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ベルリンから文京区へ「最初で最後の贈り物」 接点は「あの文豪」
ドイツの信号機で使われている「アンペルマン」は、ベルリン名物の人気キャラクター。姿をあしらったグッズは日本人を含む外国からの観光客にも大人気です。そのアンペルマン、ドイツにある信号機そのものが、このほど東京・文京区にやってくることが決まりました。なんと外国の自治体に贈るのははじめてで、今後も予定はないという、空前絶後のケースになりそうだとか。縁を結んだのは、ドイツにゆかりの深いあの文豪でした。(朝日新聞ヨーロッパ総局長・石合力)
今月、ベルリン・ミッテ(中央)区の交流使節団が日本を訪問します。その際、東京都文京区にアンペルマン信号機をみやげ品として贈ることになりました。
ミッテ区はドイツ内外の17都市と姉妹都市関係にありますが、特に日本とは関係が深く、島根県津和野町、東京都新宿区、東大阪市の3自治体と姉妹都市(友好都市)の関係を結んでいます。
ですが、文京区は姉妹都市ではありません。ではなぜ?
……と、その前に。海を越えてはるばるやってくるアンペルマンの信号機ですが、日本の公道で使えるんでしょうか。
どうも簡単ではないようです。
道路交通法に関する施行令は「信号機の構造、性能その他信号機について必要な事項は、内閣府令で定める」としており、規格は統一されています。
いくら人気のある外国の信号機だからといって、すぐに日本で使うことは難しそうです。
何かいい使い道はないものか。文京区の成沢広修区長に聞いてみました。
「 文京区は2020年の東京オリンピック・パラリンピックでドイツに対するホストタウンに登録しています。アンペルマンの信号機を公道で使うことは不可能ですが、せっかくいただくものなので、日本とドイツの友好の証しとしてイベントなどで展示したいと考えています」
文京区は、ドイツのホストタウンとしてスポーツや文化等を通じた相互交流の取り組みを進めるため、定期的に「国際交流フェスタ」を開いています。まずは、そこで披露することなどを考えていくそうです。
ミッテ区で都市交流を担当する担当課長のサイエット・クラメさんにアンペルマンを贈る理由を聞いてみました。
「アンペルマンは東西ドイツ統一のシンボルで平和の使者。アンペルマンが生まれたのはここミッテ区でもあり、みやげ品としてこれ以上、ふさわしいものはありません」
ほかの都市に贈る予定はあるのかと聞いてみると「アンペルマンは特別なもの。プレゼントするのは今回限りにしたい」とのことでした。
今回の贈呈にあたっては、女性版のアンペルマン「アンペルウーマン」も新たにデザインされました。
女性のアンペルマンはドレスデンなどで使われていますが、それは「止まれ」だけ。「進め」の女性版をデザインしたのは今回が初めてとのことです。文京区には、男性版と女性版の「止まれ」と「進め」のセットで贈るそうです。横断歩道の両端を男性版と女性版で組み合わせるイメージでしょうか。
文京区には、女性の社会進出を促す国連の機関「国連Woman(ウーマン)」の事務所が入っています。アンペルマンだけでなく、アンペルウーマンの信号機も歓迎されることでしょう。
そんな貴重なものが文京区に贈られるのはなぜか。
きっかけとなったのは、明治の文豪、森鷗外(1862~1922)が取り結んだ縁です。
鷗外は1884年から88年までの約4年間、陸軍軍医としてドイツに留学し、ベルリンのフンボルト大学などで学びました。
帰国後に自分の体験を重ねるように書いたといわれるのが代表作の「舞姫」です。ドイツ人の踊り子が帰国した鷗外を追って、船で日本に来たという記録も残っています。
ベルリン留学当時、鷗外が住んでいたのは現在のミッテ(中央)区。いまその場所には「森鷗外記念館」があります。
そして、鷗外が日本での半生を過ごした千駄木がある文京区にも、区立の「森鷗外記念館」があります。
アンペルマンの信号機の実物を日本で見ることができるのは、明治の文豪のおかげというわけですね。
ベルリンの壁は2019年で崩壊してから30年を迎えます。壁が存在していたのは、1961年8月から1989年11月まで。日数にして10314日になります。
今年2月5日は、ベルリンの壁が存在していた日数と無くなってからの日数が全く同じになった日だそうです。
しかし、今もドイツ国内で東西の格差はなお残っています。昨年9月の総選挙では、移民排斥や反イスラムなどを掲げる新興右翼政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が、国会で初めて議席を得たことに注目が集まりました。AfDを支持した人たちには、旧東ドイツの人も多かったと言われています。
お金や健康、老後などに対して人々が抱いている不安や不満につけ込んだポピュリズムが広がっているとの見方もあります。ベルリンの壁はなくなりましたが、コンクリートの壁の代わりに人々の間に「心の壁」が築かれつつあるのかもしれません。
アンペルマンはベルリンの壁と同い年。今年で57歳になります。この間、ドイツの分断と統一を見続けてきました。
戦後、ナチスドイツの過去と決別し、平和国家として歩んできたドイツは、これからどこに向かおうとしているのでしょうか。そして、その行く末にともる信号は何色になるのでしょうか。気になるところです。
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