連載
#6 東京150年
都心タワマン、広がる住民交流 「しがらみ」と「孤独」の間を模索
プライバシー重視から「つながり」へ。人々の住み方の流れが変わりつつあります。転機には、発生からまもなく7年を迎えるあの大震災がありました。(朝日新聞東京総局記者・吉野太一郎)
新宿中央公園の北側に、昨年末から入居が本格化した60階建てマンション「ザ・パークハウス 西新宿タワー60」がそびえる。
その半年前の夏、マンションの近くで約600年続く熊野神社の権禰宜(ごんねぎ)が、地域の歴史や、秋の例大祭の作法、みこしの担ぎ方などを入居予定者に教えた。会社員の夫と引っ越してきた50代の妻は転勤が多かったといい、「いつも地域に溶け込めなかった。『私の地元はここ』と思って暮らしたかった」と、この取り組みを喜ぶ。
再開発で出現した総戸数953戸、約2千人の「町」に、販売する三菱地所レジデンスは3年前から5年かけて、入居予定者同士や地域が交わるイベントを階数にちなんで60回開く。
11月に共有スペースで家族同士の顔合わせ会に参加した大木岳志さん(48)と妻の裕美さん(29)は、3歳と1歳半の子どもがいる。「何かあったときのため、同じ階の人ぐらいは顔見知りでいたい。手が離せない時に子どもをちょっと見てもらえるような関係が、事前に築けるのはありがたい」
江戸時代中期に江戸川区で創業し、地元の戸建て住宅などを手がけてきた「丸喜須賀工務店」の須賀眞一さん(65)は「日本の伝統的な家は、ふすまを開けて隣の部屋を通って移動する『田』の字形の間取り。プライバシーなんて概念はなかった」と解説する。「やがて廊下が加わり、密閉志向、個室志向が強まっていくわけです」
2017年の社会生活統計指標によれば、都内の一戸建てが約180万戸に対し、マンションなどの共同住宅は約2.5倍の453万戸に上る(13年。空き家を除く)。
70年代後半にはオートロックシステムが登場、入居階以外に行けないエレベーターシステムなども普及した。「マンションはプライバシーが重要で、人間関係は外で持つものだと、売る側も思っていた時期があった」と三菱地所の担当者。
転機は2011年の東日本大震災だった。不動産情報サイト「SUUMO」の池本洋一編集長は「帰宅難民の発生や都心部マンションの大きな被害を経験し、共助の重要さが都民のマンション住まいの価値観に加わった」とみる。入居者の顔合わせ会や懇親会、防災訓練と同時のイベント開催が広まっている。
港区港南4丁目の「シティタワー品川」では2年前から、防災訓練に子ども向けのスタンプラリーや、備蓄品を使ってカレーをふるまうなどのイベントを取り入れ、参加人数が倍増したという。自治会副会長の山口幸緒さん(61)は「3・11から時間がたち、参加率が下がっていた。子どもの参加率を上げて大人を巻き込み、顔見知りを増やすことが防災、防犯に役立つ」と話す。
若者や高齢者ら、ファミリー層以外をどう振り向かせるかも課題だ。三井不動産レジデンシャルは1月から、利き酒会やスムージー作りなどの講習会を開いて、趣味や自分磨きを通じた人間関係の構築を図る。
「ザ・パークハウス 西新宿タワー60」などで、マンション住民の関係づくりを支援する企業「HITOTOWA」の津村翔士さん(34)は「日常的に、また災害時に助け合える住民同士の関係を作るために『しがらみ』と『孤独』の間の、ちょうどよいつながりが大事なんです」と語る。関東、東日本。150年で2度の大震災を経て、濃密すぎず、疎遠すぎず。お隣さんとの適度な距離の模索が続く。
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