンパチさん(バンドのモンゴル800)の歌にも『忘れるな琉球の心』という歌詞がある。沖縄の人には、地上戦の悲しみ、苦しみを忘れてはいけない、絶対繰り返しちゃいけないっていう認識があるんです」
※琉球王国=明治時代まであった王国。明治政府によって解体され、沖縄県が設置された
基地問題で揺れる沖縄ですが、本土との温度差があるのも事実です。私自身、記者という職業を選ばなければ、6月23日を意識して過ごしていなかったかもしれません。
朝日新聞では、中学生の平和学習に役立ててもらいたいと、4年前から「知る沖縄戦」という別刷り紙面を、通常の紙面とは別に作り、希望する学校に配布してきました。
私は今年、別刷り紙面の編集を担当しました。
教育現場だけでなく、若い世代の人たちに関心を持ってもらうにはどうすればいいだろう……。そんなことを考えていたときに出会ったのがりゅうちぇるさんのツイートでした。
はっちゃけた印象を持っていただけに、言葉のひとつひとつに真剣さが伝わる「うーとーとー」の文面には、意外さとうれしさを感じました。
さっそく事務所に取材をお願いしましたが、りゅうちぇるさんは人気タレント。ダメでもともとの気持ちでした。快諾いただいたときは、私自身が驚いてしまいました。
りゅうちぇるさんが戦争について考えるきっかけは、今も沖縄に集中する米軍基地にもありました。
宜野湾市にあった自宅は普天間飛行場が目と鼻の先。「親から『あそこ(基地)から別世界で言葉も違うんだからね』って言われてきました。それは、戦争があってこうなったので」
幼い頃から基地のそばで育つと、爆音を響かせて上空を飛び交う米軍機にも慣れっ子です。
ところが、ある出来事をきっかけに危険と隣り合わせだと思うようになったそうです。2004年8月の米軍ヘリの沖縄国際大(宜野湾市)墜落事故です。小学校3年生だったりゅうちぇるさんは、その瞬間をすぐ近くで目撃し、「その光景は忘れられない」と語ってくれました。
日本は今年で戦後73年を迎えますが、世界では今も紛争が絶えません。戦争を繰り返さないために未来を担う子どもたちができることは……。
そんな問いにりゅうちぇるさんは、一瞬考えた後、コミュニケーションの大切さを挙げてくれました。
「大事なことをよく話し合えていないのに、『らちがあかない』と軍事力を使う。いじめも『勝手に決めつけてみんなの力でいじめる』みたいなところがある。悲しみしか生まれないし、誰もハッピーにならない」
もうすぐ生まれる息子の名前は、米国のミュージカル映画「ヘアスプレー」の主人公から「リンク」と決めているそうです。黒人差別などを取り上げたストーリー。日本では珍しい名前ですが、「リンクは人の見た目ではなく中身を見て人を愛する子。息子にはそんな子になってほしい」という両親の願いが込められているといいます。
りゅうちぇるさんの父方の祖父は米兵だったそうです。戦後沖縄で祖母と結婚するも、離婚して米国に帰国しました。
祖母自身、10代のころ沖縄戦の集団自決から逃れて生き残った人でしたが、「戦争は人を変えてしまう。皆が皆悪い人ではないし、皆が皆良い人ではない」と祖父や米兵を悪く言わなかったと言います。
憎しみや偏見ではなく、目の前の相手としっかり向き合う。祖母の教えをりゅうちぇるさんが大切にしているのがよく伝わりました。
言葉を選びながら自らの体験や沖縄への思いを語ってくれたりゅうちぇるさん。取材中には、お茶を勧めてくれる心配りも。私自身、無意識の内にりゅうちぇるさんの見た目や若さで先入観を持っていたのかもしれない。大切なことに気付かされた一日でした。
慰霊の日の翌日、りゅうちぇるさんは、最近始めたばかりというブログにも思いをつづりました。
「今考えると、ぼくのふるさとでは、今の平和な毎日が当たり前ではないんだよ、という大切なことを、教えてくれる大人がたくさんいて、環境がありました。素晴らしいよね。でも、これはぼくのふるさとだけの問題ではなくて、昔この国で何が起きたのか、そして今でも起きている問題を、改めて考えなおして、みんなで、平和を願いたい。そして、この記事を読んで、こういう発信力で、慰霊の日を知らなかった方にも、知っていただいて、改めて平和を考えてくださるだけで、大きな一歩だな、と思うんです」
私自身も小学生の時、両親の祖母から戦争体験を聞いたことがあります。
原爆で焼け野原になった広島の街を歩いたという母方の祖母。東京大空襲で自宅に焼夷弾が降り注ぎ、命からがら逃げたものの、幼い妹は栄養失調になって亡くなったという父方の祖母。どちらも亡くなり、もう話を聞くことはできません。もっと詳しく聞いておけばよかったという後悔もあります。
73年前を今の日本に置き換えて想像するのは少し難しいです。でも、あの時代を生き抜いた祖父母がいて、今のわたしがいるということ。生きたくても生きることができなかった人たちがいたこと。今も世界では、爆撃におびえたり、おなかをすかせたりする子どもたちがいること。平和が当たり前ではないこと……。
戦争を知ることには、そんなことを心にとどめる意味があると思っています。
平和を維持するためには、願うだけではダメだという意見もあります。その通りだと思います。それをどう実現するか考えるためにも、過去を「知る」ことを大切にしたいです。
りゅうちぇるさんが今年、慰霊の日に関してツイッターに投稿した2件は、計5千以上リツイートされ、コメント欄には「黙禱しました」「慰霊の日って知らなかった」「沖縄のこと教えてください」「忘れないことが大事」「見直した」といった声が並びました。
若い世代の心にも届いていること、うれしく思いました。りゅうちぇるさん、ありがとう。
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