連載
#2 いま「銭湯」がアツい
男湯が調理場、脱衣所は客席 料理店になった元銭湯、再び憩いの場に
福岡市博多区の吉塚商店街の一角に、かつて多くの市民でにぎわった元銭湯があります。140年ほどの歴史がある「若桜湯」。昨年末、カンボジア出身の女性がこの若桜湯のなかにカンボジア料理店をオープンしました。番台や富士山の絵は健在で、調理場は男湯。にぎわう声が戻りました。「カンボジア出身の女性がなぜ? しかも銭湯に?」。面白くないわけがない!と思い、話を聞きに行きました。レトロ風情が残る「男」と書かれた扉を開けると、そこは……。(朝日新聞西部報道センター記者、加藤美帆)
JR鹿児島線博多駅からひと駅の吉塚駅(福岡市博多区)から歩いて5分ほど。黒い煙突が見えます。花屋や肉屋があるちょっと寂れた商店街を訪れると、明かりがともる「ゆ」の看板が見えて来ました。
温泉マークが描かれた壁の向こうからは、楽しそうな笑い声が聞こえて来ました。
昨年末、たまたま知り合いから、「銭湯にカンボジア料理屋がオープンする」と聞きました。よくよく聞くと、私が取材の拠点としている福岡県警本部から徒歩10分の吉塚商店街にあるというではありませんか。普段は事件の取材ばかりなのですが、吉塚商店街は私の「テリトリー」。いてもたってもいられず、商店街へ向かいました。
「男」と書かれた扉を開けると、男湯と女湯を区切る大きな鏡が目に入りました。
番台には誰もいませんが、脱衣所にはドライヤー付きの椅子や体重計が見えました。天井からはワイヤに囲われただけの裸電球。なんとレトロでカオスな空間なのでしょうか!
奥の浴場を覗くと、タイル張りの壁には、私も幼い頃に地元の銭湯で見たことがあるような美しい富士山の絵がありました。
厨房があり店の方がフライパンから炎をあげ調理をしています。豚肉やネギ、パイナップルなど色鮮やかな食材が調理台に並んでいました。
日本とは思えない。東南アジアの旅行で見た光景。異国の地にタイムスリップしたと錯覚してしまいそうです。
ここは12年前に廃業した「若桜湯」を借りて開店した「シェムリアップ」というカンボジア料理の店です。
脱衣所だった場所にテーブルが置かれ、男湯は調理場に。具だくさんスープの「肉米麺」やナンプラーで味付けしたチャーハン――。本場の料理が800円ほどで食べられ、近くの病院や福岡県庁の職員らで連日、にぎわっています。
オーナーはカンボジア出身の池田スロスさん(37)。2003年に来日し、北海道・函館でカンボジア料理の店を開きました。その後、沖縄、広島と移り住み、よく遊びに来ていた福岡に移住。10年12月に吉塚商店街から近い馬出(福岡市東区)に前身の店「シェムリアップ」を開きました。
福岡市によると、市内に暮らすカンボジア国籍の人は13年は22人だったが16年9月末で51人と増えているそう。前の店には常連客のほか、こうしたカンボジアの留学生や職業訓練生たちも訪れ、憩いの場になっていました。
ところが一昨年10月、持病が悪化したスロスさんは店を閉めました。
店名はスロスさんの故郷の地名。世界遺産・アンコールワット遺跡の近くで生まれ、遺跡の中でかくれんぼしたり池で泳いだりして育ちました。両親や親戚が出す屋台を11歳から手伝い、料理や接客を学びました。
「みんなが家族みたいに集まる場所をつくり、もう一度『おいしい』という声を聞きたい」。
1年間の療養を経て、昨年11月に店を再開することを決めました。
しかし以前の場所は借りられず、他の場所を探すも「外国の人には難しい」などと断られてしまいました。そんなとき、友人の安武伸香さん(47)から「うちの銭湯を使う?」と声をかけられました。
安武さんの家は代々、若桜湯とその横の花屋を営んでいました。若桜湯は05年の福岡県西方沖地震で被災し、翌年に廃業。安武さんはその直前まで番台に座っていました。
花屋は今も続けており、スロスさんが前の店に飾るユリの花を探しに訪れて2人は親しくなりました。
これまでもいろんな人から「銭湯を貸して」と頼まれても全て断ったという安武さん。体を壊しても同郷の若者を気にかけて再起しようとする姿に「愚直な人柄とバイタリティーにほれた」と、家族を説得して銭湯を貸すことに。改修作業には前の店に通っていた常連客や留学生らも手伝ってくれました。
再開後は、かつて若桜湯に通っていた近隣の高齢者も「懐かしい」と店に訪れ、中には持ち帰って食べる人もいるそう。
寝る前に欠かさず銭湯に通っていたという福山迪代さん(79)は「あっさりして毎日でも食べられる。銭湯ゆかりの品も懐かしい」。
スロスさんがめざす店は、国籍に関係なくいろんな人が集う場所です。
「古いものを大事にしたい」と銭湯にあった物もそのまま利用。ソファは女湯の脱衣所にあったベビーベッドをリメイクし、靴箱やドライヤー付きの椅子もそのまま使っています。
私が訪れた時も、カンボジアからの留学生や前のお店からの常連客、近所の住民たちが次々に訪れ開店から2時間ほどでほぼ満席に。
訪れた人はまず、厨房の奥で炎を上げながら黙々と調理するスロスさんにあいさつをしてから席に着いていました。
食事を取るだけではなく、スロスさんの顔が見たくてやって来るのかな、と感じました。スロスさんは「昔のお客さんも戻ってくれ、にぎやかなカンボジアの市場みたい」と笑顔。私もスロスさんの人柄に惚れてしまいそう。
安武さんは「若桜湯が復活したようで、ご先祖さまも喜んでいると思う。多くの人が訪れ、商店街が再びにぎわうきっかけになれば」と話しています。
厚生労働省の調査によると、16年度の銭湯数は全国で3900軒。1996年の9461軒から半数以下に減ったといいます。日本銭湯文化協会理事の町田忍さん(67)によると、68年には約1万8千軒あったといい、「今は1日1軒のペースで廃業している」と話します。福岡市では96年に46軒ありましたが、今は13軒になりました。
町田さんによると、廃業した銭湯の大半は取り壊され、マンションなどになっているそう。一方、別の用途で再出発する銭湯もあります。
北九州市八幡東区の「八万湯」は30年ほど前に廃業しましたが、今は地元の美術家らが展覧会を開くアートの拠点となっています。東京・谷中の「柏湯」も93年、現代美術を展示するギャラリー「スカイザバスハウス」に生まれ変わりました。
料理店もあります。00年にオープンした京都市北区のカフェ「さらさ西陣」は、廃業した銭湯「藤ノ森温泉」をリノベーション。とんかつの老舗「とんかつ まい泉」の青山本店(東京都渋谷区)も、銭湯だった建物を使っています。
町田さんは「昔の銭湯はいい材料を使っており、文化財級のものもある。デザインに凝るなど遊び心に満ちた銭湯も多い。うまく使い続けてほしい」と話しています。
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