感動
ミャンマーにある「返さなくたっていい」図書館 館長は小学校中退
ミャンマー最大都市ヤンゴンの下町に、4畳半ほどの小さな図書館があります。本棚には小説から専門書まで約3千冊の本がびっしり。「館長」のゾーゾーさん(28)は、国内で七つの図書館を切り盛りし、「図書館ヒーロー」と呼ばれています。実は、貧しさから小学校を4年で退学。コツコツためた本とお金で小さな部屋で図書館を始めました。今でも露店での魚売りだけで切り詰めた生活をしています。なぜ彼は、図書館をつくろうと思ったのでしょうか。
狭い通りに果物や野菜からTシャツまで様々な露店が肩を寄せ合うヤンゴンのインセイン地区。幅4メートルほどの細長いビルの1階に、ゾーゾーさんの図書館があります。「朝9時から午後5時まで。誰でも入れて好きな本を借りられます」。返却期限はなく、登録の必要もなし。でも、95%の本がちゃんと返ってくるといいます。「返さなくたって、それだけその本が好きになってくれるならうれしい」とゾーゾーさんは笑顔です。
午後になると、ゾーゾーさんは10冊ほどの本を持って「配達」へ。病気や仕事で図書館に来られない住民に本を貸しに行くためです。歩いて10分のところにある飲食店で働くシュエジンミンさん(19)はヤンゴンの大学で経済学を学ぶ学生。「家族の店を手伝っていると、本を借りに行く時間がなくて……」
ゾーゾーさんは自ら数冊の本を選び、月に2回ほど、彼女に届けます。「2年くらい、ゾーゾーさんの図書館で借りています。本を読むと、これからどんな人生を生きようかと考えるきっかけになる」とシュエジンミンさん。隣でゾーゾーさんが言います。「こうやって本の楽しさに気づいてくれる人が1人でも増えることが、すごくうれしい」
ゾーゾーさんはミャンマー中部、第2の都市があるマンダレー管区にある村に生まれました。「とにかく貧しかった」。農夫として雇われた両親の1カ月の収入は、1万チャット(当時の約600円)。7人の子どもたちが食べていくのにやっとの状況でした。
通っていた村の小学校には、教師が月1回しか来ませんでした。児童は1学年4人。ひたすら自習をしていました。教材に1カ月で1千チャットかかるため、ゾーゾーさんも学校から帰ったら畑仕事を手伝い、少しの賃金を学費に充てていました。
小学5年生から、数キロ離れた町中の学校に行くことになっており、ゾーゾーさんも2時間かけて向かいました。クラスは60人の大教室。みんなが持っている文房具も買えず、バッグの代わりにポリ袋に教材を詰めて通います。
でも、それまでろくに勉強を教えてもらえなかったから、全然内容がわからない。名前を書くこともできなかった。さらに、「制服を用意しなさい」と言われました。両親の給料3カ月分。「とても払えません」と、自分で学校を辞めると決めました。
「悔しくて涙が出た。でも、どうしたって無理だった」とゾーゾーさんは振り返ります。
現在では、ミャンマーは義務教育の小学校も含め、高校まで無償化されています。時代が違えば、人生も大きく変わっていたはずです。
そんなとき、一番、気にかけてくれたのが、祖父のサンテインさんです。「学校に行けなくなったからって、知識を得ることをあきらめてはだめだ。本を読みなさい」と、何冊か本を手渡してくれました。
学校に行かなくなったゾーゾーさんは、畑仕事に明け暮れます。一番楽しみだったのは夜、畑の見回りの仕事をしていた祖父と夜空を見ながらする会話でした。ミャンマーに伝わる昔話、仏教の話、政治や経済といったちょっと難しい話もゆっくりとしてくれました。
実は祖父は以前、野菜販売の事業で財産を築いていました。しかし、持っていた紙幣がある日、紙切れにかわってしまいました。ミャンマーでは軍事政権時代、何度も「廃貨」をしました。インフレを抑えるために高額な紙幣を使えなくしたのです。小額紙幣との交換すら、認められませんでした。
祖父は、「お金なんていつ使えなくなるかわからない。でも、知識はずっと頭に残る。だから、大事にしなければいけない。本を読めば、ゾーゾーがこの国を変えられるんだよ」と話してくれました。
初め、「賢くなってお金を稼ぐんだ」と本を読んでいたゾーゾーさんでしたが、次第にその魅力にとりつかれていきます。今でも心に残っているのは、「かもめのジョナサン」(リチャード・バック)。生まれた場所から出たことのない自分でも、鳥みたいにどこまでも行けるような気持ちになれます。「本ってすごい!」
