連載
#9 現場から考える安保
跳ぶたびに怖さ乗り越え 陸自空挺団ガチ訓練の神髄、中年記者が体感

陸上自衛隊第1空挺団。日本唯一のパラシュート部隊で、陸自の精鋭が集まります。パンフレットには、遥か上空で航空機から跳び出す姿や、割れた腹筋をさらして走る男たち……。戦場で「跳ぶ」とはどういうことなのか。訓練を取材し、記者もほんの少し体験しました。(朝日新聞専門記者・藤田直央)
高さ11mの「跳出塔訓練」

訓練の場所は千葉県の陸自習志野演習場。明治時代から旧陸軍が演習をしていた一帯で、隣に第1空挺団のある習志野駐屯地があります。第1空挺団主催の年始恒例「降下訓練始め」にあわせ、報道各社に体験の機会が設けられました。
快晴のパラシュート日和となった1月12日午前8時、記者たちが訓練用の迷彩服にブーツ、ヘルメット姿で習志野駐屯地に集まりました。目の前に高さ11メートルの塔がそびえ、そこから跳び出す跳出塔(とびだしとう)訓練に挑みます。空挺隊員になるための初歩です。

パラシュートはつけませんが、もちろんそのまま地上へは落ちません。空挺隊員と同様に、ベルトと金具で腰から上を固める装身具をつけます。そして航空機の機体を模した塔頂上へ登り、装身具を3メートルほどのロープにつなげます。ロープのもう一端は、塔付近から斜め下へ伸びるワイヤーに滑車でつながっています。
つまり、塔から跳び出した体は一瞬落ちますが、ロープが伸びきるとワイヤーにぶら下がり、そのまま滑車で斜めに降りていきます。装身具をまとうのは、ロープが伸びきった時に自分が落ちる重力を体全体で受け止めるためです。
その衝撃に耐えるには姿勢も大事です。跳び出してからパラシュートが開くまでにあたる約4秒間、首がぐらつかないようあごを引いて胸につけます。脇を締めて両拳を胸の前で交差させ、直立の姿勢を保ちます。

パブロフの犬になれるか
「東京タワーの高さを走る新幹線から跳び降りる感じです」。陸自空挺教育隊の学生隊長で、記者たちを指導する田中保和3佐はそう話しつつ、跳出塔訓練の意義を強調します。「11mは人間が恐怖を感じ始める高さと言われます。跳び出して変な姿勢にならないよう胆力を養い、パブロフの犬になるまで徹底的に反復します」

指揮役の空挺隊員から「姿勢を取れ」と言われ、両拳を胸の前で交差させる姿勢を固め、片足をどん前へ出します。「よーい、こうか(用意、降下)!」という指示で踏み切り、宙へ。体は数秒後、ロープが伸びきった鈍い衝撃に包まれ、ワイヤーにぶら下がってゆるゆると降りていきました。
その時の感覚は、腹をくくるとしか言いようがありません。命綱があると頭ではわかっていても、何かを振り切らないと跳べませんでした。「跳び出し口では大声で決意を」と事前に言われており、跳ぶ直前に「まだまだやるぞ!」と叫んだのですが、それで自分を追い込んだような感じでした。


東京タワー級から「降下!」
訓練体験を終え、陸自習志野演習場へ移動。午前10時から第1空挺団主催の「降下訓練始め」を取材しました。

まず記者たちは陸自ヘリコプターCH47に乗り、空挺隊員とともに上空へ。パラシュートを背負った隊員らが跳び出す様子を間近に見ます。ヘリは演習場上空を反時計方向に旋回しながら上昇し、小窓越しに小さく、富士山や東京スカイツリー、東京湾岸の幕張のビル群の景色が左から右へ何度か流れます。

空挺隊員が跳び出すためヘリ後部のハッチが開いており、プロペラ音がすごく、訓練の進行は大きな文字で紙芝居のように示されます。「対地高度約340m」「まもなく降下します」と掲げられた先に、一列でスタンバイする6人の空挺隊員。装身具とヘリ後部の出口をつなぐロープには、先ほどの跳出塔訓練体験で見覚えがあり、身が引き締まります。

地上に戻り訓練の続きを見て、空挺隊員たちの胆力と技量をさらに感じました。演習場上空を横切る陸自ヘリや空自航空機から隊員が跳び出し、機体とつながる数メートルのロープが外れてパラシュートが開き始める時点で、もう次の隊員が跳び出しています。

今年の「降下訓練始め」で飛んだ空挺隊員は約150人、最高齢は53歳でした。第1空挺団と最近合同訓練をしている米陸軍もアラスカや沖縄から約50人が参加。1時間ほどで次々と降り、青空を背に40ほどのパラシュートが開く場面もありました。

パラシュートが絡まった!

