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難病の子「きれいじゃない」1枚を残す写真家 どん底で何が悪い?
「大変だね。私にはできないわ」。子どもの看病について、周りからそう言われることに何度も傷ついてきた。埼玉県飯能市の和田芽衣さん(34)の長女は、難病を患っています。娘の「今」を残したいと写真を撮り続け、同じように難病の子がいる四つの家族の日常も写真におさめました。「私たちも普通のお母さんだと知ってほしい」
長女の結希ちゃん(7)の異変に気づいたのは2011年の秋、生後8カ月のころでした。
離乳食を食べさせていると、左半身がぐったりしていて、意識はあるのに船をこぐように体ががくっと傾く。精神科医の夫・理さん(51)に動画を撮って連絡すると「すぐ病院へ」と言われました。
検査を受けて病名が分かったのは11月。皮膚や神経などに腫瘍ができたり、知的障害をおこしたりする難病の「結節性硬化症」でした。脳に病変があり、薬で抑えることが難しいてんかんの発作が起きていました。
「こんなにかわいいのに、何で。明日になったら消えてしまうかもしれない」
少しでも結希ちゃんの「今」を残そうと考えました。中学生の頃から、ずっと趣味で続けていた一眼レフカメラのレンズを新調しました。
発作がおさまって目が覚めて笑ったところ。病室のカーテン。次女が生まれて寄り添う結希ちゃん。何げない風景を撮り続けます。
もともとは、大学院に進んで学びながら医療機関で心理士として働いていました。
けれど、結希ちゃんの病状は安定せず、産休・育休は使い切ってしまいます。一生続けたいと考えていた仕事でしたが、辞めざるをえませんでした。
ふと、撮ったのは、自宅の風呂場の排水溝です。
「SNSをのぞくと、同世代が活躍しているのが分かって。でも自分は、何の肩書もなく目の前が全然見えないな、と思って。ぐちゃぐちゃな気分だったときです」
レンズを通すと、自分の気持ちを見つめ直すことができました。
結希ちゃんは2歳の時に参加した治験の薬が効きましたが、3歳の頃、重度の発作を起こして意識不明になります。
病気が「ここにいるぞ」と言っているようでした。
現在は病状も落ち着き、妹たちと元気に駆け回り、昨春から小学校に通います。けれど、「ハッピーエンド」になったとは思っていません。
同じような子育てをする親に出会いたいと、3年前、病気の子と家族の会「ニモカカクラブ」を立ち上げました。
会の名前には「~にもかかわらず笑う」という思いを込めています。
2月末の世界希少・難治性疾患の日(レアディジーズデイ)にあわせたイベントを開催したり、病気のある子どもと訪れられる「スペシャルキッズカフェ」を開いたりしています。
結希ちゃんたちを撮った写真は2万枚を超え、2016年に出品すると、第12回名取洋之助写真賞奨励賞を受けました。
写真家としても活動を始め、難病のある子どものいる各地の4家族を撮影し、2月に埼玉で写真展を開きました。
自宅を訪れ、食事や医療的ケアの場面、入浴シーン……日常を切り取ります。
「私たちも普通のお母さんだと知ってほしい」という思いからです。
子どもや自分が病気になったら、前向きでいられないこともあります。
心がやけどした状態で、どんなに優しい風がふいても、「痛い」と感じてしまうこともあります。
「前向きになれないのが当たり前だと思うし、『どん底の気持ちで何が悪い?』って思うんです。きれいな1枚ではない、日常の写真を残したいと思っています」
私が和田さんに会ったのは、レアディジーズデイのイベントを広報するメディアセミナーでした。
「子どもが風邪をひいたら、看病するじゃないですか。それと同じだと思ってるんです」
はつらつと話す和田さんを見て、もっと話を聴いてみたいと、すぐに取材を申し込みました。
医療を取材していると、患者さんやそのご家族を取材する機会がたくさんあります。
特に重い病気では、お話を伺っていて思わず「大変でしたね」と口に出していたと思います。それが相手にとって「線を引かれた」と思われてしまうこともある、と自分の心に深く刺さりました。
和田さんは「『大変だね。私にはできない』じゃなくて、『大変だね。私にもできるかな』と声をかけてもらったら、うれしくて泣いちゃったんじゃないかな」と話してくれました。
日常を切り取った和田さんの写真には、「自分の身近なところに、いろいろな家族や人びとが住んでいる。それを知ってほしい」という思いがつまっています。
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