感動
「初めての通学」ひなちゃん見守った学生 バスの中で見た支援の姿
私はこの日、朝6時前に起きて、まず、外の天気を確かめました。大雪でバスが遅延すれば、取材は中止する約束だったからです。結果は快晴。ホッとしつつ、歩いてバス停まで行きました。「バスの乗客のふりをして学校まで見守っていただける方を募集しています」。いつもとちょっと勝手が違う取材は、養護学校に通うひなちゃんの将来を思う母親の張り紙がきっかけで生まれたものでした。(朝日新聞長野総局記者・鶴信吾)
ひなちゃんって、どんな子なんだろう。バス停につくまでの間、想像が膨らみます。
一口にダウン症といっても、個人差は大きいので、実際に会ってみるまで、どんな子なのかはわかりません。
午前7時半。ひなちゃんがお母さんと一緒にやってきました。「人なつこい笑顔の女の子」。それが第一印象でした。
長野市に住む小島陽向子さん(10)が、バスを乗り継いで一人で学校へ行く練習を始めたのは、昨年11月のことです。ダウン症のひなちゃんは、それまで、市内にある長野養護学校へ、母の聖子さん(52)とふたりでバス通学したり、車で送ってもらったりしていました。
「ひとりで学校に行けるようになってほしい」
そこには、娘の将来を考えた聖子さんの思いがありました。
「この先、中学に進学したり、就職したりすれば、どうなるんだろう」
大人になった子どもを職場まで送る高齢の親ごさんの姿を目にすることもありました。
「親が送り迎えするのは、いつまでも続けられないのではないだろうか」
聖子さんは、不安もあるけれど、ひとりでの通学に挑戦させようと心を決めました。
でも、どうやって「ひとりっきりの通学」を始めよう――。こっそり後ろをついて行こうか。でも母の顔を見れば、すぐに頼ってしまうだろう。
自治体の支援がないかも、調べました。通学の付き添いは可能でしたが、それでは一人で通学する練習にはなりません。
思いついたのが、ボランティアの力を借りること。さっそく近くにある信州大学を訪れたところ、担当者からは厳しい返事が戻ってきました。
「協力したいですが、なかなか集まらないと思いますよ」
それでもボランティア募集のポスターを手作りして、昨年11月中旬、大学の掲示板に貼らせてもらいました。
「バス乗客のふりをして学校まで見守っていただける方を募集しています」
応募が来る可能性は低いだろうなと、聖子さんは思っていました。
1週間が経ち「ダメなら、ご近所に1軒1軒、チラシをポスティングしてお願いしよう」と考え始めたころ、聖子さんのスマートフォンが鳴りました。
「お手伝いをしたい学生が何人かいるんですけど、多くても大丈夫ですか?」
信州大教育学部4年の野田十和子さん(23)でした。男女計6人の学生が手を挙げ、その2日後には大学で打ち合わせ。昨年11月28日、初めての見守り登校が実現したのでした。
1回目の見守り登校から約1カ月。12月26日に、私も取材のため同行しました。通学中、ひなちゃんは人なつこく、知らない人にほほ笑んだり手を振ったりします。
目的地に近づいても、ひなちゃんは、なかなか降車ボタンを押しません。
私が手伝うわけにはいきません。「がんばれ」と心の中で念じました。
もう押さないと通り過ぎる…というぎりぎりのタイミングで、ボタンが光りました。
野田さんの同級生で、この日の見守りを担当した中江光貴さん(22)がボタンを押したように見えたのですが、後で中江さんに聞くと「タッチの差でひなちゃんが押しました」。無事バスから降りたときは、ホッとしました。
これまで私は、刑務所で中学校の卒業資格取得を目指す受刑者や、発達障害のある若者らの長所を伸ばそうと取り組む教育の現場などを取材してきました。
そこには、さまざまな困難を抱えた人たちが学び、生きる姿がありました。
障害者支援と聞くと、ハードルが高いと思う人がいるかもしれません。でも、後ろからそっと見守ることが、大きな助けになることもあります。
障害のある子どもの通学支援に、こんな方法もあるのかと驚くと同時に、同じ悩みを抱えている人、支援したい人にとっても新しい気づきになると感じました。
ひなちゃんを思うお母さんの思いから始まり、それに答えた大学生らの優しい気持ちによって実現したのが「初めての見守り登校」でした。
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