先ほど低空からの降下で空挺隊員は重さ24キロのパラシュートを身につけると述べましたが、これは「主傘」18キロと「予備傘」6キロの合計です。隊員が空中へ跳び出してすぐ、航空機とつながったロープが外れて開くのが背負った本傘です。もし開かなければ胸元の予備傘を開きます。

第1空挺団の降下訓練では1970年から2009年までに計5件、6人が殉職する事故が起きています。07年の死亡事故では、ある隊員が降下中、別の隊員と接触した自分の主傘を切り離したところ、予備傘が開かないまま落ちてしまいました。
この日の訓練では事なきを得ましたが、地上から真剣な顔で見つめていた陸自の同僚は「危ない危ない」ともらしました。
「訓練降下始め」の締めは「自由降下」です。より高い所からスカイダイビングのようにしばらく落下した後、パラグライダーのような主傘を開いて自分で制御しながら着地します。より高度な訓練が必要で、第1空挺団でも有資格者は一部です。

敵に見つからないよう夜に高さ8千メートルから飛ぶこともあるそうですが、この日は高さ1200メートルからでした。隊員らが低空で主傘を開いてふわりと舞い降り、3時間弱の「降下始め訓練」は終了。会場から拍手が沸きました。
落下傘部隊は何のため
戦場では、航空機から次々と飛び出す低空からの降下が一定の人数による拠点確保に向くのに対し、この自由降下は少数で忍び込むのに向いているとされます。それでは今、「専守防衛」の日本にとってパラシュート部隊は何のためにあるのでしょうか。

陸自にとって、冷戦期はソ連が北から攻めてきた場合の対応が主眼でしたが、今や中国の海洋進出から南西諸島を守ることに存在意義を見いだそうとしています。「尖兵」としていざという時に乗り込むのが、「精鋭無比」を掲げる第1空挺団というわけです。

空挺団が命がけで着陸しても、そこは沖縄県の最寄りの有人島からでも100キロ以上離れた無人島。しかも最大の魚釣島ですら広さ3.8平方キロに過ぎず、山がちです。侵略を排除するために空挺団がとどまるなら、どう支援を続けるのでしょう。

歌い継がれる「空の神兵」
今年で創設60年となる第1空挺団で歌い継がれる「空の神兵」という軍歌があります。太平洋戦争の開戦間もない1942年2月、旧陸軍の落下傘部隊が当時オランダ領のスマトラ島に降り、戦争継続に欠かせないとされたパレンバンの油田を占領。その活躍をたたえた歌です。
ただ、二番の歌詞には空挺作戦が置かれる厳しさがにじみます。
世紀の華よ 落下傘 落下傘
その純白に 赤き血を
捧げて悔いぬ 奇襲隊
この青空も 敵の空
この山河も 敵の陣
この山河も 敵の陣

外国軍でもパラシュートを操る兵士は精鋭です。降下技術だけでなく、敵地に潜入し単独で動くこともあるためで、この日の訓練で沖縄駐留の米陸軍から参加したのはグリーンベレーと呼ばれる特殊部隊でした。

政治は大義を示せるか
「降下訓練始め」を終え、習志野演習場で恒例の「野宴」もたけなわになった午後3時頃、第1空挺団の20数人が壇上に集まりました。男たちは上半身裸になって肩を組み、スピーカーから流れる「空の神兵」に合わせて歌い始めました。

それは二番で終わりましたが、四番の歌詞にはこうあります。
讃えよ空の 神兵を 神兵を
肉弾粉(こな)と 砕くとも
撃ちしてやまぬ 大和魂
わが丈夫(ますらお)は 天降(あまくだ)る
わが皇軍は 天降る
わが皇軍は 天降る

陽が傾き始めた演習場からの帰途、電車に揺られ日常へ戻りながら、ふと朝の跳出塔訓練を思い出しました。意を決して高さ11メートルから跳び、どんどん地面が迫ってくる光景です。
空中で命をさらす「一朝有事」に、今の空挺隊員はどんな大義を胸に航空機から跳べるのか。文民統制・専守防衛という戦後の防衛政策を担う政治家は、そうした大義を空挺隊員に示せるのか。そんなことを取材する機会がまたあればと思いました。
