地元
高知、もう一つの「消耗しない活動」 全国から集まる「謎の合宿」
「消耗しない」ことにかけては抜群の知名度がある高知県。四万十川が流れる山の中で、全国から人から集まり「消耗しない活動」をしているらしい――。そんなうわさを聞いて、9月の終わり、高知県四万十町に行ってきました。自然あふれる土地で見たのは、デザイナーの感性と地元のおばちゃんのアイデアと古新聞による夢のコラボレーションでした。
「消耗しない活動」とは一言でいうと「新聞を折る」こと。しかも合宿で。どういうこと?
合宿の名前は「しまんと新聞ばっぐインストラクター養成講座」。
9月21日、午前7時過ぎの伊丹発高知行きの便に飛び乗りました。空港から集合場所である「道の駅 四万十とおわ」まではレンタカーを使って行きます。100キロ超の道のり、2時間弱の所要時間。なかなか遠いですが、趣味の道の駅巡りをしながらゆっくり向かいました。途中、漁港近くにある道の駅で食べたかつおは絶品でした……。
車を走らせ続けると、さすがは県の総面積に占める森林割合84%の高知県。どんどん緑が深くなっていきます(でも、屋久島育ちの私にとってそんなの全く問題ありません)。
午後1時、集合場所に到着すると、主催するNPO法人RIVERの担当者、森岡孝治さんが出迎えてくれました。今回の参加者は10人。男女半々で、年齢も20代から70代までばらばらです。
「それでは移動します」。あいさつもそこそこに、車2台に分かれて会場に向かいます。対向車がすれ違えないほどの道を5分ほど進むと小学校にたどり着きました。でも子どもたちの声はしません。2012年に廃校になった四万十町立広井小学校跡です。校舎はレンタルオフィスという形で、地元企業がシェアしています。
教室に入ると、新聞ばっぐ作りの道具が並べられていました。大量の新聞にでんぷんのり、はけ、瓶……などなど。
ここで1泊2日の「消耗しない合宿」が始まります。
当初は包むだけだったのが、地元のおばちゃんの提案でバッグの形に。みんなから「伊藤のおばちゃん」と呼ばれ、いまも新聞ばっぐづくりに励んでいます。
この新聞ばっぐ、海外でも講評を博し、2008年には作り方を販売し始め、2009年には今回参加した養成講座の初回が開催、翌年にはコンクールも始まりました。
東日本大震災の際には、出張養成講座を宮城県で開催。そこで誕生したインストラクターたちは当時、企業のノベルティーとしての新聞ばっぐを作製し、現在も形を変えながら活動は継続。地域に新たな産業を生み出しました。
もともとは古新聞。それが、新たな価値を生み、私のように興味をもった人とひきつける。何も「消耗しない」のにも関わらず、四万十の土地に新たな魅力を生み出したのです。
そもそも「しまんと新聞ばっぐ」とは何か?
RIVERの母体である「四万十ドラマ」の契約デザイナーで高知県在住の梅原真さんが2002年、四万十川の川べりの木の枝にレジ袋がひっかかっているの見て、「四万十川流域で販売するものはすべて新聞で包もう」と提唱したのが始まりです。
四万十ドラマは、特産品作りなどを手がけていますが、基本理念は「四万十川に負担がかからないものづくり」。
新聞であればもし捨てられてしまっても土に還るし、新聞の再利用という観点からも環境に優しい。
ここから、新聞ばっぐの仕組み作りが始まりました。
今回の合宿で学ぶのは大中小の3種類。それぞれ使う新聞は見開き1枚、2枚、5枚です。中は500ミリリットルのペットボトル3本、大は2リットルペットボトル3本が入ります。新聞の強度にびっくり。
講師の渡辺隆明さん(60)が、手取り足取り教えてくれます。アシスタントは、高知県立大学で新聞ばっぐを通じて地域コミュニティー作りを手伝う「news paper’s」の代表・岡林香菜子さんです。
作り方は大中小で異なり、折り紙だったら折り鶴程度しか折れない私は、それなりに苦戦しました。教室のあちこちから「ん?」という不安げな声や「折り方考えた人、頭いいねえ」といった悩ましげな声が聞こえてきました。午後3時前に始まったレクチャーは午後5時までほぼノンストップで続きました。
肝心の作り方ですが、ごめんなさい、説明することはできません。なぜなら、それ自体が商品となっているのです。実は、これこそが「消耗しない活動」の神髄だったのです。
1/11枚