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コラム

渡部暁斗、けが隠した「本当の理由」 骨折は地元開催のW杯だった…

平昌オリンピックのノルディック複合個人ノーマルヒルで銀メダルを決め喜ぶ渡部暁斗選手
平昌オリンピックのノルディック複合個人ノーマルヒルで銀メダルを決め喜ぶ渡部暁斗選手 出典: 朝日新聞社

目次

 平昌オリンピックで2大会連続となる銀メダルを獲得したノルディックスキー複合の渡部暁斗選手(29)=北野建設=。オリンピックで全3種目に出場した後になって、大会前に肋骨を骨折していたことが判明しました。本人はけがについて一切口にせず、大会に臨んでいました。その理由には、渡部暁斗選手らしい「男気」がありました。(朝日新聞スポーツ部記者・勝見壮史)

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競り合いに敗れ、金メダル逃す

 「地力の差」

 2月14日にあった個人ノーマルヒル(NH)で、金メダルを取ったエリック・フレンツェル(ドイツ)との競り合いに敗れた渡部選手は、そう敗因を語りました。

 フレンツェルは同じ29歳で、渡部選手が最も意識している選手です。4年前のソチ五輪NHでも、一騎打ちの末に敗れていました。最後の上り坂前で、スパートをかけたライバルについていけず、再び銀メダル。その後の個人ラージヒル(同20日)、団体(同22日)ではメダルを逃しましたが、ひと言もけがのことを口にはしませんでした。

平昌五輪の複合個人ノーマルヒル後半距離でゴール後、優勝したエリック・フレンツェルと抱き合う2位の渡部暁斗
平昌五輪の複合個人ノーマルヒル後半距離でゴール後、優勝したエリック・フレンツェルと抱き合う2位の渡部暁斗 出典: 朝日新聞社

言うつもりはなかった

 けがが発覚したのは、最後の種目となった団体後に、日本の河野孝典コーチがテレビ取材に対して明かしたからでした。私がそのニュースに気付いた時には、すでに渡部選手本人に真意を確認できる状況にありませんでした。

 「本当は言うつもりはなかったんですけどね……」

 取材した同僚記者によると、2月24日、帰国した羽田空港で報道陣から骨折のことについて問われると、渡部選手は笑ったそうです。

 けがをしたのは、2月2日に長野県白馬村であったワールドカップ(W杯)の公式練習。ジャンプの着地直後に前のめりに転倒しました。私はその現場を取材していました。五輪を控え、心配する報道陣に対し、「影響ありません」と答えていたことを覚えています。

平昌五輪から帰国した羽田空港で骨折を押して出場した心境を語った渡部暁斗
平昌五輪から帰国した羽田空港で骨折を押して出場した心境を語った渡部暁斗 出典: 朝日新聞社

骨の1本くらい、くれてやる

 痛みはそれほどなかったそうですが、韓国入りしてから診断を受け、左の肋骨にひびが入っていることがわかったとのこと。平昌に入って、3日間はストックを突いて滑る距離の練習はできなかったそうです。

 「痛み止めを飲んでいたので、痛みはほとんどなかった。悔やんだって、骨がくっつくわけではない。骨の1本くらい、くれてやるっていう気持ちでした」

 渡部選手らしいコメントでした。実際、白馬でのW杯2戦は優勝と3位。今季はW杯開幕直前にも、今回とは違う箇所ですが、左の肋軟骨を骨折していました。それでも開幕2戦では3位と優勝。「けがは言い訳にはならない。自分は、それでも勝ってきたんだから」という言葉も納得できます。

2月2日にあったW杯白馬大会の公式練習でジャンプを飛ぶ渡部暁斗。この日転倒し、肋骨を骨折していた
2月2日にあったW杯白馬大会の公式練習でジャンプを飛ぶ渡部暁斗。この日転倒し、肋骨を骨折していた 出典: 朝日新聞社

フェアな戦いで勝ちきる

 正々堂々と戦う。それが渡部選手の信念です。集団の中で相手の邪魔になるような位置につける。風を受けて体力が消耗することを嫌がり、前に出てレースを引っ張るような走りはしない。距離では、選手間で様々な駆け引きはありますが、渡部選手はそんな「ずるいやつ」を嫌います。

