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平昌・パラアスリートたちのプロ意識 美しい雄姿、抱いた「違和感」
韓国・平昌で開かれたパラリンピックを、現地で取材した。そこで私が感じたのは、障害の程度や有無といった次元を越えて、自分の能力の限界に挑むアスリートたちの情熱だった。パラリンピアンが放った輝きを、写真でふり返る。(朝日新聞大阪本社映像報道部 加藤諒)
個人種目で5個のメダルを獲得したアルペンスキーの村岡桃佳選手、大会後にスノーボード界からの引退を表明した成田緑夢(ぐりむ)選手の圧巻の滑り、6大会連続出場の「レジェンド」新田佳浩選手の8年ぶりの復活金メダル――。
平昌パラリンピックで、日本勢は10個のメダルを獲得した。立役者となったのは、1大会五つという個人として最多のメダル獲得記録を打ち立てた村岡桃佳選手だった。
村岡桃佳選手は出場1種目の滑降で獲得した銀メダルを皮切りに、スーパー大回転で銅、スーパー複合で銅、大回転で念願の金メダルを獲得。大会最終日にも、回転で銀メダルに輝いた。
村岡選手の金メダルは、今大会では日本勢初の金メダル。森井大輝選手の銀メダル一つと、定評がありながら勢いに乗れなかった男子勢とは対照的だった。
若手の躍進を象徴する選手の1人に、スノーボードで金メダルを獲得した成田緑夢選手がいた。
成田選手の滑りは圧倒的で、ひとつ前の滑走順の選手が1分35秒でゴールしたのに対し、1本目のタイムは50.17秒。
中腹の撮影ポジションで構えていた我々の前に現れた時は十分スピードに乗っていて、あまりの速さに400ミリのズームレンズでフレーミングするのが精いっぱい。
一発勝負のタイミングでピントをきちんと合わせることができたか――。ドキドキしながら写真を確認すると、エッジを効かせて上半身は地面と平行になりながらバンクを攻める滑走の瞬間をとらえることができていた。
成田選手の魅力はその滑りにとどまらず、「アスリートYoutuber」を自称するネットへの発信力だった。
試合を終え、カメラマンたちに「LINEニュースに速報が載りました!こんなことってあります!?」とスマートフォンを見せて盛り上がる一幕もあった。
金メダル獲得の報告もネット時代を象徴していた。会場を後にしながら自身のYoutubeアカウントに金メダルを報告する動画を撮影していた。
アップロードされた動画を見ると、成田選手の表情をとらえようと周囲を行き交うカメラマンたちも映った、ライブ感たっぷりの動画が上がっていた。
周囲に和やかな雰囲気をもたらしながら、競技では圧巻の滑りで観客を魅了する。それは我々が普段目にすることの多い健常者のアスリートたちと同じ「プロフェッショナル」だと感じたし、「障害者スポーツ」という言葉が持つイメージを自ら変えようと戦う24歳の姿に敬服した。
活躍したのは若手選手だけではない。6大会連続出場で、8年ぶりに金メダルを獲得した新田佳浩選手の滑りも、今大会を象徴する場面のひとつだった。
金メダルで喜びを爆発させた裏には、今大会1種目目で惜しくも銀メダルに終わったスキー距離男子スプリント・クラシカル立位があった。銀メダルという素晴らしい成果を残したが、表彰式会場に現れた新田選手の表情は、明らかに落胆を隠しきれていなかった。
銀メダル獲得を伝える紙面には決してそぐわない場面だと分かりながらも、居心地の悪そうな様子で表彰台に立つ新田佳浩選手の姿に、勝負にかけた思いを感じ、思わずシャッターを切っていた。
大会の取材では、日本人選手の活躍のみならず、多様なパラリンピック選手たちにも目を奪われた。
アルペンスキー競技には視覚障害部門があり、弱視から全盲まで、程度も様々な選手たちがガイドスキーヤーがスピーカーから出す音を頼りに斜面を滑走する。
喜びも苦しみも表現は十人十色。日本では中々目にすることの無いしぐさや表現にも興味を引かれた。
大会の取材を通じて、想像していた以上に胸を熱くした自分に驚いた。
パラリンピックは「障害者」という言葉抜きには語れないが、日々の生活の中で「障害者」と聞いたときの語感とはどうも違うような印象を受けた。
パラアスリートにとっての「障害」は「身体的特徴」や「条件」という意味に近く、それぞれが自分自身の置かれた境遇をスタート地点に、さらなる高みを目指す挑戦者たちだった。
今後もパラスポーツ報道を続けて、あらゆる人が等しくスポーツの素晴らしさを享受できる社会づくりに、微力ながら貢献できれば――。そう思った初めてのパラリンピック取材だった。
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