連載
#9 東京150年
大相撲、明治維新直後に存亡の危機があった 「裸体禁止令」に力士は
元横綱・日馬富士の暴行問題に端を発し、土俵外での騒動で揺れる大相撲界。歴史をさかのぼると、明治維新直後は「裸体禁止令」が出され、「相撲絶対禁止論」が吹き荒れるなど、存亡の危機にありました。その危機を乗り越えたのは、力士たちの必死の粘りでした。(朝日新聞記者・抜井規泰)
駅の高架のホームから、国技館の緑青の大屋根が見える大相撲の街・両国。当たり前のように、風景の中に大銀杏を結った関取がいる。
力士の姿は現代にあって異彩を放つ。外出時は、ほぼ和服。びんつけ油の甘い香りを漂わせるまげ。江戸時代からタイムスリップしてきたような大男が、そこにいる。大相撲は江戸の香りを現代の東京に伝える。
実は明治維新直後、大相撲は存亡の危機に直面した。社会が急速に欧化し、まげは文明開化に逆行する前時代のものとされた。さらに法で裸が禁じられ、「相撲絶対禁止論」まで叫ばれた。この逆風から、どう生き残ったのか。
「ざんぎり頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」。いまに伝わる明治初期の囃し歌。その対極で、こう歌われた。「半髪(ちょんまげ)頭をたたいてみれば、因循姑息の音がする」
明治の世が始まって間もなく、新政府から出された二つの法令が、大相撲を窮地に追い込んだ。
まず、1871(明治4)年の「散髪脱刀令」。髪形は自由で、華族や士族は刀を差さなくてもいい、という法令だが、「まげを切る義務」と受けとられた。続いて「裸体禁止令」が出ると、ふんどし一丁で戦う相撲は「野蛮である」とされた。
1942年に刊行された加藤隆世著「明治時代の大相撲」によると、政官界に「相撲絶対禁止論」が吹き荒れた。
西郷隆盛や伊藤博文、板垣退助らが相撲擁護に回るが、禁止論は強まるばかり。そこで、薩摩出身の警察官僚・安藤則命が、社会奉仕のための力士消防組合の設立を提案した。
大男が火事場で何の役に立つのか――と反対派から一笑に付されるが、力士側は粘った。運動会を開いて機敏さを披露し、眼鏡にかなえば設立を許してもらう約束を引き出したのだ。
千葉・館山周辺の屈強な漁師5人を招き、5人対力士1人で綱引き。これに圧勝すると、力士と俊足の人力車夫がそれぞれ8人ずつ出てきて、駆けっこ。
最初は車夫がリードしていたが、周回を重ねるうちに次々とダウン。根性に勝る力士が勝利した。やっと認められた消防組合では力士1人で「十人力」以上の働きをしたと伝わる。
こうして、力士のまげは残り、大相撲そのものも存続できた。
いま、国技館は満員御礼が続く。広報部長時代、自腹で渡米し、大リーグを視察した八角理事長(元横綱北勝海)は「大相撲が同じことをやってもダメだと痛感した。逆に大相撲にしかない魅力に気がついた」。
時に「守旧」の色を強く感じさせる角界。だが、国技館に一歩入れば、そこに江戸があることこそが、人を引きつけ続けるという。
理事長は言う。「七三分けや角刈りの力士が相撲を取っていたら、平成の世まで大相撲は残らなかったよ」
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