 最後に疲れてスプリント勝負で負けるかもしれなくても、目先の勝利にとらわれず、積極的に前に出るレースを続けてきました。「その戦い方が自身の走力向上にもつながった」。渡部選手はそう分析しています。

 平昌五輪の個人NHでも、フレンツェルに勝てなかったときにこう言いました。「お互いに引っ張るところもあり、引っ張ってもらうところもあり、フェアに戦えた。そういうフェアな戦いをして、勝ちきるというのが、自分の求めている理想。そういう選手が僕は好きなので、(他の選手ではなく)彼が勝ってくれてよかった」

ノルディック複合個人ノーマルヒルの表彰式で銀メダルを手にする渡部暁斗(左)。中央は金メダルのエリック・フレンツェル
ノルディック複合個人ノーマルヒルの表彰式で銀メダルを手にする渡部暁斗(左)。中央は金メダルのエリック・フレンツェル 出典: 朝日新聞社

15年ぶりの地元開催に感謝

 ただ、気になった点もありました。W杯開幕前に負傷したときは、開幕戦で3位になった記者会見で、自ら練習で左脇腹を強打し、痛めていたことを明かしていました。それではなぜ、五輪では一切、口外しなかったのでしょうか。

 その理由を聞かされた時、思わずグッときました。けがをした平昌オリンピック直前のW杯は、15年ぶりに地元・白馬村で開かれた大会でした。

「けがを明らかにすることで、白馬大会がネガティブに伝わるのが嫌だった。関係者の人たちに大会を開いたせいで、と思ってほしくなかった。僕は白馬で大会ができたことがうれしかったし、前向きにとらえたかった」。渡部選手の言葉からは地元への感謝の思いが伝わってきました。

白馬村のパブリックビューイングで、渡部暁斗選手に声援を送る子どもたち
白馬村のパブリックビューイングで、渡部暁斗選手に声援を送る子どもたち 出典: 朝日新聞社

 昨季は札幌で開かれたW杯が、ふるさとの白馬で開かれることついて、渡部選手はこう話していました。

「僕の生まれ育った地元で、試合ができるのは本当にうれしく思う。地元の方に札幌に来てもらう機会は難しかったと思うので、僕が今どういう選手に育ったかというのを、地元のみなさんにぜひ見ていただいて、楽しんでいただきたい」

優勝した白馬大会の1戦目、コース脇のファンに手を振りながらゴールした姿が、味わい深い風景として改めて思い出されました。

W杯白馬大会の表彰式後、地元の応援団と写真撮影に応じる渡部暁斗(前列中央左)と弟の渡部善斗(前列中央)
W杯白馬大会の表彰式後、地元の応援団と写真撮影に応じる渡部暁斗(前列中央左)と弟の渡部善斗(前列中央) 出典: 朝日新聞社

本意ではない「まねして欲しくない」

 渡部選手はこうも語っています。「(僕の決断によって)若い選手が無理して試合に出るのを懸念している。自分はオリンピックで、特別な舞台だからやったことで、イレギュラーなケース。よい子にまねして欲しくない」。

 ただ、私は、この言葉は本意ではないと感じました。オリンピックに限らず、渡部選手はW杯でもけがを押して出場しているからです。

複合個人ラージヒルの後半距離を5位で終え、ゴール後に仰向けに倒れる渡部暁斗
複合個人ラージヒルの後半距離を5位で終え、ゴール後に仰向けに倒れる渡部暁斗 出典: 朝日新聞社

五輪でも「渡部暁斗」流は健在

 日本の河野コーチは渡部選手のことを、「チームを、言葉なしで引っ張るタイプ。本当の努力家」だと言います。なかなか企業などの支援に恵まれない冬季スポーツで、渡部選手は結果を出すことで環境をよくしてきた側面があります。

 「言うつもりはないけど、今の若いやつは、って思うところもありますよ。自分も先輩たちから見たら、そうなんだと思いますけど」。渡部選手が、そう笑って話してくれたこともありました。

 言葉ではなく、背中で語る。自分の信念を貫く。オリンピックという大舞台でも、「渡部暁斗」流は健在でした。

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