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五輪の魔力、出場逃した選手の「その後」 4姉妹でめざし自分だけ…
平昌冬季五輪では、連日、日本人選手の活躍が伝えられています。でも、その陰には、代表争いに敗れた選手たちがいます。姉妹4人での五輪出場をめざし、一人、出場権を逃した菊池萌水選手(25)=稲門スケートクラブ=は、引退も考えたと言います。五輪という重圧への本音、選手の「その後」を追いました。(朝日新聞スポーツ部記者・照屋健)
「少しでも感覚つかみたいなって思って、滑っているんです。今、まったく滑れないから」。
2月1日、甲府市であった冬季国体のショートトラック女子3千メートルリレーで長野県の優勝に貢献した菊池選手は笑顔でした。
2ヶ月前、彼女は悔しさから競技場で泣き続けていました。平昌五輪代表の切符をかけた昨年12月の全日本選手権。妹4人での五輪出場がかかった舞台でした。
三女の悠希さん(27)、五女の純礼さん(22)がショートトラックの代表に選ばれた一方で、7位に沈んだ四女の自分は落選。次女の彩花さん(30)は後日、スピードスケートの代表に選ばれました。
「4人で行けなかったのは私の責任。悠希、純礼の2人には五輪で頑張って欲しい」。レース後、あふれる涙をこらえきれず、菊池選手は悠希さんに肩を抱かれました。
「全日本が終わった後は、正直つらかった。やっぱり『私が行けたら4人で行けた』っていう思いもあったので。あと4年も戦えるのかなって思うと、苦しかった」。
落選直後の心境を、菊池選手はこう振り返ります。家族や周りの人と話していても、気まずさを感じたといいます。
1カ月間はリンクにあがらず、休みをとりました。山梨県や地元・長野県南相木村の温泉につかり、1人でゆっくり考える時間もつくったといいます。
「私の限界ってこんなものなのかな」。そう思い、家で再び泣いたこともありました。
4年後は29歳。決して若くはなく、引退が頭をよぎったこともあります。ただ、「このまま負けっ放しじゃ嫌だ。負けて、もやもやしたまま終わるのは嫌だなって」
そう思えるのは、これまでもはい上がってきた経験があったからです。
2014年のソチ五輪ではリレー候補で代表に選ばれ、ソチに行きましたが、試合には出られませんでした。
大学卒業後、所属先がなく、貯金を切り崩しながら活動を続けた時期もありました。
「やっぱり、苦しいときこそ私は笑っていたい。苦しいけど、自分が選んだ道。それがやりたくて自分は競技をしているので」
今回、菊池選手の「その後」を追いかけたのは、2020年の東京五輪を目指す選手たちを取材していて、心配になる時があるからです。
「この選手がもし、五輪に出られなかったら大丈夫だろうか」と。テレビで「東京五輪期待の選手」を見ない日はありません。
スポンサー企業の数はだんだんと増え、周囲の期待も高まっています。そんな中で起きたのが、カヌーの禁止薬物混入事件でした。
カヌーのリオデジャネイロ五輪銅メダリストの羽根田卓也選手は「東京五輪には魔力がある」と打ち明けます。
「僕もなにがなんでも出たいと思っている。選手にとってこんな舞台はもう2度とない。思い詰める選手の気持ちもわかる」
菊池選手は、姉妹で唯一、平昌五輪に出られませんでした。平昌五輪のニュースばかりの中、落選した選手としての心境を聞きました。
印象に残ったのは、「気持ちをいつ切り替えられたか」と聞いたときに「切り替えではなく、継続ですね」と答えたことです。
「私はまだ世界のトップレベルに立てていない。そのために、今はコーナリングの技術の練習に取り組んでいるんです」。
そして、笑顔で、こう続けました。「やっぱり、写真撮ってもらうときも、明るい方がいいじゃないですか。みなさんに伝えられるものが大きいと思うので、私は笑っていたいなって思います」。
喪失感とどう向き合うか、という問いに対する答えはないかもしれないし、「乗り越える」と簡単に言えるものでもないかもしれません。
ただ、一歩を踏み出す選手の姿を通して、記者として伝えられるものはあるのではないか。
平昌五輪では、スピードスケート女子団体追い抜きのメンバーの一員として、次女の彩花選手が金メダルを獲得しました。決勝では滑れませんでしたが、涙を流しながら仲間たちに駆け寄る姿が印象的でした。
萌水選手は彼女たちの平昌を見て、何を感じたのか。また取材をしたいと思っています。
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