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あなたの物語のぞかせて 文学カフェ発A4版の文学賞、地域に息づく
A4用紙の片面に収まる作品ならば、小説でもエッセーでもポエムでも形式自由というユニークな文学賞が、香川県の高松にあります。主催は文学好きが集まる小さなカフェバーで、初めて文章を書く応募者を歓迎し、大賞を決めるのはお客さんの投票。そんなやり方が共感を呼んで、現在作品募集中の3回目は「ことでん」こと高松琴平電気鉄道とのコラボが実現しました。店のマスター岡田陽介さん(36)に賞創設の理由を聞くと「お客さんが店で何か書いているのが気になって。のぞいてみたかったんです」と、不思議な答えが返ってきました。(朝日新聞高松総局記者・田中志乃)
その店の名前は「半空(なかぞら)」。ことでんの一番大きな駅「瓦町」を降りて、徒歩10分くらいのところにあります。中に入ると、ジャズや洋楽が流れ、坊主頭のマスターが黙々とコーヒーをいれています。カウンターや壁の棚には、1000冊ほどの古本が並んでいて、向田邦子のエッセーもあれば、岸田秀の「ものぐさ精神分析」や内田百閒、外国文学までと多岐にわたります。古本屋さんの店先のワゴンにザッと並べられた本の山みたいなイメージです。
お客さんは無造作に手に取り、静かにお酒を飲んだり、マスターに話しかけたり。醸し出される大人の空気は、ちょっと腰が引ける洒落具合ですが、私も本の山に囲まれて育った古書屋の娘。人の手を渡りに渡って、愛情深くしおれた本に囲まれてお酒が飲めるこの場所、座っているだけでちょっと幸せを感じます。
文学の話をすると、「ちょっとかっこつけてるなあ~あの人」なんて思われる心配もなく、思う存分文学的な自分を解放できるのです。
高松市で生まれ育った岡田さんが文学に興味を持ったのは中学生の頃。当時、お小遣いはひと月1000円で、この範囲内で買える「楽しみ」を探していました。90年代前半といえば、「ドラゴンボール」や「スラムダンク」など少年漫画の最盛期。週刊少年ジャンプが最大部数記録を誇ったころです。ただ、漫画の新刊なら1000円で買えるのは2冊ほど。しかもすぐに読み終えてしまって、一カ月は持ちません。
悩んだ末に立ち寄ったブックオフで、100円文庫本コーナーを前に思いついたのです。「小説ならすぐに読み終えることはないな。一冊100円で何時間かかるだろう」と。
岡田少年は文学については何も知らなかったので、とりあえず「ア行」の端から、あいうえお順に買っていくことにしました。
文庫本1冊読み終えるのに数週間かかります。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」は完読まで2カ月を費やし、上中下巻そろえて300円です。「なんたるコスパの高さ! お小遣い、めっちゃ余るやん!」と感動したのです。
ブックオフの棚には、小説以外の文庫も時折紛れこんでいて、フロイトやユングなど、道をそれて精神分析の分野にはまることもあったそうです。「この小説がいい」「この小説家はだめ」といった先入観なく読み進め、気がついたら棚をすべて読み切っていたのです。
本が好きになり始めると、心に刺さった文章にはふせんを貼って何度も読み返したり、自分なりの解釈を考えてみたりと楽しみ方も変わっていったそうです。
高校は「レアなところに行きたいな」と、伝統ある高松工芸高校に進み、人間国宝が輩出している漆芸を学びました。卒業後はいくつかの職につくものの、文学好きを仕事にしようと2001年1月に本を置いたカフェバーを開店しました。店を、お客さんにとって家でもなく、職場でもない第三の居場所と考え、「うわの空」「どっちつかず」という意味の「半空」という店名にしたそうです。
岡田さんが文学賞を始めたのは2015年のことです。本好きが引き寄せられるようになった店で、書き物をしている人が目につきます。その姿に、岡田さんはうずうずしました。
何を書いているのか気になる……。だけど、お客さんにぶしつけに「見せて」とは言えません。どうしても気になるので雑談で探りを入れてみると、日記や小説や詩を書いていました。そのほとんどは、人に見せる予定のないものです。
そんな、もったいない。どうしても気になる、どうしても読みたい――という気持ちが高まって「文学賞作っちゃえば読めるんじゃないか」と思いつきます。「半空文学賞」の誕生です。
