連載
#5 やせたい私
摂食障害「地方在住の悩み」相談どこに? 突然「仕事しろ」でも…
摂食障害から回復しつつある女性の「次のステップ」を応援したい。拒食や過食嘔吐(おうと)の経験がある松山市の鈴木こころさん(40)は、月1回集う自助グループを運営してきた。昨年1月には「地元で治して社会に戻ってほしい」と就労支援の施設を開いた。地方では特に足りないと言われる摂食障害の支援体制。「毎日通って生活リズムを整えて、自分で人生の選択ができるようになれれば」と願う。
小さな頃から「立派な大人にならないと」という思いが強かった。
進学校に進んだ高校1年生の頃から、勉強に打ち込み、「仕事のできる女性はやせている」というイメージからダイエットを始めた。
だんだん食事をとらなくなり、食べ物のカロリーを丸暗記した。高校2年の春には、食べられるものがキュウリや氷だけに。152センチで約50キロあった体重は34キロまで落ち、入院も経験した。
高校2年生で留年。補習を受けて4年かかって卒業し、専門学校に入って独り暮らしを始めたことをきっかけに、過食に転じた。
数カ月で体重は80キロに。一気に体重が増えたことで心臓への負担がかかり、再び入院して、専門学校は辞めた。「居場所がない」と感じた。
いつの間にか「吐く」ことを覚え、1日5食を食べて吐いて寝る生活を送った。
病院にも通ったが、なかなか症状は上向かず、部屋に引きこもっていた。
それでも、どこかで社会とつながっていたかった。自分の思いをつづり、地元紙の新聞に投稿した。
それを見た女性から、「人前で体験を話してみない?」と誘われた。26歳の頃、思い切って話してみたところ、講演後に「私もそうだったんです」と声をかけられた。
「摂食障害に悩んでいるのは自分だけじゃない」と知った。
経験者が集える場をつくりたいと、2004年に摂食障害の自助グループ「リボンの会」を立ち上げた。
リボンの会の広報活動を通じて、あいさつや名刺の渡し方、場所にあわせた服装……、社会に踏み出すための様々なことを学べた。
過食の機会が減って、自宅で内職を始め、28歳でフルタイムの仕事に就いた。
リボンの会の活動を続けるうちに、毎日通えるような「場」があればいいと考えるようになった。
「突然『仕事しろ』と言っても、怖くてその一歩を踏み出せない人が多い」
行政書士の夫や、リボンの会から支援してくれた人たちの力を借りながら、2016年に愛媛県摂食障害支援機構をつくった。
昨年1月、JR松山駅から徒歩10分ほどのビルに、就労支援の施設「オフィスパートナー湊町ブランチ」を開設した。
摂食障害だけでなく発達障害などほかの「生きづらさ」がある女性も受け入れ、「就労継続支援B型事業所」として運営する。
障害年金を受給している人や、精神疾患で通院している「自立支援医療」の利用者、または医師の診断書のある人が自治体にサービスを申請して利用する。利用者は収入にあわせて利用料を負担するが、企業から請け負った作業に取り組むと手当が支払われる。
現在の登録者は20~40代前半の17人(定員20人)で、午前10時から午後4時の利用時間に、十数人ほどが通う。これまでに2人が就職するなどして施設を「卒業」したという。
パソコンでデータを打ち込んだり、文房具の検品をしたり、地元の野球チーム「愛媛マンダリンパイレーツ」から「女性向けのグッズを作ってほしい」という依頼を請け負ったり。利用時間を、資格を取るための勉強にあてる人もいるという。
リボンの会のメンバーにも、東京や大阪へ行って治療する人が多いという。
鈴木こころさんは「愛媛で摂食障害になったなら、愛媛で治して、社会に戻ったりここに住んで良かったと思ったりできるように」と願う。
愛媛県摂食障害支援機構でも、医療の助言や指導はしないが、医師ら専門家を招いた勉強会を定期的に開く。
摂食障害をぴたっと治す「薬」があるわけではない。医療と「人とのつながり」があってこそ回復していくものだと考えている。
「自分に問題や課題があって、立ち止まっている人、集まれ!という感じ。止まり木のような場になれればいいなと思います」
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