連載
#5 東京150年
東京・神田界隈が「カレーの街」になったワケ ある古書店主の思い
食生活が豊かになるなかで、海外から持ち込まれたカレーはいまや国民食に。東京・神田周辺にはカレーを提供する店が400軒以上集まり、都内きっての「カレーの街」となっています。「本格的なカレーを食べる文化を日本でも広めたい」。専門店が立ち並ぶようになったきっかけの一つに、ある古書店主の思いがありました。(朝日新聞東京総局記者・横川結香)
材料はアカガエルやネギ、ショウガ……。
1872(明治5)年に横浜で発行された料理本「西洋料理指南」で紹介されたカレーの材料の一部。小麦粉でとろみをつけるなど現在の手順と大きく変わらないものの、材料の「アカガエル」が目を引く。
日本のカレーは横浜開港後に、英国製のカレー粉が輸入されたことで始まったという説が有力だ。だが当時は、高級官僚などごく一部の人が口にする珍しい料理だった。
カレー総合研究所の井上岳久さん(49)によると、庶民がその存在を知り始めたのは、旧陸海軍の食事に採用されてから。鍋ひとつで大量に作ることができ、栄養バランスがいいカレーは軍隊で重宝された。「退役した人々が故郷に帰り、食卓で作ったことで全国的な広がりを見せた」と井上さん。戦後は学校給食のメニューになり、幅広い層に親しまれる味に成長した。
東京の店でカレーが出始めたのはいつごろか。
都市の労働者が増えて外食文化が栄えた大正時代、手ごろな値段で洋食を楽しめる「須田町食堂」(現・聚楽)などの大衆食堂で親しまれていくが、カレーを一押しのメニューとして出す店は多くなかった。
かつて同食堂もあった神田周辺は、いまや都内きっての「カレーの街」。カレーを提供する店が400軒以上も集まる街だが、専門店が立ち並ぶようになったのはここ40年の間だ。有名店のひとつ「欧風カレー ボンディ」も、1978年に神田古書センターの2階で開業した。
「豪華な内装の店内で本格的なカレーを食べる文化を日本でも広めたい」。ビルの持ち主で古書店「高山本店」の店主、高山肇さん(70)がロンドン留学中に味わった感動が誕生のきっかけ。高島平でカレー店を営んでいた故・村田紘一さんに打診し、店の一切を任せた。ビーフカレーは当時で880円と割高だったが、学生が多く集まる街でもじわりと支持を広げた。
同じころ、元は洋食屋だった「共栄堂」がスマトラカレー専門店として新装開店。その後徐々に、カレーを売り物にする店が増え始めたという。
家庭用の固形ルーの種類も豊富になった70年代、カレーは正月も食べる料理として人々に選ばれ始めた。
「おせちもいいけどカレーもね!」。ハウス食品は76年、レトルトカレーをPRするCMを放映した。店が休む年末年始の買い置きを誘い、商品は大ヒット。キャンディーズに始まり、芸能人を起用したCMは2006年まで続いた。30年で正月のカレーは当たり前の選択肢になった。
北海道のスープカレー、エスニックカレー、金沢カレー……。各地で流行したカレー店が集まり、最先端の味を楽しめる街・東京。17年に新たに仲間入りしたのは大阪発の「スパイスカレー」だった。
味や作り方の定義はなくはっきりした由来もない。「誰か」が言い出した言葉がインターネットなどで広まった――という説がある程度だ。その一つに数えられる下北沢の「旧ヤム邸シモキタ荘」は、藤田一也店長(37)が創作した2~3種類のルーと副菜を盛り付けた一皿を出す。
時代を映すかのように、カレーは自由に姿を変えて進化してきた。藤田さんは言う。「分類なんて後付け。うまければ何でもいいんじゃないでしょうか」
1/12枚