作品は紙で応募する決まりにしました。文章を書き慣れていない人でも応募できるように、A4用紙1枚という枠だけを設けています。大賞の選考は、期間中にお店に来たお客さんが作品を読み、好きなものに1票を投じてもらいます。
1回目のテーマは「珈琲(コーヒー)が登場する文章」で、詩や、掌編小説など多彩な68作品が寄せられました。直接店に持ってくる人もいれば、インターネットを見て九州や東北から応募してきた人も。審査員を来店者にしたのは「プロでない、ただの本好きの目線なら、どんな作品が選ばれるのだろう」という興味からで、大賞には2作品が選ばれました。
ひとつは「じゃりじゃりさん」。高松市に住む30代の元編集職の女性が書いた作品です。
戦中戦後のものがない時代を生きて、砂糖が高価だった記憶の強いおばあさんが、カップの底に「じゃりじゃり」とたまるまで砂糖をコーヒーに入れてしまうお話でした。
もうひとつが図書館で働く40代の女性が書いた「コーヒーをください」。「相手と想い合って、いい関係でつきあっていると、お互いのいいところが似てくる」という自分の姿がつづられていました。
文学賞の話題は、地元の商店街や本好きな人たちの間で広がりました。「周りの人を巻き込んだ文学賞にしたいという気持ちは強かったです。協賛の方や応募する方が増えてくれたのも、この思いが伝わったのが理由の一つかもしれません」とはにかむ岡田さん。
翌年の2回目の募集テーマは「音楽が登場する文章」。商店や個人から賞品が寄せられ、その内容も「作品に合わせたBGMの制作」、「カメラマンに撮影してもらえる権利」などユニークです。香川県坂出市出身のミュージシャン曽我部恵一さんも第1回の投票に参加したといい、第2回からは協賛者として「レア音源を手渡し」という賞品を用意しました。
東京や大阪、東北地方などから97作品、中学生から80代まで様々な年代から送られてきました。
初めて文章を書いたという人の作品が、「これ、めっちゃいいね」と投票するお客さんの目にとまることもありました。岡田さんはそんな場面で「初めて書きました。勇気を出して持ってきましたって応募されたんですよ」と伝える瞬間がとてもうれしいそうです。
第2回の大賞は、高松市に住む助産師の80代の女性が書いた「あはがり」。夫の命日の翌日、夫の好きだった「あはがり」という奄美民謡が大音量で流れてきて、目を覚ます――という不思議なお話でした。
今回のテーマ「ことでん」は、電車にまつわる話を電車の中で読めたら楽しいのではないか、とひらめいたからだといいます。岡田さん自身も高校時代の通学に利用していた思い出の舞台です。
一方、ことでん社長の真鍋康正さん(41)も、ローカル線で電車の本数が少ないゆえに長くなりがちな待ち時間や乗車時間をいかに楽しんでもらえるか、考えを巡らせていました。フランスの地下鉄の駅には「物語の自動販売機」があり、1分、3分、5分と書かれたボタンを押せば、その時間内で読み切れる物語がレシート用紙のように出てくるという記事を目にして、「良いアイデア。同じようなことをできないか」との思いを抱いていたといいます。
そんな真鍋さんに岡田さんが9月、電話をかけました。「ことでんをテーマにした文学賞をしてみたいのですが」と相談をしたところ、意気投合。米国の小説家ポール・オースターが、ラジオ番組で全米から普通のひとたちのストーリーを集めた「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」にならい、「ことでんストーリープロジェクト」と名付けました。
「電車内は人との距離が近いので、ストーリーも生まれやすい。都心のせわしない電車じゃないローカル線ならではの物語があるはず」と真鍋さん。岡田さんは「思いがけないものから日常をつづったものまで、いろんな文章を読みたい。実際に電車に乗っているような感覚を思い浮かべつつ、作品を選んでいきたい」と期待に胸を膨らませています。
今回は賞の規模が大きくなることもあり、実行委員会の6人と真鍋さん、岡田さんが審査員として作品を選びます。
文学賞の締め切りは2018年1月31日。半空に郵送するか持ち込みで受け付ける。メールやファクスは不可。日本語、英語とも応募可能。
入賞した作品は日英両訳をつけて冊子になり、ことでん各駅で配られる予定です。一応、プロも応募できます。
半空の住所は、〒760・0052 高松市瓦町1の10の18 北原ビル2階。問い合わせは電話(087・861・3070)で。
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