連載
「学校はすべてではない」マドジャスさんの「#withyou」
学校に行けない……行きたくない……このままだとどうなるんだろう……。そんな思いを抱えている人もいるのではないでしょうか。学校に行かなかった人は何をしていたの? 何を考えていたの? 不登校の経験者に聞いてみました。
ブログで性感染症(STD)にかかった経験を告白したライターのマドカ・ジャスミン(マドジャス)さん(22)は、小・中・高校時代にそれぞれ不登校の経験があります。何度も不登校を繰り返して気づいたことは、「学校はすべてではない」ということでした。(朝日新聞社会部記者・滝口信之)
――学校に行けないと悩む子どもがいます。
「学校って生活のすべてではなくて、生活の一部だと思います。自分の居心地が良い場所が学校である必要はないです。学校はツールで、君のすべてではないよ、と伝えたいです」
――マドジャスさんが小・中・高校時代に、不登校になったきっかけは何だったのですか?
「小学生の時は、集団生活が嫌いで学校に行くのが嫌でした。朝起きると、急に学校に行きたくなくなる。両親の離婚で、父子家庭で育ちました。朝は『行ってきます!』と家を出ました。学校に行ったふりをして家に帰ってきていました。そのうち、父が気付いて、戻ってきたら家の前に立っていて、無理やり学校に連れて行かれたこともありました。教室に行かずに保健室に行っていました」
「中、高は周りの友達とうまくいきませんでした」
「中学生の時は、バレーボール部に所属していたんですが、『主将になりたい』と言い出せなかった。目標を失ってしまい、『なんでバレー続けているんだろう』と思って、部活を辞めました。そしたら、部活の友達だけでなく、クラスの友達からも無視されるようになった」
「高校では、私服の学校だったので、周りが紺のブレザーで登校しているのに、ベージュのブレザーを着たり、ハイヒールにワンピースを着たりして登校していました。周りからは、『なんだアイツは?』となりました。周りから疎外されて、不登校になりました」
――そんなときは何をしていたんですか?
「学校の外に居場所を求めました。中学生の時は塾に行きました。学校で授業を受けていない分、勉強だけは頑張らないと、と考えていました」
「引きこもるのではなく、外に出て、街に出れば変わると思います。私は高校の時、逃げ場がありませんでした」
――というと?
「高校1年の時に、友達の1人ともめました。グループの中心の女の子です。周りの子にも『謝って』と言われました。でも、悪いことはしていないと思ったので、拒否しました。そしたら、自分の居場所がなくなってしまいました。父にも相談できませんでした。SOSの出し方が分からなかったんです」
「トイレで自殺未遂をしました。意識がもうろうとしているときに、駆けつけた救急隊に助けられました。救急隊の人に『死んじゃダメだよ』と言われました」
「必死の様子で父が駆けつけてきたんですが、父が『自殺なんてダメだよ』と言った瞬間の顔を見て、『なんでこんな事をしたんだろう』と思いました。だからこそ、引きこもって自分1人で解決しようとせず、ドンドン外に出てほしい。そうすれば、相談を聞いてくれる人に出会えるかも知れないので」
――SOSの出し方が分からない人はどうすればいいんでしょうか。
「周りの目を気にしないことだと思います。『良く見せたい』と思っている人が多いと思います。私自身もそうでした。自分だけで解決しようとせず、外に出るべきです」
――マドジャスさんはどうやって気付いたんですか?
「大学受験に失敗して気付きました。小学生の頃から『慶応に行く』と宣言していました。理由はなかったです。落ちて、浪人するか考えたときに、『慶応の学生』って肩書がほしかっただけだ、と気付きました。周りからよく見られたかったのだと思います」
――多くの人は周りの人に「よく見られたい」「恥ずかしいことは隠したい」と考えます。
「恥ずかしさや後ろめたさは、その人の魅力だと思います。私自身、父子家庭という環境や中卒であることに固執していました。でも、それはそれでマドカ・ジャスミンという1人の人間をつくっているアイデンティティーですし、個性なので、大事にしていきたいです」
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