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中国で拡散した「バックする車」動画 「独裁」へのユーモアが秀逸
なにげなく現れた若者が、大きな動きでバックする車の誘導をはじめる……中国のネットで最近、そんな動画が拡散しました。ほかにも「長距離バスの運転手が交代しない」という相談に「意味深な回答」がついたことも。実はこれ、すべて目的は同じ。中国13億人のトップに君臨し、独裁の色を強める習近平・国家主席への批判だといいます。厳しい言論統制の国で起きた「庶民のユーモア」を追いました。(朝日新聞中国総局・延与光貞)
2月下旬のこと。それまで2期10年までだった国家主席の任期制限をなくし、習氏がいつまでも政権を続けられる憲法改正案が突然、発表されました。
すると、中国版ツイッターの微博(ウェイボー)や、中国版ラインの微信(ウィーチャット)で、車をバックさせる動画が大量に出回りました。
老若男女が様々な場所で、音楽に合わせ、コミカルな身動きで「バックオーライ」と指示を出しています。
車をバックさせるという意味の中国語「開倒車」には、「逆戻りする」という意味もあります。かつての毛沢東のような終身制を可能にするのは「歴史の逆行」だとアピールしたのでした。
中国共産党の建党90周年を記念して2011年に上映された映画「建党偉業」の一場面も出回りました。1911年に始まった辛亥(しんがい)革命で「中華民国」ができてからの10年を描いています。
流れたのは、共産党を創設した初期メンバー、陳独秀が演説する場面でした。
ここでの皇帝とは、中華民国ができた後、実権を握り皇帝を名乗った袁世凱のこと。ですが、「中華民族」という表現は、習氏の政治スローガン「中華民族の偉大な復興」でも使われています。
君主がいないはずの共和国に現れた皇帝を、共産党の創始者とも言える人物が批判する場面。「不忘初心」(初心を忘れるな)を合言葉とし、共産党誕生の地・上海を昨年訪れた習氏への痛烈な皮肉です。
しかも、この映画は共産党賛美のために作られたので、それを流すことに誰も文句が言えません。考えたものです。
3月8日は国際女性デーは、中国では「婦女節」と呼ばれ、女性をたたえ、感謝する日。各大学のキャンパスには毎年、男子学生が女子学生をたたえるユーモアたっぷりの横断幕がたくさん掲げられます。
ところが、今年はこんな横断幕が掲げられたという画像が出回りました。
「同級生であり続ける」という表現には、政治家が任期を続ける「連任」という言葉が使われました。明らかに任期制限の撤廃を皮肉った表現です。
この後、責任者が呼び出されたと伝えられています。「冗談はほどほどに」程度の小言で終わったことを祈ります。
習氏が国家主席に再選されたことを伝えるニュースアプリの速報画面を流しただけというのもありました。
すぐ下に「移民」の仲介業務を請け負う会社の広告。たまたまそんな広告がついた瞬間をとらえたのか、あるいは後で合成したのか。やはり真偽不明の、「移民」という言葉の検索数が一気に増えたと示すグラフとともに広まりました。
「もう見切りをつけてこの国を出て行くしかない」という気分を表したかったようです。
結局、憲法は改正され、国家主席の任期制限は撤廃されました。が、首相の任期制限は残ったままです。
全人代が開かれている人民大会堂の壇上で、隣に座った習氏にナンバー2の李克強(リーコーチアン)首相が話しかけている写真には、こんな説明が付けられて出回りました。
これには思わず吹き出してしまいました。
まだあります。ユーザーが知りたいことを質問し、答えられる人が教えるサイトが中国にもあります。日本で言えば「ヤフー知恵袋」でしょうか。そこで、こんなやりとりがありました。
長時間運転にひっかけて、習氏の長期支配を批判する内容です。回答2は、共産党のスローガンでよく使われる表現を使っています。
ただ、当局が監視しているため、こうした書き込みもあっという間にネット上から削除されてしまいます。
それでも、人びとはあきらめません。
言葉がダメなら絵文字。憲法改正の成立を報じた一部のニュースサイトのコメント欄には、スマイルマークだけの書き込みが一時、いくつも続きました。
友人によると、「これ以上、おかしなことはない」とか「何も言えないけど、どういう意味かは分かっているよね」という意味だそうです。並べることで意味がより強調されます。
一見、喜んでいるようにもとれるため、当局にとがめられる可能性も低くなるというわけです。
中国には日本と同じ意味での言論の自由はありません。テレビや新聞などの国内メディアは完全に統制されており、党や政府への批判は御法度です。
ネットも当局に監視されているので、直接的な批判を書き込めば、すぐに当局に拘束されたり、アカウントごと閉鎖されたりしてしまいます。
習近平政権になってから、管理は強まる一方です。
では、庶民は黙っていることしかできないのかというと、そんなことはありません。こんなふうにあの手この手で批判を繰り広げていました。
メディア関係者の友人は私にこう言いました。「規制が厳しいからこそ、色んな工夫が必要になり、ユーモアも発達します。日本のように国会前でデモをするわけにはいきませんが、これも中国の庶民なりの一つの戦い方なんですよ」
今後の中国政治には、私も危うさを感じずにはいられません。でも、こうした中国人の批判精神に触れてみると、いずれ何らかの形で庶民のバランス感覚が発揮されるときが来るのではないかという思いも捨てきれないのです。