ゾーゾーさんは13歳の時、少しでも食いぶちを減らして親を助けようと、ヤンゴンに出ることを決意します。リュックの荷物は、祖父からもらった本3冊と少しの着替えだけ。
ヤンゴンのレストランで朝から晩まで働き、1日7千チャット(当時約500円)。家に帰るとどんなに疲れていても本を開きました。両親に仕送りをしながら、少しずつ、本を買っていると、その数は数十冊に。「他の人が僕の本を読める場所をつくれないか」というのが、図書館を始めるきっかけでした。
19歳の2008年、たまったお金でヤンゴンの下町の部屋を借り、そこに本を置きました。でも、待てども人はやってきません。当時はまだ軍政下で、軍に少しでも批判的な本を貸せば、すぐに警察に摘発されてしまう時代でした。
ゾーゾーさんはこっそり、アウンサンスーチー氏らの本を裏に隠し、貸し出すことにしました。警察の目をかいくぐり、図書館のファンは少しずつ増えていきました。
2011年に民政移管されると、規制が緩やかになり、堂々と本を置くことができるようになりました。「小さな図書館主」としてメディアにも出るようになり、図書館を訪れる人は増えます。同時に、「本を寄付したい」という人も現れました。
各地の講演会にも引っ張りだこ。政府から賞も受けました。「うちの地域にも図書館をつくって」という要望もあり、今やヤンゴン、マンダレーなどに7館を数えます。月に3千冊は寄付として本が送られてくるといいます。
でも、ゾーゾーさんは図書館の仕事ではお金を受け取っていません。講演も無料。お金の寄付も「それなら本を下さい」とお願いします。
今でも毎日、午後6時になるとリヤカーをひいて、繁華街に出ます。露店で、ティラピアなどの川魚を焼いて売るためです。1匹3千チャット(約250円)。月の収入は30万~40万チャットですが、そのうち25万チャットは図書館の家賃に消えます。
図書館事業をうまく使ってお金をもうけたいと考えないのでしょうか。「知識を得たいという人からお金はとれないでしょう」とゾーゾーさんは苦笑いします。
しかし、資本主義にまみれた筆者にはすぐに理解できません。「自分が良い暮らしをしたいと思わないのですか。欲しいものだってあるでしょう」。ゾーゾーさんは、「私だってテレビや車をほしいと思うことはある。でも、その喜びより、本を手に取った人の笑顔の方が、私を幸せな気持ちにしてくれるんです」と答えます。
ゾーゾーさんは、「この国を変えたい」と真剣な表情で話します。「人々が十分な知識を持っていないから、この国はまだ貧しい。ミャンマーから天然ゴムを安価に買った隣国のタイが、商品にして高く売っている。私たちに知識があれば、この流れを変えられる」
アジア財団の2014年の調査では、ミャンマー国内には約5万5千の図書館が登録されていますが、稼働しているのは5千弱。しかも、平均蔵書数が900冊で、数十冊しか置いていないところも珍しくないそうです。
近所で悪さばかりする問題児が、ゾーゾーさんの図書館で本に出会って勉強に目覚め、昨年、マンダレーの大学の医学部に合格したといいます。「私のおかげだとは全く思わない。でも、この場所をなくしちゃいけないと強く思う」とゾーゾーさんは語ります。
後日、私はヤンゴンの書店で1万5千チャット分の本を買い、寄付しました。ゾーゾーさんから頼まれたのはマンガや絵本。「子ども向けの本は手に入れるのが難しい」というのが理由でした。確かに、ヤンゴン市内の書店もこぢんまりとしたものがちらほらあるくらいで、本を買うのにも一苦労でした。
まだ、なぜ彼がそこまで人のため、国のために尽くせるのか、完全に理解できたとは思いません。でも、「本を読むって何なのか」「勉強って何のためにするのか」、とても深く考えさせられました。
実は私は小学校の頃、親から読書感想コンクールに応募するために「吉田松陰の伝記」を読むことを強く迫られたのがトラウマで、ちょっと読書が苦手な部分があります。
ただ、これまでも寝るのを忘れて読んだ小説や、考え方に大きく影響を受けたノンフィクションにも出会ってきました。今でも取材準備も含めて月に1~2冊は読んでいます。「もう少し本を読んでみようかな」と、今回の取材で思いました。
「図書館の仕事は目立たないかもしれない。でも、誰かがやらないといけない。私にはその責任があると思っています」。ゾーゾーさんは最後まで熱く話してくれました。