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「コスプレ公務員」引退の真相 北九州バナナ姫「子ども」への思い
北九州のバナナ姫ルナが引退します。「コスプレ公務員」としての活躍は、自治体PRの新たな地平を切り開きました。誕生から別れ、そして衝撃の「3人の子どものお母さん」を告白した真相。北九州を担当する記者として、バナナ姫の誕生、そして引退を見届けることになりました。バナナ姫に感謝を込め、この2年弱を振り返ります。(朝日新聞西部報道センター記者・宮野拓也)
北九州市役所の記者室に衝撃のニュースが飛び込んだのは1月中旬。バナナ姫ルナが「引退」――。市観光課の職員、井上純子さん(31)が扮する「コスプレ公務員」として話題の「バナナ姫ルナ」が、3月末に引退をするというのです。
そして翌日。北橋健治市長の定例記者会見にバナナ姫こと井上さん本人が登場し、引退の理由を説明するという、さらなる驚きが待っていました。
1月18日。いつもと同じように進行する会見に変化が訪れたのは、バナナ姫について市長が質問を受けたときでした。
「そういう質問もあると思いまして、実は今日はバナナ姫本人を呼んでいます」と北橋市長。「市役所全体で井上さんの意欲とスピリットを継承していきたい」とバナナ姫の活動に感謝を述べると、おもむろにそう告げました。
そして登場するバナナ姫。会見室中央の演台へと歩み寄る姿は、まるでバナナ姫が市長として会見をするかのようでした。
「私、観光課職員の井上によるバナナ姫ルナのコスプレ観光PRは今年度をもって終了させていただくことになりました。たくさんの方に応援をいただき、今まで続けることができました」。そう告げる井上さんは、少しだけ涙をこらえているように見えました。
「本気すぎるコスプレ公務員が観光PRします!」。市からそんな見出しのお知らせが記者の元に届いたのは2016年7月。そこには頭にバナナの飾りを付けた女性の写真が添えられていました。
すぐには事情がつかめず、「市が観光PRのために臨時で誰かを雇ったのかな」と思いながら、観光課に取材に向かいました。
最初に対応してくれたのは、観光課の係長末松剛さん(46)。後にはバナナ姫と現場に入るマネジャーのようになるのですが、そんなことを知るよしもありません。少し話をすると「さっそく本人を呼んできます」と告げ、部屋を出て行きました。
そして登場したのが、バナナ姫への変身を決意した観光課のごく普通の職員、井上さんでした。
ポロシャツ姿の井上さんは「いつもコスプレしているわけではないんです」と言いつつ、コスプレ職員誕生のいきさつを教えてくれました。
「コスプレイヤーというわけではないんですが、友達同士でクリスマスやハロウィーンに趣味で仮装していたんです」
この前の年には友人と出た「こくらハロウィン仮装コンテスト」で見事に優勝したほどの腕前です。
それまで事務系の仕事が多く、表に出る仕事は少なかったようですが、市のPRを担う観光課に在籍して2年目。北九州市には京都のような観光地としてのイメージが薄く、PRでチラシを配っても反応が薄いことに悩んでいたそうです。
かといって新たにゆるキャラを用意する予算もない。末松さんと「低予算でインパクトのあることを」と話し、行き着いたのが自らコスプレをするという企画でした。
キャラクター探しにも自ら取り組みます。そして、バナナのたたき売り発祥の地・門司港をPRするために市内在住のイラストレーターしいたけさんがデザインしたキャラクター、「バナナ姫ルナ」にたどり着きました。くしくも北九州市が進める「サブカルチャーの街」のコンセプトにもぴったりです。ちなみに衣装の一部は井上さんの手作りです。
対外的な市のPRが目的のため、バナナ姫の活動場所は市外が多く、市役所担当の私が初めて実物のバナナ姫を見たのはその翌月、北九州空港でのことでした。
コスプレしたまま飛行機に乗り、出張先の名古屋に向かうという井上さん。見慣れた空港の風景が、そこだけはテレビのロケのような非日常空間になっていました。一目見て、その完成度の高さと「バナナ姫ルナです♪」と声が一段高くなる井上さんのプロ意識に脱帽しました。
さすが優勝者……。バナナ姫の姿でチェックインカウンターに進む後ろ姿を見送ったことをよく覚えています。
その後は全国区のテレビ番組にも取り上げられ、市の内外で一躍認知度を上げるバナナ姫。井上さんは当初、「市長にはまだ見せていなくて」とやや不安がっていましたが、すぐに広報の場での共演が実現し、市長もその実力を認めるところとなりました。
福岡市から来た親子連れをバナナ姫が市内の名所に案内するバスツアーのほか、カレーのパッケージや市の観光動画にも登場。押しも押されもせぬ北九州市PRの「センター」に躍り出ました。
さらには大阪出張のついでに、朝日新聞大阪本社にPRに来てくれるというありがたいこともありました。
そんな人気者にも越えられない壁があったようです。
その一つは、公務員について回る人事異動。
井上さんは観光課に在籍して3年目。今年度末には異動の通告があってもおかしくありません。数カ月前から、引退について上司と相談していたといいます。
もう一つの課題が家庭と仕事の両立。引退会見で井上さんは、「3人の小学生のママ」という「衝撃」の事実を明かしました。
コスプレ中はバナナ姫になりきっていた井上さん。会見では「イベントに子どもが来ることもあったけれど、『ママと呼ばないでね』と約束していました。甘えさせてあげられず寂しい思いもさせたかもしれない」と複雑な心境を明かしました。
子どもがいることもいつか明かしたいと思っていたそうですが、機会がなかったとのこと。観光課のPRイベントは週末が中心で出張も多く、苦労もひとしおだったと思います。
全国でも珍しい北九州市の「コスプレ公務員」という取り組みはこれからどうなるのでしょうか。
市は「バナナ姫の後継者は今のところ予定していない」としつつ、「意欲がある人がいれば」と含みを持たせています。
「くまモン」を頂点に、自治体PRは大事な仕事になっています。
バナナ姫を見続けてきて感じたのは、その「先取の精神」。実は北九州市には世界最速230キロのバッティングセンターがあったり、ど派手な成人式の衣装を作り続ける貸衣装屋があったり、古くは日本初のアーケード商店街、24時間スーパー、そしてパンチパーマの発祥の地と、既存のものにとらわれない挑戦を応援する気風があります。
そんな土地で生まれた「コスプレ職員」の取り組み。他の自治体が簡単に続くのは難しいかも知れませんが、自治体PRの新しい道を切り開いたと言えるのではないでしょうか。
そんな北九州市では、意外と早く第二のバナナ姫が現れるような気もします。もちろん、井上さんのように本人にやる気があり精神的にもタフな職員が出ればの話ですが……。
予算をかけず、1人でゆるキャラ役とPR役の二役をこなしたと自負する井上さん。きっとどの部署に行っても(そして観光課に残ったとしても)、そのアイデアと行動力で活躍してくれるでしょう。「バナナ姫ルナ」、本当にお疲れさまでした。
井上さんは会見の最後に「娘には(バナナ姫に)あこがれの気持ちを持ってもらっていたと思う」と話しました。ひょっとすると、北九州市では将来、親子のバナナ姫が活躍する日が来るかもしれません。
井上さんと一緒にコスプレし、「ハロウィン仮装コンテスト」で優勝した友人も市職員。そんなコラボもあるかも、と期待も抱かせる個性豊かなコスプレ公務員でした。
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