お金と仕事
万札で車をとめた時代も…タクシー業界、激変の「平成30年史」
タクシーを奪い合うため1万円札を見せてとめる……バブルの頃はそんな光景もありましたが、いまは終電で帰る人が多いのでは?
実際にタクシーの乗客は30年弱で半分以下に減っています。一台あたりの売り上げも激減。一方で女性客が増えたという変化も。タクシーをめぐるデータを、都心でハンドルを握って40年以上のベテランタクシー運転手と一緒に読み解きます。
話を聞いたのは、東京都個人タクシー協同組合都心支部(港区)の榊原勇治支部長(66)です。22歳からタクシー運転手を始め、ドライバー歴は44年です。
1980年代後半は新宿を中心に、無線で配車の指示を受ける「無線配車」でした。「バブルのころは午前2時ぐらいまで無線が鳴りっぱなしでしたね」。
主な利用客は企業の接待相手で、支払いはタクシー券。遠くは横浜や大宮、千葉まで送り届け、料金は平均1万円以上だったと言います。
「お客さん同士で相乗りなんてちゃっちいことしないで、一人一台という時代でした」。繁華街から人が少なくなると霞が関へ。深夜に仕事を終えた官僚を自宅まで送り届けていました。
当時のタクシーの乗客は年間で30億人以上おり、都心では「タクシー争奪戦」が起きていました。
「新橋周辺では1万円札を振ってタクシーを止める人も珍しくなかった。お客さんから、タクシーがつかまらないから飲み直していたよ、とよく言われましたね」。
しかし、91年にバブルは崩壊し、97年には銀行や証券会社が相次いで倒産。「お客さんが、ゴルフや銀座のクラブの話をしなくなりました」。
90年代前半に5分もなかった客待ちの時間は、90年半ばには1時間待つことも珍しくなくなり、支払いもタクシー券から現金へ徐々にシフトしていきました。
企業からの配車予約が減ったことなどから、榊原さんは90年代半ばに「無線配車」から、自分で乗客を探す「流し」に切り替え、池袋周辺で営業しています。
国土交通省によると、東京都(23区と武蔵野市、三鷹市)の実働1日1車当たりの法人タクシー運送収入は、91年度に5万6830円でしたが、リーマン・ショック翌年の09年度には3万8048円に激減します。
「お客さんが一気に減って、周りの運転手に聞いても、1日2、3万円なんて人も珍しくなかった。こっちから声かけづらいでしょ? 車内での会話もあまりしませんでしたよ」
2012年末に発足した安倍政権の経済政策「アベノミクス」で企業の業績は回復しています。
女性の社会進出が進んだからなのか、「バブル時代に1割にも満たなかった女性客がいまは3、4割に増えた」。
都内の法人タクシーの1日1車あたりの収入はここ数年で増加傾向ですが、全国でみると横ばいです。
そんな中、今年から東京23区と武蔵野市、三鷹市の初乗り運賃が「約1キロ410円」になりました。
榊原さんは、この1年で高齢者を中心に利用者は増えたが、単価が減った影響で収入は料金改定前より減った運転手が周りには多いと言います。
「夜に乗るお客さんでも料金は2、3千円程度、多くても5千円ぐらい。単価が下がったのは(14年4月の)消費増税の影響が大きかったね。最近は働き方改革で、企業が残業しなくなっているんでしょ? 酔いつぶれて終電を逃すという人も減っているんじゃないかな。消費税が10%に上がってもお客さんが乗ってくれるのか心配ですね」。
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