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トイレが流れない「最高級ホテル」大好きだった“定宿”で起きた悲劇
アフガニスタン取材で何度も泊まったなじみのホテルが、襲撃と立てこもり事件の現場となってしまいました。小高い丘の上から首都カブールの町並みが一望できる、国営の「インターコンチネンタルホテル」。誘拐やテロの危険で外食ができないため、ホテル1階のレストランで羊肉や焼きめしをかき込み、あまり長居せずに部屋へ戻り、睡眠を取る。アフガニスタン取材の重要な足場でした。(朝日新聞イスラマバード支局・乗京真知)
事件が起きたのは1月20日午後9時ごろ。銃や手投げ弾で武装した襲撃犯6人がホテル内に侵入しました。地元テレビが目撃者の話として伝えたところでは、襲撃犯は1階のレストランで「外国人は手を上げろ」と指示し、銃を撃ち始めたといいます。
襲撃時、ホテルには外国人を含む宿泊客ら150人以上がいたそうです。
爆発も複数回起き、施設の一部が焼けました。襲撃犯は最上階の6階に立てこもって治安部隊と13時間以上にわたって交戦し、制圧されました。
内務省によると、少なくとも外国人14人を含む22人が死亡、10人が負傷しました。
死亡した外国人14人のうち11人は、このホテルを定宿としていたアフガンの民間航空会社「カーム航空」のウクライナ人乗務員ら。カーム航空は航空業務をウクライナの会社に丸ごと依頼しているため、ウクライナから添乗員たちが派遣されていました。
背の高い添乗員たちと、よくエレベーターやレストランで一緒になったことを覚えています。
カブールでは警備が比較的ましとされるホテルでした。丘の上にあるホテルの玄関までの道には、複数の検問所がありますが、夜間の襲撃を完全に防ぐのは難しかったようです。
私はこのホテルに過去5回、泊まったことがあります。昨秋に泊まった際には2回ほど車を止められ、手荷物検査を受けました。
ところが、今年に入って警備体制が見直され、新たな警備会社が入ったそうです。警備が緩まった隙を突かれたのか、警備会社が襲撃犯と通じていたのか、アフガン治安当局が調べています。
外国人がカブールで定宿としているホテルは主に2カ所あります。一つはインターコンチネンタル。もう一つがセレナホテルです。
セレナの方が警備は厳重ですが、それゆえに政府要人や外交団がかたまることとなり、逆に標的としての価値が高まっています。
いずれのホテルも過去に襲撃を受けていますが、どちらかに泊まらざるを得ません。内外の要人の宿泊状況、催しの予定などの情報を勘案した上で、空いていて、リスクが低そうな方を選びます。
昨年5月末には150人超が犠牲になる爆破テロがセレナ近くであったので、最近はインターコンチネンタルに泊まっていました。
インターコンチネンタルは同じ名前の国際ホテルチェーンから経営が切り離され、現在はアフガニスタン国営ですが、名前はそのまま使い続けています。
かつては外国人御用達の最上級ホテルでした。ところが、治安の悪化に伴って宿泊客が減り、客室のカーテンレールが壊れていたり、トイレが流れなかったりと、施設の老朽化が目立っていました。
テロや誘拐の危険から外食は控えていたので、どうやって食事を確保するかも悩みどころでした。
町の中心部にあるセレナは武装要員が館内を巡回していて張り詰めた雰囲気があり、食事を取るとすれば高額なルームサービスを頼むしかありません。小高い丘の上にあるインターコンチネンタルホテルは襲撃があっても山に逃げ込むことができるので、屋外プールの脇でバイキング形式の夕食が取れるというのが利点でした。
羊肉のケバブは炭火で香ばしく焼き上げられ、食後にはアフガンの砂糖菓子や果物が用意されていました。
ときおり遠くからタンタンと銃声が聞こえることがありました。地元の従業員らは「検問所で車を止めさせるための威嚇発射。弾が飛んでくることはないよ」と気に留める様子はありませんでした。
そこでよく同席したのが、今回の事件で多数の犠牲を出したカーム航空の職員たちです。彼らは制服を着たまま食事をしていたので、よく目立ちました。
カーム航空は、私が拠点とするパキスタンとの往復や国内移動に欠かせない便を運航していて、他の航空会社に比べて時間通りに飛ぶことが多いため、多用していました。
犠牲者には米国人やドイツ人も含まれていたそうですが、実際の被害規模は分かっていません。事件の衝撃をやわらげたいアフガン当局が、情報を明かしていないためです。
地元メディアの一部は、当局者の匿名情報として、死者が40人を超えたと伝えています。現地の日本大使館によると、日本人が巻き込まれたとの情報は入っていません。
実は、このホテルへの襲撃は初めてのことではありません。会議場などの設備が比較的整っていることから外交団や政府要人が利用する半面、繰り返し攻撃の対象となってきました。2011年6月には反政府武装勢力タリバーンの襲撃でスペイン人を含む10人以上が死亡しています。
今回、犯行声明を出したのもタリバーンでした。外国人が宿泊するホテルを攻撃することで、アフガン政府を後押しする諸外国や支援機関などに打撃を与えようという狙いが読み取れます。
アフガン情報機関は犯行はタリバーン内のハッカーニ派によるもので、現場に残された爆薬はパキスタンの首都イスラマバードの業者が作ったものだった、などとしています。
パキスタン領内に隠れ家を持つハッカーニ派は、パキスタン軍の意向を受けて動くことがあると米国などが疑う強硬派。つまりアフガン情報機関としては、今回の襲撃の背後にはパキスタンの影がちらついている、と主張したいわけです。
この襲撃事件が起きてから1週間後には、やはりカブールにある内務省の施設前で救急車を装った車両が爆発し、死者数は100人を超えました。
丘を駆け上ってきたカブールの涼しい風が、部屋の緑のカーテンを揺らす――。緊張をほぐしてくれたインターコンチネンタルに戻る勇気は、しばらく起きそうにありません。
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