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尖閣対立・反日デモ…政治に翻弄されても映画祭続けた中国人の12年
上海国際映画祭と東京国際映画祭に合わせて、それぞれ相手国の映画を上映する「日中映画週間」が開始から今年で12年になりました。尖閣諸島を巡る対立など、日中間の政治状況から開催の危機もあっただけに、企画を手がける中国出身のプロデューサーは「苦労が多すぎて語りきれませんが、山田洋次監督をはじめ、映画界の先輩たちに助けてもらいました。観客にも支えてもらって、本当に感謝です」。時に逆風にさらされながらも、映画を通して続けてきた日中交流の12年間を聞きました。
日中映画週間の中心になっているのは、東京で映画制作会社を経営する耿忠(コウチュウ)さん(48)です。南京出身の耿さんは、親の教育で始めた新体操で元中国代表に選ばれたという異色の経歴の持ち主です。
転機が訪れたのは1989年。20歳の耿さんは、日本に住んでいる姉を訪ねるために来日し、そのまま留学ビザを取得しました。「親元を離れ、やっと自由になれると感じました」。幼少時代から抱き続けてきた女優の夢を実現するために、日本大学芸術学部に入学。演劇の勉強を始めました。
そして大学卒業後の1998年には、浅田次郎さん原作の映画『ラブ・レター』のヒロインに選ばれます。映画初出演で中井貴一さんの相手役を務めた耿さんは「とても幸運でした」と振り返ります。
公開された映画を劇場で見たという耿さん。作品のクライマックスでは、他の観客とともに涙を流したことを覚えているそうです。
「映画が持つすさまじいパワーを感じ、映画を通して日中交流に携わりたいと決意しました」。この体験が現在の活動の大きなきっかけとなりました。
日中の映画交流を推進するために、耿さんは1999年に映像制作会社「ムーラン・プロモーション」を立ち上げました。ムーランはディズニー映画の主人公にもなった中国の伝説の少女で、漢字は「木蘭」。戦乱の時代に男装し、敵と勇敢に戦いました。
「ムーラン」という名前に込めた思いについて、耿さんは次のように語ります。
「男性に負けない芯の強い女性にずっと憧れを持ってきました。幼い頃に習った中国伝統の民族舞踊に登場する木蘭がまさにその通りで、会社の名前は木蘭以外に考えられませんでした」
確かに耿さん自身が多くの逆風にも負けず、強い信念と実行力で乗り越えてきたムーランのような存在です。
会社設立後は、日本や中国でのイベント運営や番組の制作、放送などで実績を積み上げてきた耿さん。上海・東京両映画祭で互いの国の映画を上映する「日中映画週間」の開催も2006年からと決まりました。しかし、その前年。中国で起こった反日デモが日本で大々的に取り上げられ、上海での「日本映画週間」の開催がいきなり難航したそうです。
「日本の映画会社にフィルムの提供をお願いしても、ほとんど相手にされませんでした。『日本映画が中国のスクリーンで上映されるのはもう無理だろ』とよく言われたりしました」。まさに逆風だった耿さんを救ったのが、日本を代表する映画監督の山田洋次さんでした。
当時、『武士の一分』を制作していた山田監督は、日本映画週間にこの作品を提供すると約束。これを皮切りに、少しずつ協力が集まるようになり、2006年に無事、最初の日本映画週間を開催しました。
そして『武士の一分』は、2007年の日本映画週間で上映されました。自らも上海の映画館に足を運んだ耿さんはその日のことを鮮明に覚えています。
「当時はまだネット購入がなく、チケット売り場の前に並びました。満席でチケットが売り切れたと言われた時に、自分の耳が信じられなかったです。うれしかったです。本当に感激でした」
上海の映画館最大のスクリーンが全て埋まり、上映後、上海在住の日本人客と中国人客が一緒に拍手をしました。「同じ空間で心の壁が乗り越えられた瞬間だと思いました。スタッフが話した『やってよかった!』という言葉は、今でも心に残っています」
逆風にさらされながらも、何とか始まった日中映画週間。しかしその後も日中間の政治状況に左右され、順風満帆ではありませんでした。
特に2012年、日本政府が尖閣諸島(中国名:釣魚島)の国有化を宣言すると、中国が強く反発。両国の関係が谷底に陥り、予定されていた日中のイベントの多くが中止に追い込まれました。この時も開催が危ぶまれましたが、「日中の文化交流を中断してはいけない」という耿さんの努力で、中断せずに継続することができました。
現在でも、両国の関係がギクシャクすると、スポンサー企業数が減るなど、苦労は絶えませんが、映画の上映やフィルムの配給などに関して、山田洋次監督を始め、中国の有名な監督の謝晋(シェ・ジン)さんといった「たくさんの映画関係者たちに支えてもらっている」と話す耿さん。自らの会社や個人資産から資金を出して乗り切ったこともあるそうです。
「映画というものは、その国の社会と文化をそのまま反映している」と改めて映画の役割を語る耿さん。10月の東京国際映画祭に合わせて開かれた「中国映画週間」では、遠方から映画を見に来る熱心な中国映画のファンもたくさんいました。中国の伝統の家族・農村などを描写する映画は日本でも受け入れられていますが、より中国の現状を反映できるように、近年は中国で好評の最新作を上映すること心がけています。
「真剣に見てくれる観客が多く、翻訳などでは我々の改善につながった意見もありました。こうした熱心な観客がいなければ、ここまで頑張ってこられなかったと思います。今後も、映画を通じて両国の文化交流を継続していきたいです」
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