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スーチーさん聞いてますか? 死んだ日本人ジャーナリスト遺族の手紙
長く軍部の独裁政権が続いてたミャンマー。10年前、現地の実情を伝えようとした一人の日本人ジャーナリストが命を落としました。長井健司さん(当時50)です。兵士に至近距離から狙い撃ちされたと思われますが、アウンサンスーチー氏らが政権を執った今になっても遺族への謝罪はありません。今年、長井さんの実の妹、小川典子さん(57)が、スーチー氏に手紙をしたためました。「事実を明らかにしてほしい」という願いを込めて。(朝日新聞ヤンゴン支局長兼アジア総局員・染田屋竜太)
当時、長井さんは軍事政権への反対運動を取材中でした。2007年9月27日午後、長井さんはヤンゴン中心部の路上で手持ちカメラを構え、デモの撮影を始めます。
国軍のトラックが群衆に近づき、人々が散り散りに逃げる中、兵士たちを撮り続ける長井さん。そして急に、はじかれるように倒れました。それでも右手でカメラを向け続ける姿は全世界に映像で流されました。
今回、筆者もその映像を何度も見直しました。確かに倒れる瞬間、長井さんは後ろから銃で撃たれているようにみえます。
メディア「ビルマ民主の声(DVB)」を通じて、直後に現場近く、ヤンゴンの警察署で撮られたと思われる長井さんの遺体の写真も入手しました。日本の法医学の専門家に見てもらうと、背中の左側に焼け焦げたような皮膚の黒い変色があることから、背後から撃たれ、拳銃なら1~2メートル、小銃や猟銃だとしても2~3メートル以内の距離から発射されたものとの分析でした。
実は、長井さんの遺体は、日本に引き渡された後、司法解剖をされています。今回、捜査関係者に取材したところ、腰の位置に平行に構えたライフル系の銃で、至近距離から撃たれたものという鑑定結果だったこともわかりました。
小川さんたちは、何度も日本の外務省を通じてミャンマー政府に死亡経緯の説明を求めてきました。しかし、何の変化もなし。映像を根拠に主張しても、「CGで作られたものだ」と全く相手にされなかったといいます。
小川さんの両親は、事件現場に行きたいと願う一方、「訪れたら、『事故だ』というミャンマー政府の言い分を認めたとして区切りをつけられてしまうのではないか」と悩み続けたまま、4年前に亡くなりました。この話が、筆者に「どんな形でもこの話を記事に書く」と心に決めさせた理由の一つです。
2015年、アウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)が選挙で勝ち、翌年、政権に就きました。
「もしかしたら、対応が変わるかも……」と期待した小川さんでしたが、何の返事もなし。昨年、日本の外務省を訪れると、「軍事政権時代の罪は問わないという今の政権の考え方から、この問題が進展するのは、難しいかもしれない」と言われたそうです。
10年という節目が近づいた今年、小川さんはスーチー氏に手紙を書くことにしました。「スーチーさんは本当の経緯を知らないだけではないか。あんなに民主化のために力を尽くしてきたんだから、私たちの気持ちも理解してくれるはずだ」
そんな小川さんの心を温めてくれたのは、今でもミャンマーのジャーナリストを中心とした人たちが、兄のことを忘れずにいてくれているということです。命日の直前の9月25日、ヤンゴン市内で、僧侶を中心に反政府運動から10年の記念式典が開かれました。
そこでは、長井さんの写真が印刷された布が掲げられ、多くの人が寄せ書きをしていました。「私たちはあなたの勇気を忘れない」。記者の1人として、筆者も「これほどたくさんの人が事件を覚えているんだ」と胸が熱くなりました。びっしり書き込まれた寄せ書きは、小川さんの元に届けられました。
「兄のことを今でもミャンマーの人たちが忘れていない。遺族にとってこんなに心強いことはありません」と小川さんは話しました。
僧侶のピンニャー師(60)は2007年当時、デモの先頭に立って政府に批判の声を上げ続けました。「ケンジ・ナガイの死は世界中に大きく報道され、ミャンマーで何が起こっているかが多くの人に知らされた。今のこの国の民主化は、彼の死の上に成り立っていることを忘れてはならない」と言います。
しかし、ピンニャー師は、ミャンマーの現状を「民主化の発展途上」と言います。憲法により、議会の4分の1は国軍に握られています。スーチー氏は軍や警察を動かす権限を与えられておらず、外国人の配偶者がいたことから、大統領になることすらできません。
ピンニャー師は、「ケンジさんの死を忘れてはいけない。本当の民主国家のためにやらなければいけないことは、まだまだたくさんある」と話しました。
手紙はスーチー氏の元に届くのか。筆者は10月、スーチー氏に近い国家顧問省の幹部に「手紙が届いたか調べて欲しい」とお願いしました。
数日後、返答がありました。
「手紙がスーチー氏の机の上まで届いたことは確かだ。彼女が読んでどう思うかは我々にはわからない」