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ミャンマーにある「信じられない看板」反イスラムが消えない理由
「トラにはえさを与えるな。イスラム教徒には土地を与えるな」。仏教徒が9割近くを占めるミャンマーには、こんな看板を掲げた村があります。実は、数多くの「イスラム教徒お断りの村」があるのです。60万人以上が難民となり、「民族浄化だ」と非難されているロヒンギャの人びともイスラム教徒ですが、問題はそれだけではありません。(朝日新聞ヤンゴン支局長兼アジア総局員・染田屋竜太)
「壊せ!」「つぶせ!」
今年7月27日午後8時ごろ、ミャンマー中部のターヤーエー村で数千人が一つの建物を取り囲みました。建設中だった白壁の建物を、ショベルカーが崩していきます。
この日の午後2時ごろ、この地域の人たちの間で、フェイスブックを通して情報が出回っていました。
「ターヤーエーにモスク(イスラム教礼拝所)が建てられている」
投稿は一気に拡散し、建設現場に人が集まりました。村人の1人、ミンサンさん(36)は村外れの喫茶店でミルクティーを飲んでいるとき、この情報を知りました。「大変だ」とバイクで現場に駆けつけると、すでに1千人近くの人が建物を取り囲み、叫んでいたといいます。
「この村に、イスラム教徒がいるはずがない。なんでモスクなんかが」とミンサンさんは思いました。集まった人々は「見ろ、白い壁に窓がない建物。モスクに間違いない」と叫んでいました。
午後10時ごろ、建物が完全に壊されると、歓声が上がったといいます。
事態が急展開したのは翌日。この土地の持ち主が、「あれは映像編集スタジオだった」と明らかにしたのです。中で作業をするため、防音などのために窓をつくっていなかったといいます。「モスクだ」といううわさに火がつき、地域全体で「破壊行為」にまでなってしまったのでした。
「事件」が起こった村があるのは、ミャンマー中部チャウパダウン地区。仏教遺跡で有名なバガンから車で1時間ほどの場所にあります。実は20年以上、イスラム教徒が住んでいません。
村人によると1998年、地区政府に無断でモスクの建設が進められたことがありました。ほとんどの村人は仏教徒。反対運動が起こり、当時住んでいた十数世帯のイスラム教徒はすべてて出ていきました。
当時のミャンマーは軍部が支配する、厳しい軍政の時代。少しして国軍幹部が地区を回り、「今後、イスラム教徒は地区内に住まわせてはいけない」と命じたそうです。
「法律に書かれているわけではない。でも、地区内でイスラム教徒は一晩以上過ごせないという不文律のルールを住民全員で守ってきた」と、地区の住民は話します。
390余りの村があり、計26万人ほどが住むチャウパダウンですが、2014年の国勢調査で、イスラム教徒は1人もいませんでした。
数年前まで、地区の中心部には「イスラム教徒を住まわせると問題が起きる」という看板がありました。
この地区で育ったチョウトンさん(66)は「キリスト教やヒンドゥー教はいい。でも、イスラム教徒はダメだ」と言います。
「彼らの目的は世界のイスラム化だと聞いた。仏教徒と結婚して改宗させ、人口を増やすという。我々の村がイスラムに乗っ取られてしまう」と話します。
タマネギ販売の会社を経営するアウンヘインさん(40)には、イスラム教徒の取引相手もいます。「いい人たちだよ。一緒に食事をすることもある。でも、彼らを家に泊めることはないな」。
穏やかな口調で話し、とても「差別主義者」には見えません。なぜイスラム教徒を敬遠するのか。
「欧米でテロを起こすのは多くがイスラム教徒だろう。全員が悪い人たちとは言わないけれど、一緒に暮らして問題が起きたら嫌だな」
では、仏教徒に悪い人はいないのか。
「確かに仏教徒にも過激な人たちはいる。でも、彼らは話せばわかるよ。同じ考えを持っているから」
「私たちはイスラム教徒を苦しめたいなんて思わないよ。平穏に暮らせればそれでいいんだ」
食い違う質問と答えが繰り返され、話は平行線でした。
ミャンマーのイスラム教徒を支援する「ビルマ人権ネットワーク」(BHRN)によると、同国内には数多くの「イスラム教徒お断りの村」があるといいます。
といった看板を堂々と村の入り口掲げる村が、少なくとも20カ所あったそうです。
チョーウィン代表は、「恥ずかしげもなく宗教差別を叫ぶミャンマーの怖さを感じる」と話しました。
ミャンマーではいま、60万人を超えるイスラム教徒ロヒンギャがミャンマーからバングラデシュに逃れ、難民となっています。治安部隊による掃討作戦が原因で、国連の安全保障理事会で議題になるなど、批判が強まっています。
ところが、ミャンマー国内では、ロヒンギャへの同情はほとんど聞かれません。それどころか、「テロリストを掃討するのは当然だ」と治安部隊を支持する声が大半です。
背景には、こうしたイスラム教徒に対する「素朴な差別感情」があるようです。