IT・科学
新刊本、他社メディアで無料公開 一体、何のため?ウェブ戦略の狙い
本離れが進んでいると言われる中、紙の書籍をネットで無料公開するなど、新たな取り組みが広がっています。講談社現代新書が11月に発売した『健康格差』は全章を他社のウェブメディアに提供する決断をしました。「とにかく知ってほしかった」。いったいどんな狙いがあるのか。企画したメンバーに話を聞きました。
出版科学研究所によると、書籍・雑誌の販売額は1996年の2兆6564億円をピークに2016年は1兆4709億円と半減に近い額まで下がっています。電子書籍の市場は広がっているものの、2016年はまだ1909億円です。
書店も減る一方で、日本出版インフラセンターの調査では、2003年度の約2万1千店から2017年は約1万4千店と3分の2になっています。
紙の本は新書で800円前後しますが、ウェブ上の情報の多くは無料です。
ウェブ上の無料情報が増えたことが紙の本の存在を脅かしているという考えは、出版業界に根強くありました。
一方、無料の世界であるネットに進出しないと、そもそも、存在すら知られないという危機感も広がっています。
新潮社は発売前の小説「ルビンの壺(つぼ)が割れた」を電子書籍やサイトで全文無料で公開。限定2週間の期間中、ダウンロード数は1万を超え、募集したキャッチコピーや、寄せられた感想は計6千件を超えました。
今回、講談社現代新書が『健康格差』で踏み切った「無料」で「全章」を「他社媒体」に公開するという取り組みは、これまでの事例と比べても思い切った決断です。
無料公開されるのは、六つのウェブメディアです。新書に収録された章の中から、媒体のイメージに合った章を一つずつ各メディア上で公開していきます。全章を無料公開する一方、チェックシートやコラムは書籍版だけの掲載になっています。
『健康格差』は、NHKが2016年に放送した同名のNHKスペシャルを書籍化したものです。
寿命や病気が、生まれた環境や給料によって変わってしまう「健康格差」が日本においても進んでいる現状を伝えています。
著者の一人であるNHKのディレクター神原一光さんは「テレビ局も出版社もリーチできない人がいる。そんな人にこそ読んでほしかった。だから『変なことをしよう』と話し合ったんです」と語ります。
「株価が高くても豊かさの実感がない。格差が広がった結果、健康を意識しない人こそ、健康問題を抱えている状況が生まれています。でも解決法はある。その処方箋(せん)は番組で伝え、本にも書きました。知らないから健康にならない。だから、とにかく知ってほしかった」
神原さんは、『健康格差』のテレビ放映時にもインターネットと連動させた取り組みをしていました。
「#健康格差」という番組名と同じハッシュタグを、ツイッターで拡散。番組放送中には、サイトやツイッターを通じて1万件を超える質問や意見が届き、手応えを感じたと言います。
「何か議論を起こすきっかけにできないか。でも、もう一回、テレビ番組を作ることはできない。だから本に挑戦しました」
普段から、ウェブメディアの編集者と情報交換をしていた神原さん。本の内容に合ったメディアに各章を無料で提供することを思いつきました。
そこには、2016年のアメリカ大統領選や、今年10月にあった衆院選で、フェイクニュースが問題化する中、ネット情報の信頼が揺らいでいることへの問題意識もあったそうです。
「ネットには、数字狙いの消費される情報だけではない記事が、たくさんある。それを知ってもらいたかった。みんなで盛り上げたかったんです」
#Periscope でライブ放送中 【#健康格差】 生放送中のNHKのスタジオにお邪魔! https://t.co/eXk9EASj3i
— Nスペ【私たちのこれから】 (@nhk_ourfuture) 2016年9月19日
出版社側はどのように考えていたのでしょう?
編集を担当した講談社の小林雅宏さんは「新書の無料公開は会社として初めての取り組みでした」と話します。
「お金を払う前のきっかけを作りたかった」。小林さんは、新書を担当する前はマンガ雑誌の「アフタヌーン」の編集部にいました。
「出版される点数が多いマンガは、1巻を売ることに死にものぐるい。イベントでブースを出したり、書店で動画を流したり、色々な工夫をしています」
加えて、無料から有料への誘導についても手ごたえがあったそうです。
「マンガは1巻、2巻を無料で読んでもらえたら、かなりの確率で3巻を買ってもらえる。新書にも通じると思いました」
とはいえ、新書はマンガのように回を重ねることはほとんどありません。営業など部署が違えば、売り上げの多くを占める紙へのこだわりが強くなりそうです。
紙との関係について、講談社現代新書の青木肇編集長は「今まで通りではダメだという思いが強かった」と振り返ります。
「電車に乗れば、誰もが紙ではなくスマホを見る時代です。新たにリーチをする工夫が必要でした」
社内からは戸惑いの声も聞こえたそうですが、青木編集長は「今の時代、ウェブで無料公開しても、紙の売り上げに関係ないと考えています」と強調します。
書籍は全体をまとめたパッケージとしての魅力があります。加えて、無料のウェブ記事で満足する人と書籍を購入する人はマーケットが違うという判断もありました。
「面白いものを作っても、何もしなければ、ずっと知られないままです。そこは努力しないといけない」
今回、ウェブに公開されるのは、他社のメディアばかりです。一方、講談社には「講談社現代ビジネス」というウェブメディアがあります。
講談社からすると、他社のメディアに無料で有料コンテンツを提供する形になります。そんな関係の中での取り組みでしたが、ウェブの現場での抵抗はなかったそうです。
ウェブメディア、講談社現代ビジネスの阪上大葉編集長は「『やんちゃさ』が、ウェブの魅力。新しいことをして盛り上げたいと思いました。他のウェブメディアの編集長も共感してくれました」と話します。
「紙の世界だと、これまでの歴史などもあり、今回のような横の連携は、まず生まれません。でもウェブならできる。仮に全章を自社のウェブメディアで公開しても、読者層と違う内容なら読まれない。だったら、色んなメディアと連携する方が、多くの人に知ってもらえると考えました」
阪上編集長は、ウェブメディアでの経験から「読者は損したくない。でも、得する情報があると思えば800円、千円を出して買ってくれる」とみています。
マンガから新書に移った小林さんは「これまで、商品を買うまでの導線の引き方が未開発だった。読者にリーチするためには、売り方のエンタメ化に挑戦しないといけない。本の中身をやわらかくするのではなく、購入しようと思わせる売り方のエンタメ化が必要」といいます。
新書編集部としては初めての挑戦だったことについて青木編集長は「認知を広げることが目的。ウェブでの課金は、正直、これから」と語ります。
ウェブ上でお金を払ってもらうためには、どうすればいいか。本格的なビジネス戦略は、今後の課題といえそうです。
本離れ、紙離れと言われる時代、テレビ局のディレクターである著者の神原さんは「テレビも同じ。若い人へのリーチは切実な問題」と語る一方で「ニュースを読む人は増えている」と言います。
「スマホがインフラ化した今、ウェブメディアが身近になり、多くの人がこれまでよりたくさんの情報に触れている」
「紙は消えても、ジャーナリスト魂は消えない。受信機は消えても、テレビ魂は消えない。歯を食いしばりながら、読者や視聴者とつながっていかなければいけません」
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