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ベトナムで「ガスマスク」が異常な人気 タワマンで役立つ?その理由
ベトナムの都市部で、ガスマスクが飛ぶように売れている。メーカーの担当者は「通常の10倍売れています」。戦争が起きているわけでもないのに、なぜ? 実は、高層マンションの住民が買っているのだという。今年3月のあるできごとが影響していた。(朝日新聞ハノイ支局・鈴木暁子)
取材に答えてくれたのは、ベトナム防衛省傘下のガスマスクメーカー「X61」の販売担当、グエン・バン・ディンさん。
「ガスなどの化学兵器が使われる戦闘に参加する兵士にはもちろん必要になりますし、農薬をまく農家や化学薬品を扱う工員や職人、呼吸器から感染する病気に対応する医師、大変な煙の中で消火活動をする消防士の役にも立ちます。そして、高いビルに住む一般の人にも……」
話の最後の部分で、あっ、と思った。
発端は火災だった。ベトナム最大の都市で、南部の商都ホーチミン市郊外で3月23日、700世帯が住む20階建てのマンションで大規模な火災が発生。13人が死亡、50人がけがをする惨事になった。
2009年に導入されたはずの火災報知機もスプリンクラーも稼働しなかったという。発生が深夜だったことから、就寝中で炎に気がつくのが遅れた人も多かったのだろう。
警察の発表によると、多くの人の死因は窒息だったとされる。亡くなった人の中には幼い子どもや、19階から滑り落ちた親子もいたと報じられた。
ガスマスクが売れ始めたのはその直後からだ。
経済成長で中所得層が増加しているベトナムでは、低層の住宅から高層マンションに移り住む人が増えている。「我が家は大丈夫か」という心配が、ガスマスクを買う、という行為につながったようだ。
日本では、高層マンションに住む人がガスマスクを常備しているとはあまり聞かない。火災の際に、ガスマスクは役立つのだろうか。ディンさんに聞くと「もちろんですよ」という。
「ひどい煙の中でも35~40分ほど呼吸を続けることが可能です。呼吸器、目、顔の筋肉を覆うことで被害を防ぐ役に立つのです」
X61製のガスマスクは一つ120万ドンから130万ドン(約5650~6590円)。中にはアメリカから取り寄せる市民もいる。朝日新聞で働く助手の友人の中には、「家族のため五つ買った」という人もいた。
買った人から借りて、私も装着してみた。はじめての経験で、髪の毛で目の部分がふさがれて見えなくなり、装着に練習が必要だと思った。だが、ずしりとした重みを感じて、これが家にあるだけで安心感につながるのもわかるような気がした。
あちこちで高層マンションの建設が進むベトナム。移り住んではみたけれど、火災報知機などの装備は本当に十分なのか……。ガスマスクを常備する動きには、もしかすると、高層住宅に住むなら自ら身を守ろうという、ベトナムの人々の不安と覚悟が反映されているのかもしれない。
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