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「5人で24人前の素麺を一気に…」 バグダッド日誌に映る「日常」
2004~06年の陸上自衛隊のイラク派遣の記録、約1万5千ページが4月16日に一挙に公開されました。朝日新聞社では翌日の朝刊に間に合わせようと記者たちが分担して読み込み、私も加わりました。現地はどれだけ緊迫していたのかと目を皿にする一方で、興味深かったのが隊員たちの「日誌」です。SNSでも「読み物として面白い」「本にまとめた方がいい」などすでに話題ですが、私のお勧めをご紹介します。(朝日新聞政治部専門記者・藤田直央)
1万4千ページ読み込み班に参加。疲れました… #イラク #日報https://t.co/5RT1gyjlr1
— 藤田直央 (@naotakafujita) 2018年4月16日
今回公開された文書は「イラク復興支援群活動報告(日報)」です。03年に始まったイラク戦争の後、復興支援のため南部のサマワに送られた陸自の活動の様子が中心です。
イラク戦争では、米国がイラクに大量破壊兵器があるとして先制攻撃をして結局見つからなかったことや、米国主導の多国籍軍が勝った後も治安が安定しないことから、自衛隊の派遣が議論を呼びました。
文書を読み込む焦点は、海外での武力行使を縛る憲法との関係で、自衛隊の派遣先として「非戦闘地域」とされたサマワの実態がどうだったのかということでした。私もそこを探ろうと紙をめくりつつ、実は日々の報告書の終わりの方に出てくる「日誌」が気になっていました。
サマワの北にある首都バグダッドや、さらに南東のバスラといったイラクの大都市に送られた陸自の連絡要員が、現地の人々や多国籍軍の兵士との交流についてつづったものです。部隊の活動で日々緊張するサマワの様子とは違った味わいがあり、ついつい読んでしまったものを書き出しますと…
…と、公開された文書からわかった「いい話」を紹介しましたが、文書には内容がわからないよう墨塗りにされた部分も多くありました。バグダッド日誌やバスラ日誌で隠されたのは人名ぐらいでしたが、「のり弁当」のようなページもあります。
私が見た文書の中で、日誌との関係も含めて一番気になった墨塗りが、2006年の小泉首相による陸自撤収表明前日の報告書です。
あるページの下半分、「6月19日 ■(※墨塗り)に対する間接射撃について」というタイトルの下は真っ黒。上半分の「事案等の発生状況」という地図を見ると、陸自部隊が派遣されたサマワのあるムサンナ県は「事案等なし」ですが、隣のバスラ県のバスラで2件、「多国籍軍等に対する間接射撃あり。被害なし」とあります。
だから、下半分の真っ黒の部分は、バスラでの多国籍軍に対する間接射撃の説明かもしれません。間接射撃とは障害物を超えて目標を狙う砲撃で、この場合は迫撃砲が考えられます。この日バスラは大変だっただろうなとバスラ日誌を探すと…なぜか報告書に載っていません。バグダッド日誌はあるのに。
小野寺五典防衛相は「プライバシーや外国からもらった情報、自衛隊の運用に関わるところは不開示で対応」と説明しています。手の内は明かさないという訳ですが、報告書は毎日作るはずなのに、そもそも公開されたのは派遣日数分の半分以下です。陸自撤収から12年近くもたつイラク派遣について、どういう基準で「機微な情報」の出す出さないを決めているのか、よくわかりません。
しかも今回の記録については、去年の2月に当時の稲田朋美防衛相が国会で野党に聞かれて「見つけることはできなかった」と答えていました。それが後任の小野寺氏の指示で探したら出てきて、実は稲田氏の在任中に陸自で確認していたが報告していなかった、という迷宮のような話です。
去年も陸自の南スーダンPKO(国連平和維持活動)への派遣記録について開示請求に対する隠蔽が問題になり、稲田氏や陸自トップらの辞任につながった訳ですが、とにかく防衛省・自衛隊は海外での自衛隊の活動に関する情報を出すことにおっかなびっくりです。森友問題で渦中の財務省と並び、文書管理のあり方が厳しく問われている中央官庁といえます。
公文書とは国民のために仕事をする政府の記録です。公開することが政府にとって都合が悪く思えても、政府の仕事に国民が理解を深め、意見するための大切な手段になるのです。
今回のバグダッド日誌やバスラ日誌へのツイッターでの好意的な反応は、情報公開を通じて政府と国民の距離が近づくいい例ではないでしょうか。「隠蔽体質」と批判されている防衛省・自衛隊ですが、これを励みに、情報公開と、それにしっかり対応するための文書管理に前向きに取り組んでほしいと思います。
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今回公開された「イラク復興支援群活動報告」の全文は、朝日新聞デジタルの特集でご覧になれます。
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